詭弁家と聖女とありきたりな脱獄劇 6
首都の一日の始まりは酷くけたたましい。
短い針が六を指し示す頃には、狭い生活道路を無理やり抜ける馬車の嘶きがアーノルドの目を覚まさせる。
「もう朝か」
ベッドの上に横たわりながら、アーノルドは窓の外に一瞥をくれる。
農耕地帯では刈り入れが終わって、渡り鳥たちは南に向かう。
外を歩く人々の半分は外套を身に着けていて、残りの半分は寒そうに腕を抱えている。 まだろくに太陽が仕事を始めていないのだから、人間様も同じくまだ、眠り続けているべきだろう、と彼は思う。
アーノルドは眼を擦りながら身支度を始める。
トリシア王国王室警備部三等捜査官。
若干二十歳でアカデミーを飛び級卒業した彼がその職を得たのは二年前だ。
国の治安維持組織を管理する側の立場に史上最年少で就任、それなりに優秀で上司からの信頼も厚い。
その仕事の総てが合法だとは言えないが、それでもトリシア王国を愛するアーノルドにとっては誇りをもって取り組めるいい役目だと彼は自負している。
始業の四半刻前にあってアーノルドは下宿の戸締りを確認すると家を出る。
七時を少し過ぎた頃には大衆の一人に彼も加わった。
「おはようございます」
アーノルドは職場の扉を開いた。
首都には幾十幾百の警察官たちの詰め所がある。
そこの一つがアーノルドの今の職場だ。
王室警備部と言っても本当に王室自体の警備をするのはごく一部で、殆どの人員は各地域各部署の管轄をするという立場にある。 だから自身よりも二十も三十も年上の若者が急に自分たちの直属の上司となるのだから現場からの反感は当然のことだ。
そうなってくると捜査官たちはどちらかの立場をとることになる。
懐柔か抑圧か。
「あ、アーノルドさんおはようございます」
「おはよう、アーノルド捜査官」
「あ、アーノルドさん、次の休みってお暇ですか? 」
懐柔という奴だ。
先任の捜査官がどうやらその逆だったみたいで、若い警官たちには存外強く懐かれてしまった。 それが職務中の円滑な連携に役立っているのならばと、アーノルドは少しなれなれしくもある彼らの態度に目をつぶることにした。
「悪いが休日は行かなければならないところがあってね」
アーノルドは若い女の事務員にそう告げる。
「そうですか、それは残念です」
女の事務員が大げさにそう言うと、何回目かのお誘いの失敗をまわりの同じく若い事務員たちが慰める。
「おはようございますアーノルド捜査官。 ランク捜査官がお呼びです」
タイミングよく若い警官がアーノルドのもとへやってくる。 デートの誘いを断った相手と暫く談笑をする気も起きないので好機という奴だ。
「伝達ありがとう」
詰め所のロビーを抜けて扉をさらに三枚ほど抜ける。 それから一番奥の、ランク二等捜査官と看板の立てかけてある部屋の前に立つ。
扉を軽く何度か叩いて、中から返事が返ってきたのを確認する。
「失礼します。 アーノルド三等捜査官参りました」
「始業前にすまないね。 掛けてくれたまえ」
ランクが着席を促すとアーノルドはそれに従う。
「それで、どういったご用件でしょうか」
「ああ、二つほど仕事を頼みたくてね」
そうしてランクは目じりに年相応の皺を浮かべて指を二本立てる。
今年で四十五になる壮年の、見るからに優しそうなこの男性こそがアーノルドの上司で、この詰め所の実質的指揮官ランク・オリバー 二等捜査官である。
二年前にアーノルドがこの職に就いたのと同時にこの職場に移動してきた。 経験も豊富で、温和な性格。 前任者の評判とは打って変わって、警官たちだけに留まらず、周辺住民や荒っぽい職人稼業たちからの評判も厚い。
有り体に言えばいい人だ。
だがアーノルドは彼のことをあまり好いては居ない。
二十年現場一筋で野心の欠片も出世欲も無い。 少しでも業績を重ねて早く中央の、王室に直接かかわる仕事につきたいと思っているアーノルドとは点で真逆の考え方をしている。
