5 ホワイトお正月
唐突になぜかグロくなってしまいました。苦手な方、申し訳ありません
千鶴:8歳
「おめでとう、千鶴、ちい姫」
玉鬘がやってきてから、冬が来て、年明けの正月。一面の雪景色に子どもたちがはしゃいでいると、母様から声がかかった。
「おはようございます、母様。おめでとうございます」
「おめでとうございます! おかあさま、雪で遊んできていい?」
朝からテンションの高いちい姫。おじさんはついていけないよ。
「あら、もうすぐ殿が、貴方たちのお父様が来るはずだから、ご挨拶をしたらね」
「はーい」
今日はおめでたいお祝いの日。なぜなら僕らが8歳になる日!
平安時代は誕生日が皆んな正月なのだ。1月1日に歳が1つあがる。今日で僕もちい姫も8歳。
そして、これは源氏物語に出てくる有名な日だろう。明石の上からの手紙が来て、色んな女の人のところへ行き、最後は冬の町、つまりこの屋敷(六条院)の北西の方にいる明石の上の所に泊まってくるのだ。
「おめでとう、紫の上、千鶴、ちい姫」
「おめでとうございます、殿」
「父様、おめでとうございます」
「おとうさま、おめでとうございます。もう遊んできていい?」
「まあ、仕方のない子だこと。千鶴と犬君と乳母の君を連れて行ってらっしゃいな」
あ、僕も強制的に行かされるんですか。
「ありがとう、おかあさま! 千鶴、行きましょ」
「えー、待ってよ。僕はここでぬくぬくしていたいのに」
「あら、そんなんじゃ立派な殿方になれなくってよ、千鶴。一緒に行くのよ」
「もう、そんなに行きたいなら珠子を連れてきなよ」
「むぅ。わたくしは千鶴と遊びたいのよ」
むくれるちい姫。可愛い顔をしたってダメだ。
僕の乳母子、珠子を呼んだ。
「お呼びでしょうか、千鶴さま」
珠子も今日で8歳。童顔で子どもっぽい顔立ち。少し上がっている大きな目をパチパチしているのが可愛い。
「珠子、ちい姫と雪遊びをしておいで」
「え、いいのですか! ちい姫さま、行きましょう!」
目を輝かせて今にも走り出しそうな珠子。ちい姫が押され気味になっている。
「むー。もうっ、行くわよ、珠子。千鶴なんか放っておいて、2人で遊びましょ」
じぃーっと僕を見つめた後、ぷいっとそっぽを向いて、珠子の手を握り走り出した。
仲が良くて結構、結構。
「きゃー! やめて、冷たいわ! お返しよ!」
「わあ! 冷たい! 私もやられっぱなしじゃありませんよ!」
2人できゃーきゃー言いながら雪合戦をしている。
「千鶴も遊んできていいのよ?」
「大丈夫です、母様。僕はここで温まりながらお喋りをしているのがいいんです」
2人を微笑ましく眺めていた僕に、心配した母様が話しかけてくれた。
「千鶴はなんだか子どもではないみたいだねえ。じゃあ、ここで男同士の語り合いをしようか」
「へ? 男同士の語り合い? ……いいですよ。望む所です」
源氏め……! 母様とお喋りタイムだったのに……。男同士の語り合いという訳の分からないもので邪魔しやがって……。
おや、見知らぬ童女が来た。
「もうし、源氏の大臣。冬の御方から文でございます」
「明石の君から……? どれ。…………これは、ちい姫に返事を書かせよう」
「どんな内容だったんです、父様」
「それはちい姫に聞きなさい。……ちい姫! 文の返事をお書きなさい」
雪遊びをしているちい姫に向かって大声で呼びかけた。
「なぁに、おとうさま。わたくしにお文ですって?」
「これだよ。これはあなたの大切な人からだから、あなたから返事を書きなさい」
「はい」
「ねえ、ちい姫。どんな内容なの?」
「……わたくしの成長を待ち続けていました、ですって。初音をお聞かせくださいって」
ああ。明石の上からのあの手紙か。初音のところの。
「なんて書こうかしら」
「ああ、明石よ。貴女の子はこんなにも可愛らしく、大きく育っているのに。その目で見られないことが本当に可哀想だ」
ちい姫に聞こえないくらいの小さな声で、源氏が呟いた。
「これでどうかしら」
『別れて何年も経ちましたが、どうして鷲が巣立った松の根を忘れるでしょうか、いいえ、忘れません』
「おお……! 素晴らしい」
「まあ、素敵。ちい姫、とても上手だわ」
「姫さま、さすがでございます」
周囲の皆んながざわめいて、ちい姫を褒め称える。
僕には正直、和歌の良し悪しは分からない。現代人の感覚からすると、掛け言葉とか枕詞とか縁語とか、難しすぎる。
ちい姫がしたためて綺麗に結んだ手紙を、先程の童女に渡した。
「もう遊びに戻っていい、おとうさま?」
「ああ、もういいよ。いってらっしゃい」
パッと駆け出していくちい姫。そしてこちらに向き直る源氏。
「千鶴。語り合いの続きだ。今、好きな人でもいる?」
「は? いや、いません」
突然の語り合い……! というか続きってことは始まっていたのか。
それにしても、語り合いで恋話に行くとは。
女子中学生か。
「そうか、いないのか」
「父様はどうなんですか?」
