詭弁家と聖女とありきたりな脱獄劇 7
「俺がアンタを外の世界に出してやるから、アンタが俺をここから出すのを手伝ってくれ」
ユリはそのレオナルドの言葉を聞いて自分の耳を疑った。
先刻までの自分を連れ出してくれ、という話では無くお互いがお互いを連れ出すという話だ。
「どういうことですか? 」
ユリは控えめに、極めて控えめに興味を持ってレオナルドに尋ねる。
自制された、心の深いところで外の世界を見てみたいと、そう思っていた。
「アンタ、海を見たことあるか? ああ、港とかじゃなくてちゃんと泳げる砂浜の話だ」
「ありませんが……」
一体何の話が始まったのだとユリは訝しむ。
「行きたくないか? 」
「えっ? 」
もちろんこのまま聖女の仕事をしていれば、いつか行くことはあるだろう。 仕事として。
砂浜について、ユリも人伝いには聞いたことがある。
砂と言ってもこの街の路上にあるくすんだ色の堆積物では無くて、一面黄色くて、踏みしめると心地よい音と感触を感じらるらしい。
たまに食事に出る貝や魚が自由に泳いでいて、人間も誰のものでもない広く青い水中を好きに泳いでも良いらしい。
遊びに行ってみたい、というのがユリの正直な感想だった。
「いえ、全く」
「俺もさ、行ったことは無いんだけど結構いいもんらしいぜ。 取り立ての魚をその場で焼いて食ったり、砂の像だって一緒につくろう」
「結構です」
とユリは強がって言う。 酷く強がって。
「じゃあ空をとばないか? 鳥みたいに」
どうやってだろう、とユリが考えていた。
飛ぶ、跳ぶ、トブ?
人の身でかつて空を飛んだ人間がただの一人は居ないことをユリは知っていた。 だからどうやってとぶというのか。 可能な限り高い所から大きな帆をつけた船で飛び降りるのか。 大きなテコを使ってただ空に向かって跳ぶのか。
ただそのどちらも、あるいは頭の中に思い描いたそのいずれもかつていかれた先人が試みて失敗に終わったことは周知の事実だ。
だからどうやって、という一点においては非常にユリの興味を引いた。
雨が天に向かうように、犬は子猫を産むように。
当たり前のルールを破るような方法がいかなる物かと、ユリはレオナルドを見つめる。 もしかしたら彼ならば可能なのではないかという風に。
しかしレオナルドは揶揄った声で続けた。
「悪い、今のはウソだ。 俺もやり方は知らない」
ユリの少し下がった眉を見てレオナルドは笑う。
「まあ、どうしてもって言うのならやり方を見つけてやるよ。 約束する」
「詭弁です」
ユリは自分の一瞬とはいえ思い描いた可能性が総てあり得ないことだったと気づいて、強くレオナルドの言葉を否定する。
存在しないものを見つける約束をする。
叶うことのない約束だ。
「まあそれで飯を食ってるからな。 誉め言葉として受け取っておくよ」
幾らか沈黙が流れて、少しの時間が流れた。 その間どちらから口を開くことも無く、ただ静寂が続いた。
「あの、私そろそろ……」
先の話は何も聞かなかったことにして帰ろうと、同時に長く続く沈黙がもたら気まずさをどうにかしようと聖女が控えめに声を出す。 勿論彼女の仕事は死を待つ彼へ最後の祈りを捧げるという仕事であって、ここに来てからただの一度もその素振りを見せることすらなかった。
だから本来ユリはこの場に居続ける必要は何一つとして無い。 退屈をごまかすように壁の模様を見つめたり、この後の夕餉について考えたり、そもそもなぜ自分がココに居るのか考えて時間が過ぎるのを待つことも無い。
「手伝ってくれる気になったか? 」
「そんなわけないじゃないですか」
そう、そんなわけがない。
レオナルドが幾ら策を弄しても、レオナルドが幾ら一見論理的には正しさが無いことも無い話をしても、荒唐無稽な外の世界の話をしても、ユリの心情が変わることは無い。
この交渉めいた何かにはいかなる影響もない。
