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何故に彼等はこうなったか  作者: 湯ノ村
御手洗神社の某は名乗りたがらない
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かいこう

 これが微笑みというのなら、そう呼んで差し支えない。ただ、視線の定まらない女性の様子からして、迷いがあけすけになる。


「そうですねぇ」


 しまいには口元に手が当てられ、姓名判断による先立つものを求めていないようであった。このままでは、踵を返して俺の前から立ち去るのも時間の問題だ。しかし、一方的に話を続ければ、商人の粘りを帯びて胡散臭い営業人へ成り下がる。


「押し付けがましい青二才の口車に嫌々乗せられる必要はないですよ。大事なのはご自身の意志なのです」


 巫女の余計な助言を前にして、あくまでも聖職者の顔を保ちながら、穏やかではない心中とどうにか折り合いをつける。そんな最中、思いもよらぬ言葉が耳に飛び込んでくる。


「そんな、無理やりじゃないです。神主さんが言う通り、名前は大事だから」


 言い尽くせぬものがあるかのような含蓄ある笑みを湛えて、姓名判断を無下にする心根の人間ではないことを確認した。俺はそんな女性の手を引くように誘導する。


「こちらへ」


 拝殿の縁側に腰掛けてもらい、ペンと紙、姓名判断に関する資料の用意に走る。まとまらない息を引き連れ、細めた目で日差しを色香に変える縁側の女性の元へ戻った。


「本当なら、赤ん坊が産まれてきてから、行うことですので、字画の良し悪しを判断する程度のものと思ってください」


「わかりました」


「それでは、名前を」


 俺はペンと紙を女性に渡す。滑らかな書き出しで苗字を「中島」、と綴った。その瞬間、瓶底眼鏡の文目もしれない景色を見た。玉の汗がいくつも顔を転がり出し、過呼吸気味に胸が膨らんでは縮む。もはや正常な状態とは言い難い身体の状態に追いやられ、俺は口を滑らせた。


「落太郎、なんて如何ですか?」


 呆気にとられた女性が書き動かしていた手は止まり、巻き取るものがなくなったゼンマイ仕掛けの玩具のように黙り込んだ。


 途中で筆が折れたかのように完成を見ない名前は、灰皿の中で荼毘に付した。血の繋がりを疎み、何者でもないと悲嘆していたはずの俺は、あの人を前にして酷く狼狽し、恨言の一つだって吐けなかった。


 顔を朧げに覚えている程度の埃の被った記憶は、逃れられない楔のように思い、長年蓋をしてきた。それが思いがけず開いてしまった。息も覚束ないぐらいのこわばりが生まれて当然だろう。


「なぁに、とぼけた顔してんの」


 巫女の指摘を受けたのは、それから数日後のことだった。悪戯好きの神様が起こした外連味たっぷりな再会を、俺はいつまでも引きずっていた。


「もしかして、恋煩い?」


 勃然に怒るというより、薄ら寒さが身体を駆っていく。


「やめてくれよ。冗談でも気分が悪い」


「いや、珍しいと思ったから。そんな顔をするなんて」


 どうやら俺は今まで深刻な顔をして頭を悩ませたことがないらしい。


「あの人だ」


 巫女が石階段の方を見て、そう言った。俺の視線もそぞろにそっちへ向き、快活な挨拶に肝を冷やす。


「こんにちわ!」


 俺は直ぐに本殿の方へ早足で歩き出す。巫女と良好な関係にあることは、背中越しに聞こえてくる話し声から察した。


「身体の調子はどうですか?」


 それは長物な世間話の入り口だ。本殿の誰の目にもつかない裏手で煙草をふかす。聖職者の風上にも置けない煩悩の塊は、俺の出自に起因しており、やはり血は争えない。


 風が吹き抜け、地面に落ちる葉の影が騒がしく踊った。夏になると、ここは避暑地になる。本殿の無防備な背中を守るように植えられた木々は、冷たい風の抜け道になり、憩いの場所として利用してきた。


 それにしても、女性の声というのはどうしてこう、遠くまで響いて聞こえてくるのか。性差を峻別し、逢瀬を育む手掛かりに声色すら考えて神様がお作りになられたのなら、それはそれは深慮なことである。俺は神社の裏で会話が途切れる隙を伺えるのだから。

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