因果応報
「新しい元号は令和だってよ」
どっぷりと闇に染まった夜中に、とある居酒屋でハゲの中年男性のサラリーマンが酔いながら話していた。発表自体は午前中に行われたが、女将は初耳だったようである。女将は60代を超えているが、実年齢より若く見えた。
ちなみに店内は和風でカウンター席しかない狭い店だ。メニューは一品物が多く、棚には豊富な日本酒が置いてあった。店内にはサラリーマンの他に、カウンターの隅っこで身だしなみの良くない男が酒を飲んでいる。
「まあ、元号が変わったのですか。すごいですね」
「おかみさん、知らなかったのかい? まったくなってないねぇ、日本国民なら誰でも知っているよぉ。店にはテレビもラジオもないのかい。ひっひっひ」
サラリーマンは酔っぱらっており、知ったかぶりしている。小ばかにした口調だが女将はスルーしていた。相づちを打ちつつ、料理の手を休めない。この道数十年のベテランである。
「ですが不思議な気分ですねぇ。平成になってそれほど経っていないと思ってましたよ」
「そうだねぇ。昭和は64年も続いたからなぁ。でも平成も31年は続いているんだよ。大正が短すぎたのさ」
「そうですわねぇ。31年、いろいろなことが起きましたものねぇ」
「まあわたしゃ大学に入ったばかりでしたがねぇ。平和な物でしたよ。昭和時代は大学生が紛争していたと戦々恐々でしたが、いざ入学すれば平和そのもので拍子抜けしましたね」
「ですわねぇ。昭和の人の常識が平成では通じないこともありましたわねぇ。そちらさまはどうですか?」
女将は炭にいる客に声をかけた。見た目は50代で目に隈ができており、無精ひげを生やしている。どこか痩せこけており、あまり健康的な生活を送っているとは思えなかった。
「俺には関係ないね。元号が変わろうが俺の生活には変わりない。騒いでいる連中の方が馬鹿だよ」
そういって男は吐き捨てた。お代わりをよこせと怒鳴る。くだらないことで話しかけるなと悪態をついているが女将は気にしない。
その態度にサラリーマンはカチンと来たようだ。
「おいおい、元号がどうでもいいなんてお前さんは日本人かね。もしかして在日じゃないだろうな」
「在日だろうが関係ないだろう。元号が変わって何になるってんだ。恩赦で死刑囚が無期懲役になるくらいだ」
「なんだよ恩赦って」
「元号が変わってめでたいという理由で犯罪者の刑が軽くなるって話だよ。まあ、事件当時未成年だった永山則夫は減刑されず死刑になったがね」
男は酒を飲み干した。ちなみに永山則夫は1968年に連続ピストル射殺事件を起こした犯人だ。犯行当時は19歳であった。
1997年に東京拘置所で死刑を執行されている。
あと1948年のサンフランシスコ平和条約締結でも政令恩赦を受けた者もいた。もっとも2名で1人は再犯を起こしたが。
「おいおい未成年が死刑になるはずないだろう。あいつらは人を殺しても2年で出られるんだ。まったく日本の少年法は狂っているよ」
サラリーマンは愚痴る。仕舞には自分の不幸は日本の法律が狂っていると嘆きだした。
「……未成年というか、犯行当時に18歳未満の少年でも死刑になる場合があるんですよね。2年前には元少年が死刑執行されたと新聞に掲載されてましたが、あの人は読んでないのでしょうね」
女将が耳打ちをする。サラリーマンの情報源は漫画かスポーツ新聞だ。少年漫画では少年は殺人を犯しても刑が短いという設定が多い。実際には死刑確定も多く、無期懲役などの受刑者も多かった。漫画だと少年法が悪だと宣伝しているように思える。
実際は少年ライフル魔事件など被害者が一名でも死刑執行されるケースがあった。平成になってから死刑を確定した少年囚もいる。だがあまりマスコミは宣伝したがらないようであった。
「ちなみにあなたの場合は恩赦は関係ないですよ。そもそも模範囚で仮出所できたのですから。それが決まったのが昭和元年だから勘違いしたのです」
男は黙ったままであった。その理屈なら先ほど例に挙げた死刑囚が執行された理由にならない。ネットの情報をうのみにした結果である。