そう、そのはずだった。
「そりゃそうだよな。 いくら外の世界に憧れを抱く自堕落な聖女様だって、ただの犯罪者擬きに説得されるはずが無いよな」
レオナルドはそれまでの、ユリを揶揄ったりするような笑い方とは打って変わって、どこか悲しそうに笑みをこぼす。
それはそうだと。 そんなことはハナから知っていた、と。
「だからここまで俺の話を聞いてくれた礼に、アンタの未来を一つ予言してやろう」
と、レオナルドは不敵に笑う。
「予言ですか? 私もそれくらいならできますが」
そう、ユリは誇り高き星教会所属の聖女だ。
科学が世界を支配する世になってもしかし、幾らかの秘術あるいは魔術と呼ばれる技術は密かに継承されていた。 だからそれなりに神と呼ばれる連中の加護とやらを全身に享受する彼女にはその才能が有った。 生来の適正だ。
だから彼女は史上最年少で聖女の位に就き、だから聖女はこういった「誰が行っても大差はないが、仕方なく誰かが行くしかない臨時の用向き」に割り当てられた。
聖女は両の手を合わる。
眼を閉じて、心を無にする。
ここではない未来、あるいは過去。
何一つとして代り映えのしない繰り返される退屈な日常と誰も知らない、何もわからない、何かの拍子に世界が滅んでしまうかもしれない未来の一かけら。
聖女は世界を思い描く。 頭の中に世界を作りだす。
再び少しの沈黙が流れて、聖女はゆっくりと目を開く。
「見えました」
「どんな未来だ? 」
レオナルドは興味ありげに聖女の口元を見つめる。
次に一体何を言うのか。 神とかいう存在に何の執心も無ければ、そもそも狂言だという程度にしか考えていないレオナルドにとって、その芸当が一体どういうものなのか。
下層の労働者が神託という奴を願えば、一年の稼ぎの総てを使っても足りない。
だからレオナルドにとって、生まれて二十余年の人生で初めての経験に興味津々であることは彼自身にも否むことができない。
「いや、これは……」
そう言ってユリは少し戸惑ったような素振りを見せる。 ここに来て、レオナルドが彼女にとってわけのわからない話や、突拍子もない話をした時とは比較にならない程に。
「どうした、言えよ」
「無理です、言えません。 言いたくないです」
そうしてユリは意固地な様子を見せる。
「どういうことだ? 」
そうなるとレオナルドも意味が分からない。 ユリは勝手に未来をみて、勝手に悲しそうな顔をしている。 何かの交渉事かと考えたが、レオナルドからしてみればユリがそんな芸当をできるタイプ、少なくとも数年間それで生活をどうにかしていた彼にとって、にも見えなかった。
「いいから話せよ。 金でも取るか? 」
レオナルドはまた揶揄うように言う。
「言いたくないものは言いたくありません」
ユリが顔を抑えてうつむく。
レオナルドの視点から辛うじて、目元から名前も知らぬ液体が流れるのが見えた。
ああ、不味いな。
レオナルドはどこで間違えたかと思考を巡らす。
多分、この場に観客なりなんなりが居て、レオナルドが何かをしたかと問えば、何もしていないと言うだろう。
彼女が勝手に未来を占って、そして泣き出した。
意味が分からない。
何一つ推測も上がらない。
色々な事情はあれど、出会ってそう時間もたっていない女を泣かせた。
恋人か妻ならまだしも、出会ったばかりの女を泣かせるなと、いつかの養父の言葉をレオナルドは思い出した。
どんな道理があってもそれだけは駄目だと、珍しく彼の養父は理屈抜きに語った。 最も、彼は生涯独身であったが。
レオナルドはユリと同じように困った表情で固まる。
一体どうすれば良いのか。
二人の間にかなり気まずい沈黙が流れる。
「あー、いや、その、えーと、悪い。 すまなかった。 なんか、その、アンタの身内に何か、いや悪い、忘れてくれ」
二人の間に数瞬前とは比べ物にならない程の重い沈黙が流れる。




