39、元王子、大脱走の最中に理想の自分を見つける。
その日、元王子ジークフリードはニコニコ顔で刑務所を訪れていた。
ここの刑務所では万引き犯などは割とすぐに刑が執行されることが多かったからである。だからキャロラインがすぐに処刑されることもあるかもしれない、と思って彼はここに来ていたのだ。
ジークフリードはキャロラインが処刑される様を見たかった。
何が何でもこの目に焼き付けておきたかった。
あのアバズレこそが旧ミッドランド王家にとっての宿敵だからである。
あの平和喪失刑がある程度温情のこもった措置であったことなどジークフリードには思いもよらない。この男はそのような考えにまで思い至らない。
ただただ、奪われた。
そう思っただけである。
だからあの女に復讐する。
簡単すぎる理屈であった。
ジークフリードは左右を見回す。
「今日は遅いなぁ」と思わずつぶやいた。
いつもは大体昼過ぎあたりに処刑をはじめるのに……
ジークフリードは腕組みをし、待っていた。この刑務所には、刑を執行する施設の隣に広大なスペースがあり、一般観衆はそこで刑罰が行われる様を眺めることが出来るようになっていた。
もちろん入場は無料である。
それがデーン大陸にいくつかある小国チラノトスの方針になっていた。恐怖こそが国家をつくる礎である。そのような理念に基づいた政策の一つであった。
ジークフリードは腕を組んだまま壁にもたれかかる。
本当に今日は何をやっているんだか……と思っていると、どこからが声が聞こえた。
それは掛け声のような……、人と人が争うときのような声だった。
刑務所の中で誰かが暴れているのかもしれない。
死刑執行前に取り乱す囚人が暴れる、というのもこの刑を見る醍醐味であったからジークフリードはその声をあまり気にしなかった。
だが、その声は鳴りやまず、むしろどんどん地響きのように大きくなる一方であった。
どういうことだろう? 周りの刑の執行を見に来た観衆たちも互いの顔を見合わせる。
その時だった。
裸で髭面の男が血に染まった剣を握りしめ、ジークフリード達の前に飛び出してきたのだ。裸の男の傍には鎧を身に纏った兵士がおり、髭面の男と剣を交えていた。
突然の出来事にジークフリードの心臓は飛び跳ね、尻もちをつく。
いきなり現れた野蛮な男の登場に歯と足が震えてどうすることもできない。
だだだだだ脱走か? 刑務官たちは何をやっているんだ、と思った刹那、同じく粗末な服を着た男や、汚らしい恰好をした女たちが飛び出してきた。
「脱獄だ!」という悲鳴にも似た声が聞こえた。「集団脱獄だ! 逃げろ!」
観衆たちが蜘蛛の子を散らすように方々に逃げ出す。
「た、た、助けてぇええ! 誰かぁああああ!」と叫ぶも誰もこちらを向かない。
剣と剣を交える金属音と怒号が周りに響いていた。
すると、一人の槍をもった刑務官がこちらに近づいてきた。
助けてくれるのか、と思っていると「立て(デーン語)」と命令してきた。
なんとか震える足を支え起き上がると、次は首根っこを掴まれた。
そして、襲い掛かってくる囚人の前に立たされたのである。
盾だ、と分かった。人間の盾だ。
「やめろぉおおおお!」とジークフリードは叫ぶも、その声は怒号にかき消された。
次に逃げ出そうとするも、刑務官はジークフリードの首を掴んで放さない。
囚人の剣がジークフリードに襲い掛かる。
一突き、二突き、ジークフリードの体に剣の尖端が喰い込む。それと同時に刑務官の悶絶する声が聞こえた。敵に囲まれ、串刺しにされたようだった。
ジークフリードは、重力に引っ張られるように倒れ込んだ。
ジークフリードの肉体から血がとめどなく地面に広がってゆく。
その時聞いたのだ。
たしかに聞いたのだ、あの女の声を。
キャロライン=ドンスターの声を。
「さぁ皆! 出口はもうすぐよ!」
うつぶせの状態から顔をあげると、沢山の屈強な囚人たちに守られながら盛んに声をあげるキャロラインがそこにいた。
彼女はまるで盗賊の首領のような、そんな雰囲気を感じさせる野蛮な空気を身に纏っていた。
どうして? と思った。
どうしてこの国の言葉も喋れないくせに、あっという間にそんな屈強な悪人どもを従えさせたんだ?
どうして、そんな怖い人間たちのど真ん中にいて平然としていられるんだ?
どうして……、どうしてだ……・
すると、その姿が思い描いていた理想の自分と重なった。
何にも臆することなく、何もかもをないまぜにして、突き進む王の姿と。
ああ、これだったのだ、とジークフリードは思った。
これだからぼくは負けたのだ。
器が違っていたんだ……最初から……
ダンジョンの100層から生還し、確実に処刑される場所に追いやったのに、そこからも力づくで這い出てきた。
まるで不可能なんて何もない、と思えるほど逞しく、力強く、そしてどこまでも自由なのだ彼女は……
こんなヤツにぼくはきっとなりたかったのだ……
こんな人間に……ぼくは……
ぼくは……
キャロラインは叫ぶ。
「最後の出口を突破するわよ!」
すると、隣のチルリンが肩を叩いた。
「おい、あれ……」
チルリンが指さす方を見ると、そこには地に伏すジークフリードが居た。ジークフリードの下には血が広がっていた。
「ジーク……」と言い、キャロラインはもう動かなくなったジークフリードに歩み寄る。ジークフリードの瞳には最早なにも映っていなかった。
もうとっくの間に天国に旅立ったのだろう。
「なぁキャル……、そういえば前にこいつを殺すチャンスがあった時……どうして殺さなかったんだ? どうして平和うんちゃらってーのにしたんだ? だって、牢屋の中で言ってたじゃねーか。もともとお前の親父は元王家の一族を殺したがってたんだろう? それをあんたが平和なんちゃらっていうのにして、こいつらの命を助けた……。なんでだ?」
「それは……」と言い、キャロラインは少し言葉を溜めた。「彼は、本当の意味で悪人ではないと思ったからよ。彼は彼なりに自分に植え付けられたプライドを必死に消化しようとしていた。恵まれ過ぎていたから……、自分を見失って、もうどうすることも出来なくなってしまった。たぶん、ジークは本当にそれだけだったんだと思う……」
「ふーん……、でもこいつはキャルとアチキをハメて殺そうとしたぜ?」
「ええ、そうね。……できれば、そんなことなどせずに、普通に生涯をまっとうしてほしかった……」
「……」
「さぁ行くわよチルリン。わたくしはここを脱出して本物の悪人を裁かなければならないの。ついてきてくれるでしょう?」
「ここまで来て無報酬じゃ帰れないしな」とチルリンは元気よく言い、先に走り出す。そしてチルリンはまた何かを叫んだ。
空から時計に似たモンスターが落ちてきた、とかなんとか。
その話を聞き、キャロラインはチルリンのあとを追いかけようとするが、再び背後を振り向むく。
血の海の中でうつ伏せに眠るジークフリードの姿がその瞳に映る。
一瞬“貴公子”と呼ばれた頃の彼の面影がちらついた。
「さようなら……、ジーク……」
キャロラインは再び前を見て、走り出す。そしてもう二度と振り返らなかった。




