詭弁家と聖女と人生で一番退屈な一日 2
アーノルドの住まいは通りから一本はずれた路地に面するところに有った。
だから誰かが訪れてくるとその足音で来客に気づく。
休日に約束も無くやってくる職場の連中たちがドアをノックするよりも早く玄関の扉が開くので、一時期彼らの間では、アーノルドに予知能力でもあるのではないかと話題になっていた。
だから寝起きといえど身支度をある程度済ましていたアーノルドは、出勤前にコツンコツンと近づいてくる足音にも気が付いていた。 気が付いていたのだ。
「アーノルド捜査官! 」
勝手に玄関から警官の制服を着た男がアーノルドの住まいの中に入ってくる。 ノックもせずに、想定するよりもかなり早く。
「どうしましたか」
できれば次はノックをお願いしますよ、とアーノルドは随分息の上がった男に水を飲ませる。
「聖女様がっ! 攫われました!!! 」
「は?」
身体が熱い。
頭の後ろが酷く痛い。
足元が急に崩れるような感覚。
何故かを考える暇すらも無い。
次の瞬間にはアーノルドは走り出してた。
警官の制服姿の人間が街中を走り回っていたとしても何一つ不思議ではない。
誰かが何かをしたから彼らが捕まえる。 抜群の治安を誇るとも言えないその街ではありきたりで何の不思議もない日常の光景だ。
ただしかし、その男の様相は酷く往来の人たちの視線を引き付ける。
ただの仕事でただの警官が、ただ街中を駆けて居るのとはわけが違う。
どれだけ汚い走り方で、どれだけ通行人にぶつかっても、アーノルドはそのことを気にする素振りすらない。
そうして警官たちの詰め所にたどり着くころには、アーノルドはまだ泥だらけの鳩の方が奇麗な恰好をしていた。
「不味いことになりましたね」
ランク捜査官は珍しく彼の執務室にはいなかった。
まだ日が昇って少しでいつもより人は疎らだ。 なのに詰め所のホールはいつもの三倍騒がしい。
「アイツか!? アイツがやりやがったのか? 」
「待て、アーノルド捜査官、落ち着きたまえ――」
ランクが制す意味も無く、アーノルドは監獄のある方へと駆けて行く。
扉を抜けて、中庭を抜けて、まだ明かりの灯されていない監獄の中をアーノルドは駆け抜ける。
「おい、貴様ァ! 貴様がやったのかァ!? 」
レオナルドは襟元を乱暴に掴まれて目を覚ます。
「おいおい随分なご挨拶だな」
やったのか、と問われているのは十分に聞き取れた。
何を、と言うのはただ一つに絞り込めない。
「俺がこんな状態で一体何をしたって言うんだ? アンタに夜這いでもしたか? 」
レオナルドはせめてもの抵抗に揶揄って言う。
「いいから正直に言え! ろくでなし風情がァ!」
「分かったから手を放せ、それと何をしたって言うんだ。 お前の幼馴染の聖女様でも誘拐したか? 」
当初の計画ではそのつもりだった。
それさえ上手くいけば後のプランはシンプルで、早ければもうすぐ此処から出られる算段だった。
だがその機会をレオナルドは手放した。
わざわざ勝ちの公算が低いほうの選択肢を自ら選んだ。 罪悪感か贖罪の気持ちかそれ以外の何かか、どれが原因だとしても何一つとしてレオナルドは悪くないのだが。
「ああ、そうだ、その通りだ、お前がやったんだろッ! だから早く、ユリを返せッ」
理解が追い付かなった。
その作戦は失敗に終わった、とレオナルドは昨日のうちに協力者から連絡を受けている。
レオナルドの仕組んだ失敗だ。
だから、ユリは字面通りに無事な手筈で。
だから、レオナルドは想定より少し手間取ってここから逃げ出す予定で。
だから、アーノルドは刑の執行までは詰め所でゆっくりしてるハズで。
だがら、餌にありつけない野良犬は一段と弱っていくだけで。
だから、今日という日はいつも通りの退屈な一日だったのに。
「そんなわけが無いだろ。 作戦は失敗した。 俺がそうさせたんだ」
「一体何の話をしてんだ? お前がやったのは分かりきってるんだよ! 」