少し冷めた珈琲を啜ってランクは続ける。
「まずは最近力をつけているケイオスの話だ」
ケイオス。 ケイオス商会という表向きは鉱山地域での交易で儲けている組織の元締めだ。 そう、表向きは。
アーノルドたちが担当する管轄内にも二つの賭場を合法的に構えていて、更に違法性の塊のような青天井の賭場を一つ営業している。
合法な方はしっかりと納税していて、彼がどんな犯罪者だとしてもそのビジネス自体は極めて透明なものだ。
問題は残された方。
「スモークハウス、ですか」
鉱山地域に卸すための製品を作っている燻製場の地下にある表向きは合法の賭場。
しかしその敷地規模と客の入りからして明らかに納税額が少ないのだ。 しかも地下にあるせいで遠巻きに窓から見張ることができない。
「自分もなんどか取り調べたんですけどね」
だが実際取り調べたところで、ほかの店より還元率が高いからとか、素人のディーラーを育てる目的で営業しているからとかノラリクラリと躱され続けている。
「もうすぐ冬を迎えて経済の動きが鈍くなります。 皆にたまには特別褒賞を取らせてあげて、温かく過ごしてもらいたいものです」
と、警官たちの生活を気遣うようにランクは言う。 勿論それが総てではないことを知ってはいるが、その言葉が総て嘘でないとも知っている。
だからアーノルドは何とかしてみます、と前向きな言葉を返した。
「それともう一つですが、第三王子の話は聞きましたか? 」
「いえ、何も」
何も、と言ってもその実アーノルドはある程度の目算はついていた。 女遊びが激しく夜な夜なお忍び、と言っても隠すつもりはないが、街に降りて来ては美女を侍らせて飲み歩いたり、気まぐれに女を買ったりしていると、誰もが暗黙の内に知っている。
ランクは腕を組みなおして続ける。
「その第三王子が大分不味いことをやらかしてしまってね」
ああ、最悪だ、とアーノルドは察してなんとか溜息を我慢する。 密造酒の元締めか盗賊でも捕まえれば当然その人の功績になる。 現場の仕事と言えば犯罪者を捕まえて、投獄する。 そうすれば点数が付くし、周りからも評価も受ける。 だからアーノルドは言ってしまえば目立つような仕事が一番にとって価値がある、と考えている。
しかし王族絡みのスキャンダルとなれば別だ。 その尻ぬぐい。 当然世間に出せない仕事で部下たちには詳細を教えることすらできない。 適当なカバーストーリーでごまかすしかない。
従ってその手間と面倒なところと比較して受ける利益は無いに等しい。 国のために尽くせという奴だ。
「詳細をお願いします」
話をまとめるとこうだ。
名前を呼ぶのも憚られる件の第三王子とやらはその日もいつも通り街に繰り出して遊んでいた。 そこで一人の女を買って一晩を過ごした。 どうやら随分といい女だったようで、話してはいけないことまで漏らしてしまったらしい。
だからその女を消す。
勿論表向きには街のゴロツキがやったことにせねばならないので、違法金利で金を貸している男を強請って協力者を用意した。 数年は太陽を拝めない協力者だ。
「それではよろしくお願いしますよ」
今頃別の協力者の所有する邸宅で眠っている、と付け加えられて、まさか今すぐにとはアーノルドも予想はつかなかったようで珍しく表情を崩す。
「念のために二十人ほど連れていきます」
「もう既に事件が発生していることになっているので、そろそろ邸宅から使いが来ますよ」
なんと正確な体感時間と構成だろうか。 急に詰め所内が騒がしくなる。 ああ、この人もこちら側の人間であることに変わりはないのだったと思い出してアーノルドはその部屋を後にした。
「ジーク、ドワーズ、隊をまとめろ三分後に出る。 ジークが指揮を取れ。 ケイトリン、通報者に詳細な聴取を。 パイク、馬の準備は滞りないか? 」
アーノルドは各所に指示を飛ばして準備を急ぐ。
あの爺せめて前日に言え、と口内をはい回る苦虫をつぶして呟くとアーノルドの一日が今日も始まった。




