3 玉鬘 ※シスコンではありません
目が覚めた。
腕に心地よい重さを感じる。そっと起こさないように腕を引き抜いた。あどけない顔で眠り続ける美少女。ちい姫だ。
彼女が紫の上に引き取られて4年が経った。僕もちい姫ももう7歳。
4年前は可愛らしい幼女だったちい姫も、今ははっとするような美少女。現代日本で言う小学2年生だ。もちろん僕も成長して、女房の皆んなに可愛がられている。
手習いを始めて、仮名文字、片仮名、漢字は少し書けるようになった。高校の時に書道部だったことは大分助けになった。先生にはよく褒められる。
父様は35歳、母様は27歳。男盛りに女盛りだ。前世の享年に近づいてきたからか、紫の上がとても魅力的に見える時がある。だからといって、父様のように寝取ろうとなんて考えていない。そうそう、寝取ろうと言えば、藤壺の女院さま。ちい姫が来てから少ししてお亡くなりになった。その後、父様はずっと悲しそうにされていて、母様を抱くこともあまりなかった。現在はすっかり立ち直って母様と毎日のようになにやら仲良くしている。
ここ最近の大ニュースというと、あの玉鬘だ。先日、玉鬘がこの屋敷に引き取られた。会ってはいないけど、とてつもない美人らしい。まあ源氏物語に出てくるくらいだからそうだろう。ちなみに年齢は21。裳着の式という成人式はまだだ。
「んぅー、ちづ、るー。……起きるの早いわね」
ちい姫が起きたようだ。乱れた髪とはたけた胸元が子どもながら色っぽい。だが、僕、いや、俺にとっては娘を見ているようだ。
「おはよう、ちい姫。もう、年頃の姫なんだからちゃんとしなよ」
と言いつつ僕が直してあげる。
「ありがと、千鶴。……乳母の君、起きたわ」
そう隣に向かって大声を出すちい姫。
「ちょっと、姫。大声を出すのははしたないよ。僕が呼んでくるから待っていて」
「むぅ。そういう千鶴こそ、髪が乱れていて格好悪いわよ。そんな格好で呼びに行くの?」
僕は二筋垂髪という、耳のところでツインテールという髪型をしている。これからもう少し髪が伸びたら、下げみずらという身分の高い家の男の子がする髪型に結う。風呂には入れないからこのままの髪型で寝たが、ちい姫が言うにはどうやら乱れているらしい。
「おはようございます、千鶴さま、ちい姫さま」
中納言クスクス笑いながらが几帳を退かして入ってきた。僕が呼びに行くことはなかったようだ。確かに音は筒抜けだから、起きたのは音でわかるだろう。
「おはよう、中納言」
「あら、おはよう」
「姫さま、千鶴さま、おはようございます」
続いて入ってきたのはちい姫の乳母の乳母の君。そのままだね。
「おはよう、乳母の君」
「あら、おはよう、乳母の君」
そこからは僕たちの身支度が整えられて、朝餉を食べて、母様のところへ行った。
「おはよう、千鶴、ちい姫」
「おはようございます、母様」
「おはようございます、おかあさま」
相変わらず綺麗な人だ。
「今日は歌の先生が来てくれるそうよ」
「歌ですか?」
「ええ、2人とも将来素敵なお相手を見つけるために、歌は詠めるようにならないといけませんから。千鶴はもう漢字を練習しているのでしょう? ちい姫は仮名だけでよろしいけれど」
母様はそう言って僕とちい姫を抱き寄せた。
「はい。立派な殿方になれるように頑張ります!」
「わたくしも千鶴のような素敵な方に見染められるように頑張ります!」
「そう言われると照れるな」
「千鶴さまは魅力的な殿方になるでしょうね」
「ええ、お父上さまにもお母上さまにも似ていらして。将来が楽しみですわ」
「今でもこんなに可愛らしいのに。殿にとっての紫の上さまのようなお方を見つけなさるでしょうね」
女房たちもナチュラルに会話に混ざってくる。そんなに褒められたって何も出てこないぞ。
「わたくしと殿の自慢の息子ですもの。でも将来は殿のように女人を泣かせてはいけませんよ、千鶴」
「おや、誰かな、私の悪口を言っているのは」
「まあ、殿。千鶴の将来を話していたのですよ」
源氏が帰ってきたようだ。相変わらずキラキラしやがって。玉鬘を自分のコレクションに加えようとしやがって。
「千鶴は私にも紫の上にも夕霧にも似ているからね。将来は楽しみだ」
少し屈んで僕のサラサラヘアーを撫でた。
「父様、お帰りなさい!」
「おかえりあそばせ、殿」
「ただいま、千鶴、上。それにちい姫も」
「お帰りなさいませ、おとうさま」
ちい姫のサラサラヘアーも撫でた。
「そうそう、後で夕霧が来るらしいよ。玉鬘への挨拶と千鶴とちい姫の相手をしに。2人とも恥ずかしくないように整えておきなさい」
「はーい。兄様が来てくれるんですね!」
「おにいさまと遊ぶの、とても楽しいのよ!」
ご存知の方も多い、源氏と葵の上との子、夕霧。これがまた源氏に似ていて超絶イケメン。イケメン爆ぜろ。でもこちらは源氏と違って初恋を一途に追いかけている。それなら応援してもいいかな。
「おお、夕霧は人気なんだね。羨ましいよ」
「父様も好きですよ?」
「はは、ありがとう、千鶴」
ーーー
「ちい姫! こちらに綺麗な薔薇が咲いているよ」
「まあ、本当だわ。とっても綺麗」
和歌のお勉強をしたが、何も分からずに終わった。風流とか何。季節ごとに使っていい言葉が決まってるとか何。…………今は遊ぶ時間!