女将がそれを知っているのは彼の保護司を務めたことがあるからだ。彼女は引退した後店を開き、元少年囚だった彼を年に一度酒を飲ませていたのである。
彼は17歳の時に人を殺した。叔父夫婦を殺害したのである。もっとも彼らは男の両親が事故死した後財産を奪い、男を奴隷としてこき使った。そればかりか年の離れた妹に花を売らせようとしたのだ。それに怒った彼は叔父夫婦をナイフでめった刺しにした。
しかし正気に戻りすぐに救急車を呼んだが、後の祭りだった。
彼はすぐに逮捕された。そして警察の調べで叔父夫婦の悪行が暴かれ、少年に同情が集まった。少年は死刑を求めた。自分が生きていると妹が不幸になると。
だが検察は情状酌量があると判断し、裁判官もそれを認めた。むしろ叔父夫婦の鬼畜所業を批判したくらいだ。それに彼は救急車を呼んでいる。警察への自首は事件が発覚する前でないと罪は軽くならない。
結局彼は無期懲役刑になった。18歳未満なので死刑にはできなかった。これは国際社会でも同様なので日本だけの法律ではない。
マスコミは騒がなかった。むしろ少年に無期懲役が確定すると新聞もテレビも黙りこんだ。彼らは少年を殺人鬼で、一切反省していないと宣伝したいのだ。国選弁護士が取材を受けた際も少年は反省していると伝えたら、マスコミはふくれっ面になったという。
逆にとある週刊誌が彼を殺人鬼と称し、叔父夫婦は天使のような仲睦まじいと記事を書いた。それに近隣住民たちが反発した。でたらめを書くなと出版社に抗議を出し、別の雑誌で訴えたのである。
その後、とある少年犯罪が起きたので彼の事件は忘れられた。人々にとって少年犯罪は年々増加し凶暴で一切反省していないものと決めつけたいのである。
男は刑務所に服役した。所内で働いた賃金はすべて妹に渡す様にお願いしてある。彼は真面目に働いた。長生きしてなるべく妹の支えになりたいと願っていた。
刑務所内でも看守はなぜこの少年が無期懲役になるんだと憤慨する者もいた。もちろん意地悪な人間もいたが守ってくれる人間の方が多かった。
子供を虐待したり、女に暴行をした者は嫌われていた。男は殺人犯だが正義の行いをしたとして評価が高かったが、男にとってそのような評価は買いかぶりすぎだと思った。
一度暴力団関係者のリンチを受けたこともあるが、ひるまなかった。自分がここで殴り殺されても自業自得だからである。しかし、男は死ぬことはなかった。逆に暴力団に気に入られ、一目置かれる立場になった。おかげで刑務所ではかなり優遇されることになってしまったのだ。
昭和64年に昭和天皇が薨去し、平成天皇が即位した。そして男は仮出所が決まったのである。実は恩赦は殺人には適応されず、それで刑が軽減する受刑者はいなかった。それ以前に仮出所は決まっており、平成元年に仮出所したため、恩赦と勘違いしたのである。
男はそれが不満だった。人殺しがたった20年で出られることに納得がいかなかった。妹がこれを知ればどんな目に遭うかわからない。世の中は自分には関係ないくせに加害者の家族をいじめていいと考える馬鹿がいるからだ。
実際に囚人の中にはそういう目に遭った者もおり、腹を立てて馬鹿にした相手を殺したと愚痴をこぼしていた。
もっとも女将によれば妹は平成10年にモンゴル人と結婚し、モンゴルに住んでいるという。そしてヤクを飼い、遊牧民の生活を送っているということだ。それを聞いて男は安心した。ちなみに妹は兄の出所を喜んだという。お祝いに保護司の女将を通じてヤクのチーズをくれた。
「俺は刑務所を出たくなかった。あのままずっと過ごしたかったよ」
男は愚痴をこぼしていた。彼は女将に紹介してもらった仕事を真面目に努めていた。さぼることなく、贅沢をせずに過ごした。仕事が終われば内職にも精を出している。
怠け者で意地の悪い同僚はお前は人殺しだろうと他の同僚の前で大声で暴露したが、逆に社長に注意された。他人のことを言う前に自分を何とかしろ、彼が真面目にやっているのが気に喰わないだけだろうと叱られた。
他の同僚も真面目に働き気遣いのできる男を味方した。逆にお前みたいなやつとは仕事できないと糾弾する始末だった。
