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12.はじめてのヒート



その日は、目覚めた時から身体が異常にだるかった。


相変わらずソファの上で眠らされている私は、痛む背中をさすりながら準備のために洗面所へ向かう。顔を洗った時の水の冷たさが心地よくて、少しだけ気分は良くなった。


これまた国から支給された便利な化粧品で軽くメイクをしていると、まだチークも入れていないのに変に赤く色付いた頬が目に入った。



「………風邪?」


熱はなさそうだ。喉も痛くないし。

強いて言うなら身体が重たいぐらい。


気にせずに、口紅を塗っていると、せっかちなアルベルトが外からノックして来る。


「長いんだよ、さっさと場所交代しろ」

「何よ、まずはおはようの挨拶でしょうが」


言いながらドアノブを引くと、私を見た瞬間にアルベルトの表情が硬直した。


「………お前、」

「何?もういいよ、使って」

「来るな!俺に近寄るな、下がれ!」


よく分からないまま、言われた通り洗面所の方へ戻る。


アルベルトは片手で顔の下半分を押さえたまま、少しずつリビングの方へ後退して行く。その目は大きく見開かれていて、何かに恐怖しているようだ。



「いいか?今日は絶対に家から出るな。研修の帰りに薬を貰ってくる。それまでどこにも行くな、誰にも会うな、誰か来たら無視しろ!」


すごい勢いでそれだけ伝えると、アルベルトは私に洗面所へ戻って待機することを指示した。


鍵を掛けて外の音に耳を澄ますと、バタバタとアルベルトが準備する音が少しの間続き、やがて静かになった。



「何なのよ……」


深呼吸をして、いそいそとリビングに戻った。


幸い冷蔵庫にまだ多少の食べ物はあるし、食事の面では困ることはない。ここ数日の経験上、訪ねてくる人も基本はいないはずだ。


悠々自適なサボリライフ。


今日はアルベルトの居ない一人の生活を満喫しよう。もうゴロゴロしていても文句言われないし、彼の貯め込んだアルコールを盗み飲みしても何も言われない。最高。



「せっかくだし洗濯でもしようかな~」


身体はだるいけどそれ以外はパワフル元気なので、るんるん気分でソファのカバーやキッチンクロスをバスタブに放り込んで行く。


三種の神器の一つである洗濯機もこの世界には当たり前に存在しないので、すべて手洗い。私が来るまではこの工程をアルベルトが一人でしていたのかと思うと、笑える。生活能力が低そうな彼のことだから、金に物を言わせてメイドを雇っていても不思議ではない。


放り込む、洗う、濯ぐ、干す、という一連の動作を何回か繰り返して、もう家中のものを綺麗にしたのではないかと満足感に浸りながら、アルベルトの部屋へ向かった。せっかくだから、彼のシーツやお布団も洗ってあげようと思ったのだ。


本当に心からの親切心で。




「………っ、!」


扉を開けたと同時に強い目眩に襲われる。


理性が飛んでいきそうなぐらいに身体が熱くなって、床にしゃがみ込んだ。手足に力が入らない。コントロールの効かない身体が怖くなって、涙が溢れてきた。


「これが…ヒート……?」


主の居ない部屋に小さな声が響く。

そこにアルベルトは居ないのに、あらゆる物から彼の匂いがするし、すべての物が彼の存在を主張していた。


よろしくない。

これは、非常によろしくない。


またアルベルトのベッドの上で失態を晒すわけにはいかず、そんな姿を彼に見られたら今度こそ終了だ。なんとか身体を引き離して、廊下へ倒れ込んだ。洗濯なんてしている場合ではない。


そのまま、這うようにリビングまで戻って、鞄の中身を床にぶち撒けた。逆さにされた鞄から、透明の小瓶が床に転がる。飛び付いて中の錠剤を口に放り込んだ。


苦い味が口の中に広がっていく。



「……ん…っは、」


だんだんと気持ちが落ち着くのを感じながら、自分の呼吸に集中する。


大丈夫。もう、大丈夫。

思考はかなりクリアになった。まともな判断も今なら出来る気がする。シシリアの気遣いに感謝だ。


瓶の中にはまだ半分ほど錠剤が残っている。どれぐらいの頻度で飲めば良いのか分からないが、自分を見失いそうになった時には即座に飲めるようにした方が良さそう。


御守りのように、小さな瓶を握り締める。

どうか、まだ、私を人間で居させてほしい。




◇◇◇





アルベルトは日が暮れてから戻ってきた。


ヒートと知りながら、こんな時間まで私を放置するなんて何事か。私がもし誰かに襲いかかったり、襲われたりしたらどう責任を取ってくれるんだろう。


ガスマスクのようなものを付けて、完全防備の姿で薬の入った袋を手渡すアルベルトを睨み付けた。



「一日三回、食事後に一錠だ」

「なにそのマスク?」

「俺なりの対策だよ」


どうやって食事を摂るのかと、目で追っていたらアルベルトは冷蔵庫からビール瓶とソーセージの袋を掴んで、自分の部屋へ戻って行った。


食事も同席したくないということね。



しかし、大きな足音を立てて廊下を突っ切り、アルベルトは再びリビングへ顔を出した。大袈裟なガスマスクは部屋で脱いだのか装着されていない。


「お前、俺の部屋に入ったな!?」

「洗濯しようと思って……」

「俺を殺す気か!」

「はぁ?結局洗ってないし、人の親切心になんてこと言うのよ!」

「お前の匂いが部屋に充満してんだよ!」

「換気すれば良いでしょう、換気!」


怒鳴り散らして、アルベルトはまた慌しく戻って行く。


その姿はどう見ても絶対に聖人ではなくて、あのお淑やかで優しい聖女のシシリアがどうしてアルベルトと共に居たのか、という謎は更に深まるばかりだ。



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