アーノルドがレオナルドの首を絞めようとする手は一層と力が込められる。
鼠の駆けまわる体躯が鳴らす音が一つ増える。
それから何個かの人の足音が増えて、レオナルドたちが居る方へ近づいてくる。
「アーノルド捜査官、彼じゃありません」
「そうですアーノルドさん、そこの男ではありません」
そうして何とかしてアーノルドをレオナルドから引き剝がそうとする。 羽交い絞めにして、腕と顔と足とを何人がかりかで無理やり掴んで引き離す。
「じゃあ誰だって言うんだァ! 」
アーノルドは強く声を上げる。
レオナルドが一体どういう策を使うかは知らない。
だがどうせユリを人質にして交渉でもするつもりなんだろう。
だからユリを攫った。 そういう理屈なのだと。 そうに違いないのだと。
「ケイオス商会の人間です。 容疑で無く事実としてです」
「だから言ったろ俺じゃ無いってさ」
それから警官たちはユリが攫われた経緯を淡々と語る。
そこで起きた事の総てを。
「全員に召集をかけろ。 全員一種武装、半刻後には――」
そう指示を出そうとしてアーノルドは気が付いた。
この状況はかなり不味い。
ありとあらゆる状況が不味い。
「この件にはかん口令を敷く、これ以上話が広がらない様に留めろ。 これ以上人員を招集するな。 総員現場から引き上げるように通達。 分かったら行け」
はい、と警官たちは言って詰め所の方に駆けて行った。
「良いのか俺の前でそんなこと話して? あ、俺は今日で死ぬんだったか」
「今は貴方の軽口に付き合っている暇はありません。 事は一刻を争います」
打って変わって仕事モードですか、と言いたくなるのを抑えてレオナルドは軽く頷いた。
「分かっていると思うが、アレはアレでも一応聖女というのをやっています。 この国ではそれなりの要職です。 警備も厳重だし、自由は無い代わり安全は保障されてる。 だからこの事態はかなり不味い」
アーノルドは無意識に爪を噛む。
この件が世間にバレるわけにはいかない。 この時間に大勢を動員すれば嫌でも目立つ。 まだ日の高い時間だ、野次馬が少しでも居れば呼応するように仕事をサボってあっと言う間に増えていく。
昨日ユリをここに呼んだのはアーノルドだ。
そして一人で帰すことに同意したのもアーノルドだ。
だから総ての責任は彼にある。
ユリの古い友人として、王室付きの捜査官として、感情的にも功績的にも許されることではない。
「助けが欲しいんだろ? 」
レオナルドはアーノルドの様子を見て言った。
「少し黙っていてくれ」
アーノルドはかつて目の前の男に濡れ衣を被せた。
何一つとして根拠も無い罪で、体制の都合で一方的に。
恨まれるのは言い訳が付かない。 そういう仕事だ。
だからと言ってユリが怖い目に会っていると居るのは友人として看過できるない。
片方では誰かを勝手に不幸にして、他方では友人を不幸から救おうとする。
誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならなければならない。 それが世界の道理だ。
だから自分の都合でばかり眼前の男に頼ることはあってはならない。
目を閉じて、開いて、右下を見て、左上を見て、そしてもう一度目を閉じる。
葛藤、と言うには随分と短い。
だがアーノルドは魂に従う。
対価は後で払おう。
外の騒がしさが収まって来たのを遠くに聞いてアーノルドは続けた。
「いつかの続きです。 私に利用されてください」
「詳細を聞こうか」
「正直な話、私たちは表立って力は貸すことが出来ない」
アーノルドはレオナルドの手枷を外す。 信頼ができる者を二、三人ならなんとか、と付け足して。
「まあ、なんて言うか、事情は粗方見当がついているから気にするな」
事情、と言うのはさらわれたユリの話だ。
元々はレオナルドの手配で彼女を誘拐する算段になっていた。 だからその後のプランを複数考えていたし、そのあと起こりえる展開についても手を回してあった。
