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詭弁家と聖女とありきたりな脱獄劇 8

 どこか空と海の見える知らない場所。

 

 一つの墓標の前に少女は座り込んでいた。


 その姿は彼女の、今様子よりも幾ばくか未来の姿に見えた。


 きっと明日や明後日の事ではない。 少し未来の話だ。


 少女は泣いていた、声を殺して。


 周りには誰もおらず、海風と波が繰り返し音を立てるだけで、隠すべき相手も居るはずもない。 

 

 深く、強く泣いていた。


 涙に色があればそれはここで調べるのが良いだろうと言うほど、涙が流れていた。


「どうして……」


 喉の奥でえずくように言葉が漏れる。


「なんで……」


 それに答える者はどこにもいない。


 ――少女は気が付くと見知った場所に居た。 目の前には鎖に繋がれた男が座っていて、自信を囲む壁と天井は酷くひび割れていて苔の匂いがあたりを舞う。

 ユリは眼前の男が気まずそうに言葉を繰り返す段で、やっと正気を得た。


「――忘れてくれ」


 その言葉が引き金となって少女は、一瞬で先ほど自分が見ていた夢、といっても悪夢に違いないが、の記憶がだんだんと薄れていくのを感じた。

 

 そう、忘れていく。 自分が何故泣いているのか。 どうして目の前の男は焦っているのか。 どうして目の前の男から目を離せないのか。 その総てを忘れていく。


「何がですか? 」


 目元を拭ってユリは言う。 何を、というのは明確なことで、多分自分の目元が何故か湿っていることについての話だ。

 

 何故か、悲しい。


「いや、なんでもない、それこそ忘れてくれ」


 レオナルドはそういって話を誤魔化す。

 誤魔化し切れればいいなという願望を伴って。


「それで、私の未来を見てくれるだとかなんとか」


「あーそう。 そう、そうだよ未来。 アンタの未来」


「やってみてくださいよ。 すこーし、少しだけですけど気になります」


 そういってレオナルドはユリが正気に戻ったことを確認して、これまた今までで一番申し訳なさそうに言葉を続けた。


「先に謝っておくがすまない。 これはいろんな事情があってな、予言と言うよりも決まっている未来の話だ。 同時に贖罪というか、それを変えるための提案というか――」


「いいから結論からお願いします」


「アンタは今晩攫われる」


「えっ?」


「違う、違うんだ、そう、だからそうならないための提案だ」


 男は女の涙に弱い。 出会ったばかりの相手であっても、だ。 これもまた養父が言っていたなとレオナルドは思い出す。


「どういうことですか」


 気まずそうにレオナルドは続ける。


「違うんだ。 先に言っておく。 さっきも言ったけど俺は無実だ。 そのための交渉というか段取りという塗擦かそのためにアンタの身柄が必要なんだ。 だからここに入れられるまでの道中で知り合いを何人か手配した。 多分ばれてない。 だからアンタが来た。 そういう話だ」


「つまり、私を誘拐して、どういう風にやるかは知りませんがそれで貴方の無実を示すまでには行かなくても、ここからは出られるようにすると、私を、私を使って。 そういうことですか? 」


 自身の身体が、少なくとも危険にさらされる公算は低いにしても一時的に他人に拘束されるというのにユリは酷く落ち着いていた。 ひとしきり感情が揺さぶられたからだろうか。 彼女は今までに無いくらい落ち着いている。

 傍から見れば、屠殺前の家畜が「あ、僕今から燻製肉になるんですか? 」と聞いてくるような違和感と不気味さがある。


「あ~うん。 そう、随分話が分かるようで助かる」


 主席ですから、と聖女は誇らしげに胸を張る。


「それで、私が怖い目に会うからごめんなさいってことですか」


「いやぁ、それなんだが、ちょっとプランが変わってな」


 変わった、と言うより変えた。 

 レオナルドがそのことを教えるわけも無く、話を続けた。


「だから今日はいつもと違う道でも、普段と違う時間に、そうだな歩いて帰るとかどうだ。 そうすりゃ場合によっては目立ちにくい」


「そーして貴方のお仲間の何某に捕まらないようにしろと、そう言う事ですか」


「有り体に言えばそうなる。 馬鹿な話だよな、折角ここから逃げ出す算段がついたって言うのにな。 別の策を考えるよ。 本当に損な役回りだ」


「馬鹿な、というのは私が修正しましょう。 私の事を案じて教えてくれたのですよね。 ここは聖女らしく、良心が芽生えたのですね、とでも言っておきましょう」


「ソイツはおありがたいことだな」


「ええ、全く」


 そうして彼らは出会ってから初めて真の意味で笑いあった。


「ところでアンタ――」


 レオナルドがそう言うのをユリが制す。


「そのアンタって言うのやめてください。私にはユリって言う大事な名前があるんです。 どうしてもと言うなら聖女様と読んでくださっても構いませんが」


「悪かったなユリ様」

 