「あら、それはわたくしも気になりますわ」
「上。私の好きな人は君だよ」
「わたくし"だけ"ですか?」
「……もちろんだよ、上だけだ」
「なぜ目を合わせて言ってくださらないのです? その間は何なのかしら」
源氏が横に視線をずらして言った。あからさまな嘘だ。ああ、紫の上が可哀想。何でこんなに完璧な母様の元に止まっていられないんだろう。
「い、いやあ、紫の上、これは男同士の語り合いなのだから、口出しはいけないよ。さあ、千鶴、あちらで母様に聞こえないように話そうか」
源氏に抱えられて別の部屋に入った。ピューっと音がつきそうな華麗な逃走。
「ちょっ、父様! 下ろしてください!」
「何さ、千鶴。あのまま紫の上の前にいるわけにもいかないだろ」
おやおや、こんなに源氏は嘘が下手で、拗ねた子どもらしい顔をする人だったとは。
「そうですけど。父様が本当に母様だけを想っていれば良かったんじゃないですか?」
「そうは言ってもね。千鶴はまだ分からないかもしれないけど、男は素敵な女人がいたら好きにならざるを得ない生き物なんだよ」
なんだかそれっぽいことを言っているが、言っていることはクズそのものだ。
「僕には一生分からないでしょうね」
「冷たいな、千鶴。父親をもっと尊敬してくれていいんだぞ?」
「尊敬はしてます。かっこいいし、気配りができて、表面的に優しいのは事実だし。でも、優しくて、綺麗で、気配りができて、誰にでも好かれる母様を傷つけている父様は嫌いなんです」
「何を言う、私は紫の上を傷つけてなどいないよ。それに紫の上の評価が私に対して高過ぎやしないか?」
どの面下げてそんなことを言ってるんだ。
……と、つい言ってしまわなかった僕を褒めてほしい。
「そんなことないですよ? 母様は現世で1番素敵な方ですもん」
「……まあ、母を好きなのは幼い子どもとして間違ってはいないな。だが、父も好きになってくれ」
「好きですよ?」
「……さっき、私のことを嫌いと言ったではないか」
「だから、母様に意地悪をする父様は嫌いです。でも、普段の優しい父様は好きです」
そう! 僕は成長したのだ! 真っ向から源氏嫌い、クズめ、なんて言わないのだ!
確かに、源氏はモテるだろうなという良い性格をしている。表面上は。だから、表面は好きだと言い、母様を傷つけるな、一途になれと言う。
「あ、ああ、そういうことだったのか。」
嬉しそうにニマニマする源氏。はい、無邪気な子どもに骨抜きにされましたぁ。
……え? 考えてることが無邪気じゃないって? 大事なのは見た目だよ、見た目。
「そういうことです。ですから、母様を泣かせないでください」
「……分かったよ。千鶴がそんなに言うんだ、泣かせないよ」
「約束です、父様」
はい、と言って小指を差し出した。
「……これは何だ?」
おや、指切りというものを知らないのか。指切りの歴史はいつからだったか。
「これは指切りと言って、約束の印なんですよ。ほら、父様も小指を出して」
「ゆ、指切り!? 指を切るのか!? 千鶴、いくら親子でもそんなに重い印をしなくても……」
「違います! 本当にする訳じゃないです!」
いくらなんでもそれはグロすぎる。昔の人はやっていたのかもしれないけど。
「指、出してください」
無理やり小指を引っ張り出して、自分のものと絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った!」
「…………。意味を聞いても良いか?」
「指切り、拳骨1万回、嘘ついたら針を千本飲ませる、指切るぞ、っていう意味です」
え、グロくない? 自分で言ったけど、すごくグロくない? とてつもなく痛そうだし。
「拳骨……? 針千本? …………な、なんて重い約束だ……」
源氏が放心しちゃってる。
「別に本当にするという訳じゃないですよ? そのくらいの覚悟が持てないなら、約束なんか破るなよってことだと思います」
「あ、ああ。そ、そうだよな……」
「本当に指切った人もいるんでしょうけど」
「え。」
見事に固まった源氏。いつも余裕こいている奴が珍しい。見ものだ。
「だから、母様を泣かせないように頑張ってくださいね、父様」
「わ、分かったよ」
たじたじの源氏。良い男が困っているのは眺めがいい。ついニヤニヤしていないか確認してしまう。
……僕は純真無垢な子どもですけど?
「語り合いはもう終わりですか? じゃあ、母様のところへ戻りましょう!」
「千鶴、ここでの話は他言無用だよ。分かったね」
「はい。もちろん」
「さあ、戻ろうか」
思い出したように父親の威厳を醸し出しつつ、源氏が手を差し出す。
「あ、僕は少し行くところがあるので、先行っててください」
「え!? 今、一緒に行く流れじゃないの!?」
ちなみに、指切りの初登場(本当に指を切る刑罰)は鎌倉時代の吾妻鏡だそうです。その後、江戸の遊郭などでなんやかんやあり、いわゆる約束としての指切りは江戸時代頃からとか。
興味のある方は調べてみてください。