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地下二階は、異様な雰囲気に包まれていた。臭気はさらに濃度を増し、地面は汚物でぬかるんでいる。また、腐敗した動物の死骸らしきものがそこかしこに転がり、蠅がたかっている。
「トロールだ」
(なんでわかるんだ?)
「トロールにはトイレの概念が無い」
(あー。そりゃ最悪だ)
この階に住人がいるのは間違いなかった。時折遠くの方でヒタヒタと足音が聞こえる。
バルフはランプを腰のベルトに留め、両手を自由に使える状態にする。
「グゲエエエエ!」
少し離れた位置で叫び声が響く。と同時に、鈍器で殴りつけるような音や悲鳴にも似た鳴き声、液体がこぼれるような音が辺りに反響する。
(殺し合ってる……?)
こちらにはまだ気付いていないようだった。バルフはランプの明かりを消し、音の方へ近づく。
音の主はトロールとオークだった。三匹のトロールにオーク十匹程群がっている。オークは数で圧倒しているが、トロールの再生能力に手こずっているようだった。
「二階で争っているということは、それより下はオークが支配しているのか?」
そうだとしたらあまりよい状況だとは言えない。レアは、多種のモンスター同士の均衡が保たれているうちは危険性はそこまで高くない。モンスター同士で殺しあうため、なかなかその個体数が増えないのだ。しかしそのパワーバランスが崩れると、一気にレアは大規模化する。
「オーガが棲みついているならレアとしての危険性は高くないと考えていたが……」
(オーガがいると、なんで安全なんだよ)
「レアでは個体数と繁殖力が正義だ。オーガが生活できるなら、群れの力とオーガの個の力は均衡を保っていると考えていい」
ひょっとすると、昨日のオーガはここから逃げ出したのかもしれない。とすると、均衡は既に崩れたと思っていいだろう。
「オークを間引きながら進む」
そう言ってバルフは水を一口含み、剣を抜く。
しかし三階、四階、五階と降りていっても、オークが繁殖している様子は無く、遺跡は閑散としていた。オークもトロールもゴブリンもいるにはいるが、非常に小規模なコロニーを形成しているだけだった。二階より下は臭いも落ち着いた。
「拍子抜けだな」
探索が余りにも簡単に進み過ぎていた。思い返せば、ライカンスロープが単体で現れた時点でおかしかった。まだレアになったばかりのような、混沌とした状態であった。
「まあ、モンスターはいないに越したことは無いがな」
(だな。報酬は変わらないんだし)
地下八階まで、何事も無く探索は進んだ。何度か戦闘はあったが、準備運動にもならなかった。
「もう最下層か」
時刻は分からないが、お昼時を少し回ったくらいだろうか。広場の入り口にあたる場所から外の光が漏れていた。バルフは悪臭で失われていた食欲が戻って来つつあるのを感じた。
「空腹だ。帰ったら何かうまいものでも――」
広場は、固い岩の層をくりぬいて作られたような巨大な空洞だった。そこかしこから乳白色の石柱が生え、天井を貫くようにそびえている。空洞は海につながっており、外から海水と昼の光が入り込んでいる。
そして広場の中心には、二匹のオーガが立っていた。一匹は昨日戦った個体よりもさらに大きく、そしてもう一匹はその腰ほどの背丈だった。
(あ?)
「……子持ちだ」
バルフは荷物を捨て、剣を構える。大きいほうのオーガはバルフの姿を認めると、子供を後ろに下がらせた。そして地面に突き立てられていた二本の剣を抜く。一本は刃渡り五メートルはあろうかという特大剣。もう一本はガードの大きい短剣で、短剣を持った方の手にはガントレットのようなものまで装着している。
(オーガ用の装備なんて作った馬鹿は誰だよ……)
恐らくはドワーフだろう。彼らは客を選ばない。そして自身の腕前を証明することに執心する。
「そんなことよりも、あいつは恐らく相当な手練れだ」
モンスターと遭遇したとき、その強さを簡易的に判別する方法がある。それは使っている得物を見ることだ。木の棒や石ころなら下っ端、石斧や農耕器具ならそれなりに戦える戦士、刃のついた武器なら歴戦の猛者といった具合だ。目の前のオーガは、相当戦い慣れていると考えていいだろう。
その上子持ちだ。昨日のオーガはぬるいとすら感じたが、この個体が同じようにいくとは思えなかった。
「まずいな……」
(え、まずい?)
「ああ、……報酬が足りない」
そう言ってバルフは一歩踏み出した。
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