「分かっててやってますよね」


「なんのことだが」


 レオナルドは戯けてユリに笑いかける。

 少し前まであった緊張感や重たい空気はどこへやら、と言った様子で二人の間にはお互いを悪意無くからかい合うよな時間が流れる。 

 それはきっと、レオナルドとユリがここでは無いどこか、今では無いいつかに出会っていたら訪れなかっただろう時間だ。

 暖かくて、ゆったりとしていて、はじめのお互いがお互いを警戒して居たときとは違う時間が。


 それからレオナルドが、外の世界のことや自分の仕事のことを話していると幾らかの時間が過ぎた。


 遠くから足音が近づいてきた。


 ユリはレオナルドの退屈な教訓めいた話とは違う、わくわくするような世界の話に聞き入っていたせいでその足音に全く気がつかなかった。 


 その足音が何を意味するか。話し手で気づいていたレオナルドには明らかだった。 聖女の迎え。 それを告げているのは考えるまでもない。

 通路、といってもそう長いものではない。 万が一、囚人が逃げ出したときのために少しでも時間を稼ごうと本来の必要な長さよりも少し延長されているだけだ。

 息を止めて端から端まで歩けるほどに短い。


「随分と楽しそうじゃないか」


 足音がすぐ近くまで来て止まる。 

 聞き覚えのある声だった。 

 レオナルドの今朝の、あの屋敷で少し言葉を交わしただけだったが、それでもこの事態をもたらした原因になった男の声だ。


 そして同時にその声をユリも知っていた。


「アーノルド? 」


 肩越しに聞こえた声にユリは反応を示す。


「知り合いか? 」


 そうで無ければ嬉しいのだが、と幾らかの叶わぬ期待を乗せてレオナルドは問う。


「昔馴染みだ」


 アーノルドは単調に告げる。

 それからアーノルドは二人分の食器が床に置かれ居るのを目端に見ると咳払いをして


「時間です聖女様。 それからあなたはそれなりの立場と身分というものがあります。 このような場所で食事をとられては困ります」


「ねえ、アーノルド、そんな喋り方しなくてもここには誰も居ないし……」


 ユリが続けようとするのをアーノルドが視線で制する。 そこに一人居るだろうと。 


「違うの、レオはいい人なの。 私が素を出してしまっても変に思わないし……本当に彼が人を? 」


「ああ、本当だ、ユリ。 これは王室付きの捜査官としてではなく、君の古い友人として提言するがソイツと仲良くしようとか考えるな。 ソイツは明日罪を償って死ぬ。 酷な言い方かも知れないがそう言う男だ」


「らしいぜ聖女様」


「ねえ、レオも……」

 

 ユリがレオナルドを再び愛称で呼ぼうとしたのを聞いてアーノルドが檻の中に入っていく。


「行きますよ聖女様迎えが来ています。 それと、刑の執行は明朝だ。 覚悟しておけ」

 

 アーノルドがユリの腕を持って無理矢理立たせる。 それから彼らは別れの言葉を交わすことなくその場を立ち去った。

 監獄の、門のところまで来てユリはようやく口を開く。


「ねえ、本当にレオは人を殺したの? 」


「だからそうだと言っているだろう、だからああしてあそこに居る。 難しい話か? 」


「でも納得がいかないの。 何で捕まった次の日に絞首刑になんてなるの? ちゃんと調査とか取り調べとかしたの? 」


「いいか、ユリ。 そう言うのは俺たちの仕事だ。 それが正しいとか間違ってるとか、上手く行っているとかいないとか。 そういうことをユリが気にすることはない。 いいか? 分かったら今日は大人しく帰ってくれ」


「答えて! 本当にレオは人を殺したの? 」


「だからそう言うのは警官の仕事だって――」


 アーノルドが言い終わるよりも早く、ユリは一人出歩きだした。迎えの馬車の待っている方向とは違う方向に。


「今日は歩いて帰ります。 明るいうちに帰るので護衛の方も結構です」


 馬車の御者の方を見ることもなく、普段の立ち居振る舞いからは想像つかないほどに不躾にユリは歩き続ける。


「全員今のは見なかった、聞かなかったことにしろ」

 

 アーノルドは、一つ増えた書類仕事に今日何回目かの溜息をつきながら詰め所の方に歩いて行った。


 もうすぐ四時の鐘が鳴る。

 

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