そういった意味ではアーノルドにとって、レオナルドが協力してくれるという状況は何よりもありがたい話だった。
「それで場所は? 」
「この辺りなら候補は三つ」
三つか、とレオナルドは少し残念そうな顔をする。
二つまでなら良い。
どれだけ不確定要素があったとしても大枠が二つならなんとか制御でき無いこともない。
しかし三つとなると話は別だ。 ありとあらゆる可能性を考慮しないといけない。 人員の配置すらも容易に当たりがつかない。 出たとこ勝負になる公算が高いのは余りに分が悪い。
「せめてさっきまでの俺みたいな目にあってなければ良いが」
レオナルドは自由になった手首をさする。
それ見てアーノルドは、居心地が悪そうに顔をしかめる。
そのレオナルドの行動に悪意が籠もっていたと言う事は無い。 純粋に、誰かの身を案じた人間が自然に取った行動に過ぎない。
「本当に身勝手な話だとは分かってる。 私も本当は、使える権限を将来の分も前借りしてでも力になりたいとは思っている」
けれど、とアーノルドは続けた。
「権力が動いてしまったらどうしても本部にも世間にも、どれだけ隠そうにもいつかは伝わってしまう。 これ以上ユリから自由を奪うわけにも行かないんだ」
アーノルドは屈んで頭を抱える。
昨日ユリが一人で帰ることを許したのは彼自身だ。
もしもこの事件が明るみに出てしまえば、ユリの警備は必ず厳しくなる。
一人で外を出歩けるようになることは二度と無いし、国の平和と安寧のためにという大義の下に、今以上に飼い殺される事になるのは間違いない。
そうなってしまえば、アーノルド自身がユリの首を絞めたことになる。 如何なる犠牲を払ってでもそれだけは防がなければならない。
「一番可能性があるのは何処だ? 」
「商会の倉庫です。 あそこなら多少の騒ぎがあったとしてもいくらでも揉み消せます」
「あとの二つは? 」
「カラトー通りに奴らの本部があります。 と言っても街中だから少し騒いだだけでもかなり目立ちます。 そもそもあそこは合法なビジネスの拠点なので目算はかなり低いです」
「それで残りの方は? 」
「燻製工場の地下にスモークハウスという賭場を構えています。 表向きは合法の賭場ですが、明らかに帳簿がおかしい。 脱税した金が現金で相当な額置いてあるのは確実です。 我々も手を焼いていて、法に背くならここの可能性も十分にあります」
そこであっては困りますがね、とアーノルドは付け足す。
いくら人攫いの嫌疑があるとはいえ王室から認可を受けている安定した税収源だ。 商会の本来の仕事とは会計も納税も独立している。 だからただの権力の端くれが何人かの証言があると言った程度で手を出すわけにはいかない。
敵対組織の工作かもしれない。
負けが込んだ人間の逆恨みかしれない。
何が本当で何がウソか、それを調べる時間的な余裕はない。
ユリにこれ以上の負担をかけてはいけない。
たった一ミリのリスクすらも冒してはならない。
だが一刻も早く助け出してやりたい。
アーノルドの中を様々な思いが巡る。 何から手を出して、何から解決するべきか。 一向に考えがまとまらない。
自らの脳内を駆け巡る騒音でアーノルドは気が付かなかった。
「申し上げます! 」
若い警官が二人の居る監獄へ再び戻ってきた。
その表情は何よりも曇っていて、それが今日一番の凶報であるのは誰の目にも明らかだ。
途絶え途絶えの息を整えて一度俯く。
ためらうような素振りを見せて、それでも、と男は口を開く。
「聖女様の――」
それでも最悪の事態ではないことを、二人の聞き手は願っていた。
一人は昨日ユリと出会ったばかりだがその身を案じるろくでなし男。
一人は長きにわたってユリの事を気にかけてきた王室の犬。
対照的な二人の人生が、二人の思いが交わることは、切っ掛けがなけれ無ければあり得ないことだった。
その日、その時、その場所で。
「ユリ聖女の命が危ないです! 」
運命は、悪意を持ってやってくる。




