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ライラの兄の部屋に案内され、バルフは明日の仕事の準備を始めた。伯爵に頼んで、色々と買い揃えてもらっていた。
レアの有無を問わず、遺跡やダンジョンの探索には入念な準備が求められる。持って入る物は、運動性を損なわないよう最低限にしなければならない。それでいて、補給は望めないため、様々な条件を加味して取捨選択していく必要がある。
ただ、基本的な装備は、
・鍵縄
・ロープ
・水筒
・携帯食料
・磁針
・爆竹
・ダガー
・オイルランプ
・松明
・ろうそく
・火口箱
・薬
・包帯
・地図
・弓矢
・砥石
・清潔な布
であり、これらの個数を調整していくことになる。
鍵縄、ロープは言わずもがな、行動範囲を大きく広げてくれる上、汎用性が高く、トラップの作製に用いることもできる。
水と食料は当然必須である。特にレアには汚水しか存在しない可能性が高く水の入手が困難であり、それでいて飲んだり傷口を洗ったりと用途が多いため、できるだけ多く持って行くべきものである。
磁針は磁気を持った、裁縫針より少し大きめの針で、中心を糸に結びつけることで方角を知れる他、目印として道中に設置したり、投げて音を立ててモンスターの気を引くこともできる。モンスターの気を引く道具として爆竹も持ち物に含まれるが、こちらはモンスターの警戒度を著しく引き上げてしまうため、使い分ける必要がある。
照明の存在しない場所では、オイルランプが必須となる。回転式の遮光板がついており、任意で明かりをつけたり消したりできる。一方で松明は、火が得意でないモンスターに有効な道具で、単なる照明として使うことは少ない。火口箱には火打ち石、打ち金、火口(燃えやすい布)が収められており、火が消えてしまった際に必要となる。
薬、包帯は、水や食料と同等レベルの必需品である。レアは衛生状況が極めて悪く、ちょっとした傷口が生死を分かつ重症に発展する可能性すらあるため、塗り薬、飲み薬を必ず携帯しなければならない。包帯は殺菌作用のある特殊な染料で染められており、止血の他、傷口を保護するためにも用いる。
地図は、存在すればラッキーで、探索の効率が飛躍的に上がる。が、基本的には完璧なものは存在しないと思っておくべきである。今回の探索対象であるサントレア神殿は、五十年程前まで祭祀などで実際に利用されており、そのため完璧な間取り図が存在する。
武器は、モンスターを連続で狩り続けることになる可能性を考え、使い捨てることを前提に数本持って行くのが一般的である。バルフの場合は、切れ味の落ちない魔剣を所持しているため、それを失くした場合の予備を一本持って行くだけで済み、これにより装備を大幅に軽量化することが可能となった。
「まあ、こんなところか」
荷物を鞄にまとめた後、バルフは地図を開き、ベッドに腰掛ける。神殿は海に面した断崖に建てられており、その構造は地下深くまで続いている。最下層には海に面した巨大な広場が存在し、警備兵がそこに船を置いておいてくれるらしい。
バルフは深く息を吐く。絶対に叶わないと思っていた夢に大きく近づけるのだ。いつかは王宮に帰るとしても、それまでに達成しておきたい夢。王宮を飛び出させた衝動。未完の冒険譚。
「あの……」
そのとき、部屋の扉がノックされ、ライラが顔を覗かせた。手に持った燭台の火が部屋に入り、二つになった光源で部屋は明るさを増す。
「隣、いいですか?」
伏目がちにライラが尋ねる。バルフはそれに微笑みで返し、お好きにどうぞと手で軽く隣を示す。ゆっくりと、反応を伺うようにライラはバルフの左隣に腰を下ろす。
手に持ったままだった燭台を机に置こうとライラは体を伸ばす。その動作から、ふわりと甘い匂いが掠める。先程までは無かった、恐らくは香水の香りだった。