ちい姫と庭を駆け回っている。
「あれ、ここどこだろう。離れたところまで来ちゃったみたいだ」
「千鶴、ここはおかあさまのいらっしゃるところではないわ。いつも来ないところ」
駆け回っていたら迷子になってしまったようだ。全く寝殿造ってのは広すぎるよ。しかもここは天下の源氏の君の六条院。なんで庭に船を漕ぎ回れるような大きさの池があるんだよ。迷子になるよ。
「もうし、ここはどこですか?」
ちょうどいいところに通りかかった女房が! 話しかけると、驚いた顔をしたけど気にしない。
「まあ、ここは六条院の西の対でございますよ。貴方さまは、もしかして源氏の君のお子、千鶴君さまでございましょうか?」
「僕のことを知っているの?」
「ええ、こんなにも可愛らしい男の子は源氏の君のお子としか考えられませんもの。……そちらの姫も源氏の君の姫でしょうか?」
「ええ、おとうさまは源氏の君と呼ばれているわ」
この女房よく知っているな。にしても西の対ってどこだ? 誰がいるところなんだ?
「ねえ、西の対にはどなたが暮らしているの?」
「源氏の君のご養女の玉鬘さまでございますよ」
「玉鬘! …さま!」
なんと。あの玉鬘がいるのか。せっかくだから会えないかなー。
「僕の義姉様だよね? 義姉様に会える?」
「千鶴の姉様ならわたくしのおねえさまでもあるわ。わたくしも会いたい!」
「あらあら。……それでは姫さまに聞いて参りますね。お待ちください」
名前も分からない女房さん、ありがとう。頭中将と夕顔の娘、玉鬘。艶やか美人らしいが、どんな人だろう。さすがに母様より美しいことはないだろう。
「お待たせいたしました。姫さまがお会いになるそうですよ。こちらにいらしてください」
先ほどの女房が戻ってきた。
「本当! ありがとう!」
「楽しみだわ」
待たされていた一室を出て、少し歩いたところに通された。御簾がきちんと下りており、多数の女房が控えている。
「お初にお目にかかります、義姉様。僕は源氏の大臣の次男、千鶴と申します」
「初めまして、おねえさま。わたくしは大臣の娘、ちい姫と申します。仲良くしてくださいまし」
2人でそう言って頭を垂れた。
「礼儀正しいですね。……千鶴君さまにとちい姫さまでございますね。お義父さまの源氏の君からは、玉鬘と呼ばれております。仲良く致しましょうね」
凛と澄んだ綺麗な声だ。
「義姉様、こちらは先ほど庭で見つけた薔薇ですが、義姉様に献上させていただきます。綺麗でしょう?」
「まあ、とっても綺麗。ありがとう、千鶴君さま。右近」
玉鬘に合わせてくれた女房は右近というのか。
右近が、僕が差し出した薔薇を受け取って御簾の内側に入れた。
「お二人ともまだお子様ですし、御簾を上げてもいいのでは?」
「でも……、分かったわ。上げてくださる?」
「え、良いのですか?」
平安時代で女性の顔を見せるというのは、現代日本では下着姿を見せるようなものだ。子どもだとはいえ、御簾をあげるというのはいいのだろうか。専門的な知識が乏しいのであまりよく分からない。
「わあ! おねえさま、すごく美しい」
これはこれは。随分と綺麗な人だ。大輪の花が咲いているように綺麗。夕霧の言葉を借りれば山吹かな?
几帳の裏から少しだけ顔を覗かせてこちらを見る玉鬘。
「そんなに言われると、恥ずかしいわ」
「姫さまがお美しいのは本当のことですから」
右近が右手を口元に持っていき言った。
「うん、本当に綺麗です。こんな義姉様ができて嬉しいな!」
「まあ、千鶴君さまは嬉しいことを言ってくださること」
「僕は本当のことを言っただけですよ」
嘘なんかついてないよ、と少しむくれながら言ってみる。
「可愛らしいお顔になって。ふふっ」
「姫さま」
右近が外から来た女房に耳打ちされて、玉鬘に話しかけにいった。急にどうしたんだろう。
「千鶴君さま、ちい姫さま、夕霧の君がこちらにいらっしゃるそうです。右近に春の町まで送らせますね」
ほうほう。夕霧が訪ねてくるとか言ってたけど、もうそんな時間か。春の町とは紫の上と僕、ちい姫が暮らしているところだ。
「このまま兄様を待ってはいけませんか? 春の町には兄様に送ってもらいます」
「ですが……。夕霧の君にお伺いしてみましょうか」
「おお、千鶴にちい姫。こんなところでどうしたんだい?」
あぁ。夕霧まじイケメン。黒髪をかっちり決めて直衣がよく似合うぜ。
「兄様! 義姉様にご挨拶をしていたんです。兄様を待っていたんですよ」
「そうか、待たれていると言われると嬉しいな。……私も挨拶をするから少し待っていてくれ」
「はーい」
先ほどから打って変わって御簾を下ろし、女房たちも御簾の内側に行ってしまった。
夕霧の挨拶が終わり、春の町へ向かう道すがら、話をした。
「綺麗な声のお方だったなあ。父上の娘だからきっとお姿も綺麗なんだろうな」
だ、誰か! 夕霧に玉鬘は源氏の娘じゃないって教えてあげて!
「そうですね。……でも、父様の養女っておっしゃっていたので、父様の娘ではないのでは?」
「なんだって! それは本当かい? で、では……」
結局自分で言ってしまった!
夕霧はそれから何か考え込んでしまった。