愚者
蒸気機関の音が鳴る。
機械のギシギシという音、茶色く汚れた川には生き物の死体のようなものが浮かび、道路には糞尿や屠られた家畜の血が流れる。
4、5歳の幼子の横には生死不明の赤子、両親は見当たらない。路地には死後何日が経ったのか分からないほどの人間だったはずの物体。飛び交うハエ。
水を浴びれない人の肌を喰らう虫、水の代わりの酒に酔い倒れる浮浪者。
夜になれば鯨油のランプの悪臭が闇に広がる。
辛うじて生きる街の人々の服は工場から排出される石灰の煙によって黒く汚れていた。
皆咳き込み、血を吐きながら歩く者もあった。
煙草の吸い殻を拾い集める老婆、
ゴミを集めそれを売り出す老爺、
物乞いをするまだ若い男。
川の傍で死体を見つけ歓喜の声を上げる子供がいた。
「ママ!死体があるよ!まだ誰も触ってないみたい!!」
「ダメよ。大きな声を出しては他の人が集まってきちゃうでしょう。」
母親の手を引き子供が向かった場所にはまだ眠っているように見える、人の死体があった。
子供は慣れた手つきで死体の衣服を漁る。
どうやらポケットの中を確認している様だ。
「ざーんねん、この人何も持っていないみたい。」
「そう。でも下手に強く触っては行けないわ。剥がれてしまってはいけないからね。」
「うん!じゃあ溺れたから助けようとしたって報告しなきゃね!明日のご飯のお金にはなるかなぁ。」
路地を歩けば、何かを食らう少年と目が合った。
口元を赤く汚した少年が食らっていたものは、目の前に横たわる肉だった。
「あのね、お父さんがね、俺が死んだらお前が生きるために俺を食べろ、って言っていたんだ。」
少年は私を見つめ、そう言った。
「…お姉さんは綺麗だね。とっても。女神さまみたい。」
反吐が出る。汚い、怖い、苦しい、憎い、悲しい、恐い、分からない、穢らわしい、醜い、醜い、怖い怖い怖い怖い。
『此処は街が人を喰らう地獄だ。』
と誰かが言った。
霧の街と言われるが、実際は地獄。本来生きることを許されて居ないものが、辛うじて生きているような、そんな空間。
一切の救いがない、希望も、光も何も無い。