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20.荷馬車と轍



女は自分のことをリリーと名乗った。


私たちの住む街、ドライに知り合いを訪ねて来たは良いけれど、体調を崩して、あの木の下で休憩をしていたと話してくれた。息も絶え絶えに横たわる彼女の姿を見ながら、何もできない自分を申し訳なく思う。



「近くに貸し倉庫があるんだ。そこで待っていてくれ、知り合いの医者を呼んで来る」

「ありがとうございます…!」


若い男の指示に返事をする。


「リリー、もうすぐゆっくり横になれるわ。あと少しだから安心してね」

「ありがとう…ニーナ」

「楽しいことを考えて。何を食べたい?」

「そうね、冷たいトマトジュースが飲みたいわ」

「珍しいわね。私はオレンジの方が良いかな」


リリーの苦痛が少しでも紛れるように、私は色々なことを話し掛け続けた。彼女は苦しそうな様子を見せながらも、時折笑いながら答えてくれる。


やがて、荷馬車は大きな倉庫の前で止まった。


「到着したよ!降りられるかい?」

「ええ、大丈夫。ありがとう」


先に地面へ降り立ち、後ろから続くリリーに手を伸ばす。

リリーが私の手を握って抱き付いた。


「……っとっと、無理しないで!どこか痛い?」

「いいえ。とっても、元気よ」

「え?」


先ほどまでの声音とは異なる弾んだ声に驚く。


リリーの方を見ると、大きく口を開けて間近に迫っていた。逃げようにもキツく締められた腕から抜け出せず、そのまま首筋に熱い息が掛かるのを感じながら、私は意識を失った。




◇◇◇




話し声がする。

それも一人じゃなくて、たくさんの人の。


バッと目を開くと、私を取り囲むように大勢の人間が立っていた。眩しい光に上を見上げると天井からは大きな照明がぶら下がっている。両手は固く拘束されているのか、ビクとも動かない。



「さあ皆さん!本日の主役のお目覚めですよ!」


男の声に、倉庫が揺れるほどの歓声が上がった。

その声に聞き覚えがあり目を向けると、私の後ろには派手なスーツに着替えた荷馬車の御者が立っている。


「どういうこと?リリーはどこに行ったの!?」

「……ここに居るわ、ずっと」


細い指が絡み付くように私の肩に掛かる。

振り向くと、綺麗に化粧を施したリリーが立っていた。


「リリー!具合は大丈夫なの!?」

「とっても良いの。でも貴女、騙したわね。ヴァンパイアだったなんてガッカリよ」

「………え?」

「少し飲んだだけで直ぐに分かったわ。でもせっかく捕まえた生贄だもの、ショーのためには仕方ないわよね」

「生贄って…どういうこと?」


簡易的なステージの上で、椅子に座らされている私を取り囲むように立った見物人たち。目を引くスーツを着てその場を取り仕切る御者だった男。


そして私の後ろに立つリリー。


どうやら、サーカスや人形劇といった楽しいショーでないことだけは明白だ。やっと誰かの役に立てたと思ったのだけれど、こんな結果に終わるだなんて。まるで厄介者の私を物語から消し去ろうとしているかのような演出だ。



「紳士淑女の皆様、大変お待たせいたしました!本日も暇を持て余したあなた方に吸血鬼リリーが最高の刺激をお届けします!!」


ああ、なるほどね。

本当にツイていない。


慣れない人助けなんてするからこうなるのよ。毎日電車に揺られて仕事をして、自分のことだけ考えて生きて来たじゃないの。誰も自分に興味がなくても良かったし、誰かの世界に存在したいなんて思っていなかった。


それが、いったいどうして。

終電を逃したせいで新宿二丁目の飲み屋に転がり込んで、気付いたらこんな変な世界に居て。わけが分からないまま番だのヴァンパイアだの言われて、オメガって何よ。ヒートなんて苦痛でしかないじゃん。肝心の番は聖女にゾッコンで私の入る隙間なんてないし。番のくせに、管理はサボるし放置はするし。悪態つくし、二重人格だし。


番のくせに、私を一人にしないでよ。


「………アルベルト」


小さな呟きは、人々の声に掻き消された。



「注目してください!ここに居るのは本日のメインディッシュ、ニーナ!」

「はぁ~若い女の子、久しぶり。たくさんフレッシュな血液を頂戴ね!今日はヒート期間中だったから苦しかったけど、その分いっぱい吸っちゃうわ」

「…………、」


群衆が手を叩く音、叫ぶ声で耳が破裂しそうだ。

誰かが投げた空き缶が頭に当たって後ろに落ちた。


リリーが私の前に回り込み、制服のボタンを外していく。口笛を吹いて囃し立てる声が大きくなる。どんな顔をしていたのだろう。もしかすると、私はもう諦めて笑っていたかもしれない。


2本の鋭い歯が、首筋に刺さる。


そうか、結構痛いんだ。

注射器より全然太いもんね。こんなことを毎回アルベルトは受け入れてくれていたんだ。


私が自動販売機でジュースを買うぐらいのノリで頼んでも、嫌々ながらも応じてくれていた姿を思い出す。こんなことなら、もっと感謝を伝えておけば良かった。


ジュルジュルと血が抜かれていく。目に見えて身体のバランスが崩れていくような感覚がある。もう目を閉じても良いかもしれない、と思っていたら、人混みの奥が俄かに騒がしくなった。



「自警団だ!!!」


誰かが叫んで、その背後で一際大きな叫び声が上がった。

朦朧とする意識の中で目を凝らす。


割れた群衆の中心に、ティル・ノイアーが立っていた。



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