02.二人のニーナ
「だからさー、私は言ってやりたいわけ!そんな細かいミス気にする暇があるならヅラでも直しとけって!」
ドンとグラスを机に置くと、中の氷が一粒落ちた。
アルベルトは綺麗な長い指でそれを掬い上げて、空になったピクルスの皿へ放り込む。
「すごいですね、ニーナさん。立派です」
「えへへ、そう思う?」
爽やかに微笑まれて拍手されると、まんざらでもない態度で私はベラベラと喋り続けてしまうのだ。ちょうどお酒も良い感じに回ってきた。
これがホストの話術。
さすが聞く耳の天才。
「それで、アルフォートは何飲んでるの?」
「アルベルトです。僕はリンゴジュースを」
「え、ジュース?もしかして下戸?」
「いえ。仕事柄、外では控えていまして」
「もう、出勤前だからって~」
酔っ払いを良い理由に、バシバシ叩く私のこともアルベルトは優しく流す。さすがプロフェッショナル。
「あー、もう辞めちゃおうかな仕事」
「辞めても良いと思いますよ」
「も~適当だな~」
「結婚するなら良いんじゃないですか?」
「そんな相手いないよー」
「すぐに見つかるから、大丈夫です」
そんな保証どこに、と血眼で揺さぶりたい衝動に駆られたが、私の理性が制止した。
アルベルトはグラスのリンゴジュースをちまちま飲んでいて、その様子はまるで森の小動物のようだ。大きな身体に可愛らしいこの仕草、ギャップ萌えも狙えるなんて素晴らしい。
私が石油王だったら、確実に毎日指名する。
「私、アルバートの顔すきだな」
「アルベルトです。本当ですか?光栄ですね」
「良いな~アルベルトだったら相手選び放題じゃん!」
「それが、そうでもないんですよね」
「なになに?振り向いて貰えない?」
「いえ…そうではなさそうですが、」
黙り込むアルベルトの背中に手を置いて、激励のハグをしそうになったが、追加料金が発生しそうで怖かったので思い止まった。
ああ、本当に結構飲んで気持ちいい。
「だいたいさ、ブラック過ぎるんだよね。クリスマス、バレンタイン全部無しよ?どうせ相手も居ないけどさ…」
ブワッと涙が溢れ出た。
最後に男とイベントを過ごしたのはいつだろう。
思い出せないぐらい前だということは、分かった。
「どうして、どうして……私だって誰かに愛されたい」
「ニーナさん………」
「仕事ばっかりしたくないよう……うう…」
「僕で良ければ付き合いますから」
「それって営業じゃん~~、うわ~ん」
年甲斐もなく涙と鼻水を流す私を見兼ねて、店員はカウンターにティッシュボックスを置く。アルベルトはぐしゃぐしゃになった顔を丁寧に拭いてくれた。
その優しさに更に涙が出る。
「だいたい、出会いってどこにあるの?毎日職場と家の往復なんだから。電車で一目惚れでもされない限りあり得ないよ……」
「ニーナさんは頑張り屋さんなんですね」
「だよね?私がんばってるの、こう見えて…」
「そういうところ、素敵です」
「アルファード……優しいね」
「アルベルトですよ」
「もう、敬語じゃなくてもいいよ!」
ニコニコと笑顔を絶やさず、話を聞いてくれる。
余計な水を差したりはしないし、あろうことか鼻水や涙まで拭ってくれる。こんな紳士的なホストがいるだろうか。
アルベルトの落ち着いた雰囲気に心を許して、私はそのまま机に突っ伏する。
心の奥底で始発を気にする自分が騒ぎ立てていたけれど、まあ別に始発じゃなくても家に帰れれば良いし。どれだけ居ても今日は5000円だし。財布を誰かに盗まれたとしても所持金は知れているし。
何より、アルベルトがどうにかしてくれそう。
他力本願寺の尼よろしく、すべてを優しいホストに委ねて、私は深い眠りに着いた。我ながら警戒心の低さには思うところがあるけれど、200時間残業を経験したらこのような心境になることを理解してほしい。
◇◇◇
声が聞こえる。
私を呼ぶ、柔らかい声が。
「……ニーナ」
パチリと目を開ければ、そこは真っ白な部屋の中。
白壁に四方を囲まれて、白いシーツに白いリネンが掛けられている。
首を回せば、心配そうに覗き込むアルベルトが目に入った。
「…え?病院?」
ガバッと上半身を起こす。
もしかして、私は飲みすぎて急性アルコール中毒で病院に搬送されたのでは。慌ててポケットを弄るも、スマホが見つからない。
「病院じゃないよ」
「アルベルト、ごめんなさい、私何か失礼なことを…」
「大丈夫。君は眠っていただけだ」
「此処はどこなの?」
「僕の家」
あっけらかんと言ってのけるから驚いて咽せた。
「何を、何言ってるの?仕事に遅れちゃうでしょう?」
「………仕事?」
あれ?そもそもホストって何時出勤?
私は勝手にアルベルトが始発まで自分に付き合ってくれると思っていたけれど、もしかしてとうの昔に出勤時間を過ぎているのでは。そしてその場合、私に請求が来る?
「ご、ごめん!私のせいで遅刻?」
「ニーナ、落ち着いて。仕事に遅刻はしないから」
「っていうか、さっきから新名って呼ぶけど、なんで苗字呼び?確かに敬語じゃなくて良いけども」
「ニーナはニーナだよ。僕のファム・ファタル」
「ファム…なんて?」
頭が混乱してきた。
今日はせっかくのフリーな土曜日だし、時間を有効に使いたい。アルベルトには悪いけれど、手早く御礼を言って一刻も早く家に帰って洗濯物を回さなければ。
「まあ、いいや!ありがとうね。仕事頑張って!」
「待って、ニーナ!」
「ごめん、私午前中指定でママゾンの配達が届くの。家に帰って受け取らなきゃ……」
「僕たちは番なんだよ。僕がアルファで、君がオメガ。国王の気紛れで法律が変わったから今年からくじ引きになったんだけど、聞いてない?」
「………え、なに?つがい?」
ボケ老人のコントのように私は同じ言葉を聞き返す。
アルファとかオメガって、あのボーイズがラブする二次創作とかで登場するエッチな設定の?つまり、アルベルトは私と自分がそのカップル的なものに選出されたと言っている?
待って、もしかして、このホストかなり痛いタイプ…?
「あ、帰ります」
「え?」
アルベルトの制止を振り切って、私は部屋の扉を勢い良く引く。そのまま廊下をダッシュして、玄関から外へ飛び出した。
「…………へ?」
ここは、新宿。東京のど真ん中。
だった筈なのに、見知ったコンクリートジャングルは姿を消して、代わりに広い空とのどかな田舎風景が広がっていた。
◆ファム・ファタル…「運命の女」「男を破滅させる魔性の女」の意味。