「それは……、明日行く神殿の地図ですか?」
ライラは身を寄せ、地図を軽く覗き込む。見やすいようにとバルフはそれを少し左にずらした。
「ああ。中々風変わりな神殿なんだ。地上は一階建てなんだが、地下が八階層もある。そして小部屋もたくさん。記録は無いんだがドワーフが建造した可能性もあるんだそうだ。元は人も住んでいたらしいんだが、恐らくあまりにも不便で管理しきれなくなったんだろうな。数十年前に放棄された。だがそのときになぜ取り壊さなかったのかは不明だ。バレニア伯爵は、レアの掃討が終わったら取り壊すと言っていた」
「へぇー、そうなんですか」
ライラは相槌を打ってはいたが、その視線は既に地図には向いていなかった。
バルフがライラの方を向いたとき、その顔は鼻先が触れ合いそうなほど近くにあった。そして、次の瞬間には唇と唇が触れ合っていた。バルフにとってそれは完全なる不意打ちだった。
ライラは、突然の出来事でパニックに陥り硬直しているバルフから、唇をゆっくりと離す。
「デュークは、私のことをどう思っていますか?」
先程までの話の流れをぶった切る質問に、バルフの頭はさらに混乱する。
「私は、あなたのことをもっと知りたいです。そして私のことも、知ってほしい」
そう言ってライラが自身の衣服を脱ごうとボタンに手をかける。三つ開け、四つ目に手をかけたところでバルフは我に返り、その手首を掴んで慌ててそれを止める。
「な、何をやってるんだ! ライラ、一旦止まって、落ち着いてくれ。俺も落ち着きたいから」
必死の思いでそう言った。ひとまず落ち着かなければ。落ち着け。落ち着け。平常心。深呼吸をして、一瞬呼吸を止める。吐き出す。
そして優しい口調で尋ねる。
「どうしてこんなことを? 俺たちは恋人同士じゃ無いどころか、今日出会ったばかりなのに」
ライラは一切目を逸らさずに言う。
「出会ってからの月日が重要ですか? 私は、デュークが何の躊躇いも無くオーガの前に立ち塞がったあの瞬間から、もうずっと胸が締め付けられるみたいに――」
「それは一時の気の迷いだ。あんなのはただの偶然で、それにオーガを倒すなんて朝飯前だ。特別なことをした訳じゃない」
「私にとっては特別でした。それに、それだけじゃないです。デュークは変な人です。しっかり者なのかと思ったら急に頼りなさげになったり、何だか急に寂しそうな顔をしたり、隠し事があるのに嘘が下手って言っちゃったり、なのに剣の達人で、誰でも何の迷いも無く助けようとして。そんなの見せられたら……どうしようもないじゃないですか」
「もう少しゆっくり、時間をかけて考えるんだ。気持ちというのは一日ごとでも、時間ごとでも変わる、天気のように移ろいゆくものだ。今日寝れば、明日にはまた気持ちも変わっているかもしれないだろう? ……俺が言えたことでは無いが、もっと自分を大切にした方がいい」
ありきたりなことを言う他無かった。バルフにはこういった経験は皆無だった。
「いいえ。これは私にとってはもう運命の出会いなんです。デュークにとって私が、取るに足らないどこにでもいる町娘の一人だったとしても」
ライラは手首を掴んでいるバルフの手をそっと振り払い、立ち上がる。
「でもデュークが嫌だって言うなら止めます。自分勝手すぎですよね。こんなの」
顔はもうバルフの方を向いてはいなかったが、頬には涙が伝っているのが見て取れた。ライラはそれを袖でゴシゴシと強く擦り、
「今あったことは忘れてください。ごめんなさい」
と言って小走りに部屋を後にした。バルフは何と声を掛けたらいいか分からず、ただじっとその方向を眺めていた。
(ほらな、こうなるんじゃないかって俺は思ってたんだ)
「うるさい。へし折るぞ」
バルフは、意味も無くベインに八つ当たりした。
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