#2 Only The Wise Can Control Our Eyes
僕は理解できていなかった。なぜ僕は学校と反対方向にお姉さん(だと思う)と歩いているんだ? いや、百歩譲ってそれを理解した(事実を受け入れた)として、なぜ手を繋いで歩いているんだ???
「あ…あの…」
「ん!?どうした?ああ、名前か!!あたしは志保!!君は?」
唐突に展開された自己紹介タイムに、僕はたじろぐしかなかった。幼い頃から、自己紹介が大の苦手だからだ。自分を誰かに伝えるのは、誤解を生むような正しく伝わらないような、そんな不安でいっぱいになってしまう。
「深咲…です…」
「みさきっていうんだ?かわいい!!んふ♡」
ドキッとした。自己紹介に対する恐怖の余韻なのか、それとも違う何かなのか。よくわからなかった。
「あたしといるのはそんなに嫌?」
突然、先輩の顔が目の前に来た。声がこれっぽちも出なかった。あまりの近さに僕は視線の置き場を探すのに必死で、先輩からほのかに香る優しい花の匂いなど気づきもしなかった。
「さっきから元気ないね?心配になっちゃうよ。男の子は元気がなきゃ!!」
「…すいません。」
「そういうとこだぞー!!…なんてね。まあ人ってそれぞれだから。正直あたしのこと、怖いって思ってるでしょ?」
「そういう訳ではないんですけど…」
先輩の顔がさっきよりも近づいてる気がした。僕は、先輩の興味が僕に一点注がれないように、何か話題を探すことに躍起になっていた。
「先輩は先輩ですか?」(?)
「そ。3年生。意外だった?」
僕は何を言ってるんだ。という気持ちと同時に、先輩が先輩であるということはわかった。当然だ。それ以上に含みなどない。
「あんまり学校好きじゃなくてさ。ちょっとサボりたいとこだったから、君に会えてちょうどよかった。」
なるほど、僕はサボりの口実にされているわけだ。自分に対しての先輩の注目が思ってよりないのでは?と思うと少し楽になった。しかし、相変わらず繋いだ手は離れないままである。半拉致状態のような心境であることに変わりはなかった。僕は今どこへ向かっているのだろう。
「着いたよ。我が家だ。」
ぐるぐると禅問答のように自分の世界を回っていると、先輩の家の前まで来ていたようだ。その外観は家というよりは、小さなお店だった。
「ただいまー!!かわいい子連れてきたよ!!」
そういうと先輩はそそくさとお店に入っていた。ここまで、手を繋いで一緒に歩いてきたことを考えると少し寂しくも思えた。
『HELIX』そう書かれた看板は少し草が生い茂っていた。しかし、店舗は古いわけではなく、新しくシンプルな外観のライブハウスのようだった。
恐る恐る中に入ると、奥行きの深さに驚いた。外見のこじんまりとした感じとは少し違った。所狭しと楽器が並んでいる。ギター、ベース、ドラム、キーボード。バンド楽器に特化したお店のようだ。これを我が家と呼ぶのは、いったいどういうことなのだろうか。
一通り店内を見回してみる。先輩は一体どこに行ったんだ?怪しい人のようにきょろきょろしていると、店員とおぼしき人を見つけた。
「あのー…すいません…」
「姉さんなら、下だよ。
「え?」
「地下のスタジオにいるんじゃない?」
少し長い黒髪に筋肉質で、少しおしゃれに着飾った店員は、修繕中のベースから一瞬も目を離すことなく淡々と僕にそういった。少し威圧的にも聞こえた気がしたが、そんなことよりも地下にスタジオがあることの方が驚きだった。
店員に礼を言うと、店奥の階段をゆっくり下った。降りる際、徐々に何やら音が聞こえた。
ドンドン チャッチャ ドスドス ジュワアア
ドラムの音だ。先輩が叩いているのだろうか?僕は謎の好奇心と迷宮を歩くようなワクワクを隠せずにいた。
音の聞こえた『002ルーム』の前まで、来ると突然曲が叩かれ始めた。僕は、そのドラムに聞き覚えがあった。チャイナシンバルの重く弾けるサウンドに、まさに鬼神の如く繰り出されるツーバス。スネア捌きは言わずもがな、中盤のタム・フロアタムのロールは手数が圧倒的。その姿は、何者も寄り付かないほどの激情に身を任せ、だが妖艶な蝶のように魅了する。聞き覚えのある音にもう興奮を隠せなかった。次の瞬間には、スタジオの扉を開けていた。そこには、さっきまでの先輩とは全く別人の、激しすぎるプレイングの狂気さえ孕んだ先輩がいた。
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プレイを終えた先輩は、僕の存在に気付くとクシャっと笑った。
「いひひ。どうだ!!かっこいいでしょ。まあ、わかんないか。」
「Only The Wise Can Control Our Eyes…」
「お!?、よく知ってるな。君も好きなの?」
先輩の返答がうまく頭に入ってこなかった。圧倒的なプレイングに、魂を抜かれたようだったからだ。ドラムの上で、まるで自分自身の表に出してはいけない悪魔を、憑依させているかのようだった。
「さっきからぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「先輩、その、かっこいい…です。」
「おお??そう?なんだかうれしいな。ラウドロック好きなの?」
「いつも聞いてます。なんだか、強くなれる気がして…」
「わかるよ。あがっちゃうよね。」
幸せと衝撃が同時にくると、人は動けなくなるらしい。一切の脳から命令を体内は受信していなかった。凌駕されたという言葉がとても似合うかもしれない。
「姉貴、混ざっていい?」
ふと、背後からの声に我に返って振り向いた。そこには、先程黒髪筋肉質の店員がいた。
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