それに逆恨みをして、男の住むアパートに押し入り、部屋の中を荒しまわったら警察に逮捕された。俺は殺人犯を懲らしめるための正義の行いだと主張したが、警察は受け入れずむしろ悪質だと判断された。刑務所に収容された後、囚人に噛みつき、集団で暴行された挙句、首つり自殺したそうだ。
自分の思い通りにならない世の中に絶望して死んだのである。
それと同僚からこんな質問を受けた。叔父夫婦の家では家畜以下の食事しかもらえなかったのかと、あと刑務所の食事の方が豪華だったかと訊かれた。
確かにその通りだが、なぜ知っているのだろうか。それはインターネットで調べたという。刑務所内でもテレビは見れた。だからネットのことは知っている。
ネットで調べて男のことを知ったそうだ。裁判の記録が賢覧できるそうである。
本当だと答えたら同情された。いいうわさは広まらないのに悪いうわさはすぐ広まると言うが、ネットの力はその悪いうわさを打ち消すのだなと男は感心し、ネットの力が恐ろしく思えた。
少年死刑囚の記事を読み、サンフランシスコ平和条約を鵜呑みにしたため、勘違いしたのは赤面ものである。実際恩赦を調べれば死刑囚への恩赦はなく、戦後は法律変更などによる量刑不均衡の是正のための救済や、社会的影響のないレベルの罪や社会復帰後に何ら問題を起こしていない人に対しての復権させるものとなっているそうだ。
社長は「この世は因果応報だよ。いいことも悪いこともすべて返ってくるのさ。速効性はないけどね。逮捕されたあいつは子供の頃から弱い者いじめばかりを繰り返していてね、そのせいで結婚しても相手は逃げるし、同僚も相手にしなくなったのだよ。他の人間は自分のために気を使えと怒鳴り散らし、自分は一切面倒事から逃げてきたのさ。その報いが積み重なって帰ってきたんだよ。俺の親父も真面目一徹で貧しくても人の面倒を見てきた人さ。そのためか親父の葬式には大勢の人が集まってきたね。香典のおかげでうちの経営も持ち直したのだよ。ああいうのは因果応報というのだね。君も確かに罪を犯したが、善行を積んだからこそ今の状況があるのさ。あまり自分を責めてはいけないよ」と慰めてくれた。
元号が変わっても何も変わらない。そんなことはありえないが、男にとっては満足できるものではなかった。
「まったく腹立たしいなぁ。おかみ、お代わりだ!!」
「はいはい。年に一度だけですからたんと飲みなさい」
女将は酒を注ぐ。彼は今も真面目に働いており、酒はこの店以外飲んでいない。女将が年に一度の贅沢だと誘うからだ。あと妹の仕送りはしていない。妹が拒否したのだ。金は自分のために使ってくれと手紙をよこしたのだ。写真には子供が三人ほどおり、幸せそうな表情を浮かべていた。
「あの鬼畜夫婦を抹殺したことはいいことですよ。そのおかげで妹さんは幸せに暮らせるのですからね」
「あんたは殺人を肯定しちゃだめだろう」
「もうわたしは居酒屋の女将ですからね。わたしだってへどの出る人間は死ねばいいと思っていますよ。普段はそれを口にしないだけですけど」
女将は朗らかに笑った。サラリーマンはすでに酔いつぶれて高いびきだ。
男は静かに酒を飲む。平成の大半は刑務所だった。しかし後悔はない。
そもそも叔父夫婦を殺害したときは何の後悔もなかった。人にあだなす害虫を潰した気分だった。あるのは妹を不幸にしたと早まったと反省の気持ちだ。
「あとひと月で令和か……」
男は酒を口にした。
世の中殺人を犯す人間が、全員殺人鬼ではないという話です。
出所しても過去のことを口にしたがる人間はいると思う。
犯罪者だから自由に傷つけていいという馬鹿は何処にでもいるからだ。
作中の少年死刑囚はウィキで調べた。結構死刑になった元少年は多かったので驚きです。
なんとなく太宰治を意識してみました。太宰先生は自身が心中事件を起こしており、作中の主人公も割と心中に関わることが多いですね。
とはいえこの作品の主人公は自殺する気はないです。
注意2019年4月15日。知人のメールで殺人による恩赦はないとのことです。実際に恩赦で調べましたが昭和天皇の崩御の際に死刑囚への恩赦はなかったようです。まったく恥ずかしいですね。