詭弁家と聖女と人生で一番退屈な一日 3
「時間が無いみたいだ」
レオナルドは事態の進みがヤケに早いことを危惧していた。
勿論彼も一度は聖女を誘拐して、チップとして交渉のテーブルに乗せるつもりだった。 彼女の身柄事態に価値がある。 だからその命の危険を直接示すというのは言うなれば第二段階だ。
だから第一段階を飛ばすことには損すらあれど、交渉を持ち掛けた側に利益は無い。 道理として通らない。
「だが同時にチャンスは巡って来た」
アーノルドは答える。
そう、関係者の一人が捕らえられたのだ。
ケイオス商会の下っ端が、仕事の跡片付けと言うか尻ぬぐいと言うべきか、不完全な仕事を完全にするために犯行現場に戻って来た。
その時は既にたまたま見回りの警官が事態を把握していて、何人かの警官たちが現場の調査や保全を行っていた。
誘拐事件の現場にやって来た見るからに怪しい男、しかもケイオス商会の人間と来た。
多勢に無勢。 すぐに身柄を拘束された。
その場で孤児院のカトレアや子供たちの証言から犯人であることは確定、そのこと自体もその男は容易に認めた。 それ以外は何一つとして語ることはなかったが、ただ一つ、殺すためと口を漏らした。
「ソイツに会わせてはくれないか? もしかしたら同業かもしれん」
「ああ、無論。 超法規的な事態だ背に腹は代えられん」
急ぐ筋肉の躍動を抑えながら、レオナルドはゆっくりと考えを巡らせながら歩く。
だんだんと出口に近づいてきて、風の匂いが強くなっていく。
この二日間の出来事、その総てが自然とレオナルドの頭の中を巡る。
あの晩歩いた道の光景が思い出せない。
あの晩飲んだ酒の匂いが思い出せない。
あの晩一緒に飲んだ連中の顔が思い出せない。
対して明確に覚えているのはここでユリと出会ってからの事だ。
水瓶の壊れる音、パンの匂い、笑顔で笑うユリの顔。
これは責任だ。
自分が果たすべき責任だ。
金や打算でこなす仕事ではない。
そうして暗い道の最後の一歩、躊躇いのない一歩で外に出る。
「眩しいな」
レオナルドは久しぶりに陽の光を浴びた。
眩しい、それが彼が最初に得た素直な感想だった。
レオナルドは酷く不規則な生活をしているので、何日かカーテンを閉めたままにしていることもあって、何日も陽の光を浴びないこともある。
しかしその光は、普段彼が数日ぶりに光を浴びて抱く、眩しいという感情とは全く違う思いを生じさせた。
眩しい。
レオナルドは生きていて、ユリはその身に危険が迫っている。
昨日とは立場が逆転していた。
「こんな所だったんだな」
レオナルドはあたりを見渡す。
すぐ目の前には自分が吊るされることになっていた縄が吊り下げられていて、木々と一緒に風に吹かれて揺らされている。
それからレオナルドはアーノルドに伴って室内に入り歩を進める。 そうすると自分をあの日取り囲んでいた、見覚えのある顔をいくつか見つけた。
自分たちが捕縛した人間が自由に歩いている。 しかも詰め所内を上司と並んで。
ある者は一度凝視してから視線をそらし、ある者は酷く凝視し、ある者は見なかったことにしようと雑談を続ける。
別に恨みを持つ気はない。 お互い仕事でやってるんだ。
そんな風に警官たちをちらりと見ると肩をすくめて歩き続ける。
「策は? 」
アーノルドは扉一枚直前に立ち止まりレオナルドに尋ねる。
「適当に話を合わせてくれればそれで良い。 そっちこそ大丈夫か? ノブが今にも壊れそうだぞ」
「私は大丈夫だ。 一通り訓練を受けている」
「一体何の訓練だかな」
アーノルドの手の震えは腕の震えへと進化する。 それから半身が、そして全身が、その冷静さを装う目つきとは裏腹に不規則に震えだす。
「怖いんだ、怖くて仕方がない。 この扉が開いてしまうと私は冷静でいられる自信がない」
当然の話だ。 この先に居るのはアーノルドにとって十割悪の男だ。 向こうにどんな正義があろうと、どれだけ理性で考えようとも、多分二秒後には返り血で視界は赤く染まるだろう。
だがそうなってしまってはレオナルドの計画は台無しだ。
男はしばらく目を覚まさないだろう。
そうなってしまえば取りえる策はかなり部の悪いものしか残らない。
「アンタは落ち着いて適当に相槌を返してくれるだけでいい。 扉の向こうに居る奴と直接話すのは一度だけでいい。 だから頼む、ユリの命がかかっている」
「分かってる、分かってるんだ……」
「ああ、もう埒が明かねえ」
レオナルドは既にドアノブにかかった手をどけるわけでもなく、上から無理やり掴んで捻る。
中には男が一人居た。
レオナルドの知っている男だ。
「よおレイブン。 元気か」
「レオじゃあねえか。 おめえなんでこんなとこに居んだ? 」
ケイオス商会で、力仕事をしている男だ。 頭が良いとはとても言えず、誘拐なんて大ごとを任されるような人間ではない。
本当にコイツが?とレオナルドはどうも様子がおかしいことに気が付く。
「ああ、実はな俺も昨日捕まってしまったんだが、この通りよ」
そうしてレオナルドは自由になった両手をひらひらと示す。
「本当か? どうやったんだ? 俺もここから出しちゃくれねえか」
「そんなの簡単さ、全部しゃべっちまえば良い。 雇い主含めてやったことを全部だ、なあ捜査官殿? 」
「あ、ああ。 その通りだ」
歌舞くなよろくでなし、と言いたげなのを抑えて遅れて部屋に入ったアーノルドは大げさに頷く。
「おめぇ、そいつはできやしねぇぜ。 俺みたいな阿呆でも雇ってもらった恩ちゅうのがあるもんでさぁ」
静寂が流れる。 止める者のいない静寂が。
犯人だと疑われる人間が話すつもりが無いというのなら、それ以上に展開するものはない。
だがレオナルドは当然そうなることは分かっていた。
この男が何も喋らなくなるのを待っていた。
おい、と小さな声でレオナルドはアーノルドの方を向く。 そうして詭弁家はレイブンからは視線が切れるような位置で片手を首元へと近づける。
そしてその手で半円を作ってぶらぶらと揺らす。
レオナルドはため息をついて言葉を続ける。
「なら仕方ないか、短い付き合いだったが残念だぜレイブン」
何のことだ、とレイブンは不思議そうな顔を浮かべる。
話が見えない、とそんな感じだ。
「役割がひとつ空いていてな」
そう言って詭弁家は捜査官の方を見る。
一瞬だけだ。
アーノルドは震える身体を抑えるように一歩、二人の間に入るようにして続ける。
「私も随分と働きづめでね、レ――何だったかな今日首に縄を通される奴の名前は。 レオナルド、いやレイブンだったか? 書類に不備があったかもしれない。 今すぐ書き直しに行かないとな」
どうやらこの男には芝居の才能は無いらしい。
そうしてアーノルドは、スマンあとは任せた、と小さな声で一言告げると部屋から出ていく。 震える両手を抑えるようにして。
良くやったよ、とレオナルドは返す。
「な、なあ! そ、そいつはおかしくねえか! 」
「遺言あれば聞いてやるぜ? これでも昔何度か一緒に仕事をしたよしみだ」
「わかった、わかった! 全部話す! 話しやすからぁ!」
事態は一つ、好転した。




