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詭弁家と聖女とありきたりな脱獄劇 2

 死神の取り分というのがある。

 人が死ぬと身体が幾らか軽くなるらしい。


 そう昔養父に教わったことをレオナルドは思い出していた。 どうも世間ではそれを現実逃避と呼ぶのだとか。


 人間というのは想定外の一歩上を行かれると案外冷静でいられるらしい。 

 だがしかし、ロクデナシのレオナルドも流石に死体と一晩を過ごしたことは初めだった。


 ずるずると身体を起こして死体の整った顔を見つめる。

 頭を抱えて死体のメリハリのある身体を見つめる。

 死体、というよりもぐっすりと眠っているだけの金髪美女であれば何度考えたか、数えるに能わない。

 レオナルドは死体を身体の上から横に動かし、あるいは落とし、目を閉じて曖昧な記憶の欠片を寄せ合わせようとする。


 一体なにがあったのか、昨夜のことを思い巡らす。


 白髪交じりで小太りの暴利貸しのエドウィンから受けた仕事で、二軒の取り立てを終える頃には日が暮れていて、追加の仕事だと言ってパブへ連れていかれた。 飲み相手が欲しいだけで冗談交じりに誘ったわけだとレオナルドは勝手に解釈して二つ返事について行ってしまった。


 ああ、それが分水嶺だったのだろう。


 普段はその頭の回転を買われて仕事を貰っているが、酒だと言われると随分と気が緩む。 

 そこがレオのいいところさ、と言う友人も居るが、そもそも彼に友人は二人しかいない。

 

 落ち着こうとしたのか。

 落ち着いているふりをして誤魔化そうとしたのか。

 レオナルドは手の届くところに有った愛煙の煙草に火をつける。

 火をつける拍子に下手に肘を動かしてしまったからだろう。 女の死体がベッドから転がり落ちる。

 

 赤い色の絨毯に死体の口内からこぼれた液体が新しい模様をつける。 改めて部屋を見渡すと、何一つとして見覚えがないことにレオナルドは気が付いた。

 死体の方に目をやる。 

 顔に長い金髪がかかっていて少し見えずらいが、この部屋で唯一見覚えがあるな、とレオナルドは思い出した。 


 見覚えがあるが名前もわからない冷たくなった女。

 知らない寝室。

 曖昧な昨日の記憶。


 そのうちのいずれもが幸運を運んでくることは無いのだと、レオナルドは直感的に理解していた。 

 したくなくても勝手にしていた。


 どれだけの時間か、死体を見つめて、そして目を閉じる。

 これなら大して目立たないだろう、と言い訳がましく呟いて、口直しの一吸いを強めに吐き出す。


「名前は……」と、煙交じりに言葉を吐き出す。


 昨日パブであったことを思い出す。そこで見た女のはずだ。


 最もパブと言ってもレオナルドが普段行きつけるような安酒屋ではなく、中流階級以上の人間がお喋りという名の情報交換を目的に集まる場所だ。

 昨日は新月で、彼らのような飲み屋街をふらつく輩を除けば街灯のない場所を歩く者たちは居ない。

 そういう日だった。


「飲みすぎないように」


 というエドウィンの小言も精々明日の仕事に影響がないようにしろ、という程度の意味だと思っていた。

 だからレオナルドはいつもより一杯だけ少なく済まそうと決め、言いつけ通りに楽しい時間を過ごしていた。

 

 レオナルドの下宿には時計が置いていない。それは仕事柄決まった時間の仕事もなく、起きた時が朝で寝る時が夜。 そんな暮らしをしていた彼にとって体感時間というのは精査するための道具もないため当てにならない。

 だからレオナルドは普段よりも早い時間に店を出ることになったことに気づくわけも無く、せめて月がでていれば、と言ったところだ。


「それじゃあまた」


 そういって奢りの酒を楽しんだレオナルドは帰路につこうとする。


「何を言っているのですか、仕事ですよ」

 

