6、悪役令嬢、スキル“交渉術”を使う。
だんだんこのスキルのことが分かってきた、とキャロラインは思った。
松明を片手に一歩ずつ前に進む……、すると、どこからか音が聞こえる。
カサカサ、カサカサ、という音だ。
キャロラインは身構えた。
やはり、モンスターの足音。
――大丈夫、落ち着けば大丈夫よ。落ち着くことが大切よ。
心臓の鼓動が鳴っていた。酷いくらいにバクンバクン、と。
キャロラインは心に麻酔をかけるように何度も念じる。
――落ち着くのよ。大丈夫、大丈夫だから。パニックになればすべてが終わる。
音はどんどん近づいてきて、そしてやがてキャロラインの前に姿を現した。
体の大きさがキャロラインの3倍ほどある、ダンジョンの通路の半分ほどの大きさの体の蜘蛛。
その大きな蜘蛛はこちらをみるなり、いきなり糸を吐き出し、攻撃してきた。
当たり前だ。
餌や敵を見たら、即攻撃。
それが、自然界の鉄則なのだから。
キャロラインの左手に蜘蛛の糸が絡みつく。
その時であった。
「ちょっと待ちなさい。私に攻撃すると魔王様に殺されるわよ!」
あとは食べるだけ……と思い、猛然と駆けていた蜘蛛の八本の足が止まる。
『エ?』と思わず蜘蛛は声をあげ、複眼でその奇妙なセリフを言った女を見つめる。
女はこちらを攻撃する様子もなく、ただ松明を持ち、言うのだ。
「聞こえなかったの? 私を殺せば魔王様があなたを食べるわよ!」
『エ? エ? 魔王様ガ、ワイヲ食ベル?? トイウヨリモ、ナンデ人間が魔族ノ言葉ヲ話シテイルノダ?』
蜘蛛の頭の中に沢山の疑問が浮かんだ。
この人間はなんなのだろう?
どうして魔族の言葉を話しているのだろう?
いや、そもそもどうしてこんな場所に一人でいるのだろう?
しかも……、と思い蜘蛛は女を眺める。
モンスターは生まれつき相手を見ただけで大体相手の強さがわかったしまうものだ。
本能が相手の強さを教えてくれる。
普通こんな地下までくる人間なんて、人間の中でも強い者ばかりのはずだ。
なのに、こいつの強さといえば、今まで会ったどの人間よりも弱いのだ。
とびっきり弱い。
なのに、その人間がとびっきり弱い肉体で、魔族の言葉をしゃべっているのだ。
蜘蛛はあまりに訳の分からなさにパニックになりそうだった。
これがキャロラインのスキル【 交渉術 】だった。
交渉術は、どんな魔物とも会話できるスキル。
もちろんそのほかの効果はない。
モンスターと会話ができるだけ。
しかし、ここにキャロラインの圧倒的な優位点が生まれた。
すべからく、ほとんどのモンスターは……頭が弱かった……
だからこそキャロラインは自分の作り上げた嘘によってすべてを煙にまこうとした。
キャロラインは蜘蛛に笑いかける。
「分からない? 私は魔族なのよ。だからこうしてあなたとしゃべることができたわけ。元々ものすごく強い魔族だったけど、人間界の内情を探るためにこの体に作り変えられたの。魔王様によってね……
魔王様はこうおっしゃっていたわ。
お前がいなければ、人間界の情報が分からなくなる。
お前のことが大切だ。もしもお前を殺すモンスターがいたなら、俺が殺してやる! あ、いや、え~っと……食べてやる! そうおっしゃっていたわ!」
蜘蛛はあせりで八本の足が不規則に動き始める。
『マジデ?』
「マジよ! だからいいのかしら? わたくしにこんな糸を巻き付けて。あなたがわたくしに攻撃したことを魔王様に告げ口してもいいのよ!!」
『ソ、ソレダケハ勘弁シテクダサイ……』
蜘蛛は丁寧に傷つけないようにキャロラインの腕から自身が吐き出した糸をとってあげた。
「全くもう、今度からはちゃんと相手を見て確認してね。いいこと? 敵は必ずパーティーを組んでやってくるわ。大体四人一組で来るの。だから私みたいに一人で歩いている可憐な少女は魔族の女の子である可能性だってあるのよ! いいわね?」
『ワカリマシタ……、デモダッテ本当ニ久々ノ……』
「え? なに?」
『何デモアリマセン。デハ、御気ヲツケテイッテラッシャイマセ』
「ありがとう!」と言いキャロラインは前に向かって歩き始める。
背後を振り返ると、蜘蛛が手を振っていた。いや、あれは足を振るとでもいうのだろうか……、まぁいい。とにかく、乗り越えた……
真っすぐ……真っすぐ行くんだ。そうして地上に辿り着いてやる。このスキルならそれができるはず。そう、今のわたくしは無敵であるはずよ!
ほんの少しだけ引っかかったのが、あの蜘蛛が最後に何かを言いかけたこと。
――デモダッテ本当ニ久々ノ……――
あれはなんだったのかしら?
まぁいいか。
疑問を脇に置きキャロラインは進み続ける。
キャロラインは知らない。あの言葉の続きを。
そして、あの蜘蛛はデビルスパイダーと呼ばれるこのダンジョンで最も強い部類のモンスターであることもキャロラインは知らなかった。
あの蜘蛛であれば勇者パーティーの三人も一瞬で葬り去ることができただろう。
それほど強い魔物が目の前にいたことをキャロラインは知らない。
更にいえば、その蜘蛛は地下150階よりも下に生息しているモンスターであることをキャロラインは知らなかった。
地上に向かっているとキャロラインは思い込んでいたが、彼女は方向音痴だった。
キャロラインは進む。勇ましく進む。更にダンジョンの奥に。
公爵令嬢キャロラインはすでに人類が到達したことのない領域に足を踏み入れようとしていた。