 そういってエドウィンは後ろをついてくるように促す。

 初老に片足突っ込んでいるというのにエドウィンの歩幅は反ってレオナルドの物より有るのではというくらいで、少し目を離してしまえば右に行ったか左に行ったかを見失ってしまう。

 いつもより一杯少なく飲んだはずなのに頭が辛うじて働くと言ったこともない。

 エドウィンが数時間前に言っていた追加の仕事だという発言は字面通りの要求で、レオナルドは手っ取り早く酒を抜くべきか何とか体裁を保つにはどうすれいいかと考えているうちに足音が一つ消えた。


 このままレオナルドがあと数歩進んでいればエドウィンの背中にぶつかってしまっていただろう。


 足音がさらにもう一つ消えて顔を上げると、そこは別のパブであった。 軒先の窓から中の様子を伺うと、どうやら先のパブよりも上等で、中に居るのは誰しもネクタイをしめているような連中だ。


「ここも奢りです。好きに飲んできてもらって構いません」


「俺の恰好じゃあ不釣り合いな店だろ。 エドウィンさん、アンタが入るならまだしも……」


 頭は回らずとも口は回るのが人間というもので、伝えたいことは総て伝わっただろうとレオナルドは片眉を上げて尋ねる。


 それならこちらを、とエドウィンはどこから取り出したかも分からない紺色のネクタイをいつの間にかレオナルドの襟元に巻き終える。


 それから店に入って、どうせ奢りならばと普段は飲まない上等な酒を注文する。 それから何杯か飲むころには普段は関わり合いにもならない連中とテーブルを囲んでいた。


 それから最後の記憶だ。 あの金髪の女だがテーブルに加わって。

確か名前は――


 思い出せるのは最後の乾杯だけで、一向にその名前というのはは思い出せない。

 

 レオナルドは死体の反対側の床に逃げるように視線をやると見覚えのある紺色のネクタイを認めた。

 ああ、どちらを向いてもこれは現実なのだと、強く脳みそを揺さぶる。


 昨夜の記憶を大方取り戻すと、珍しく二日酔いというやつなのか、レオナルドの肉体は純粋な水分を激しく欲する。


 水が飲みたい、とサイドテーブルの埃が膜を張っているコップに手を伸ばす。


 同時、目の前の扉が開いてやっと部屋全体が視界に入る。


「動くな」


 そう言って制服姿の一団が流れ込んでくる。全員の片手には自動式の拳銃が握られていて、あわよくば一発も装てんされていないことを祈るも空しく、一人二人と部屋には次々と青帽たちが駆け込んでくる。

 

 十人、二十人と入って来てもその寝室はまだ十分な余裕があり、随分と広い部屋だな、とレオナルドは人ごとのように考えていた。


 今ここで知らない、と口に出したところで意味はなく、なんなら展開が早まるだけなのはこの場に居る誰にも分かりきっている。 

 灰が価値を失った血染め布団に落ちるのを目端に捉えて、寝起きの頭を加速させる。


 ただの第一発見者の振りをする?

 論外だ。 事実此処にひとり居るとは言え、この世界のどこに死体の横で平然と煙草を吸っている奴がいる。


 自分がやったと、とりあえず認める?

 これも駄目だ。 多分俺じゃないと直感が告げる。死体姦の趣味はないし金を貰っても殺しはしない。


 余計に喉が渇きが強くなる。 額から汗が染みだすのを必死に抑えようとしても身体は言うことを聞かない。


 レオナルドはあきらめ半分に決断をすると、再びコップに手を伸ばす。


「動くなと言っただろ! 」


「火を消すだけだ」


 そうして火種の方をコップの中に投げ入れると、ジュっという音を立てて煙の輪郭が薄まりゆく。 

 煙の残り香が何処かへ行ってしまって、真の静寂が部屋中を支配する。

 

 幾らかの間を置いて静寂を破ったのはレオナルドの言葉だった。


「取引と行こう」


 ああ、喉が渇いた。


 

 



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