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胡蝶の夢、華の未知  作者: 天海
十一章
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十一章 六

「お久しぶりです、伯言殿」

「お久しぶりです……! わざわざ御足労いただきありがとうございます、伯約殿。さあ、此方へ」


 知らせが届いてから一週間後、姜維と夏侯覇は西陵の陸遜の邸へ訪れていた。

 夏侯覇は邸の居間に通されたが、姜維はその更に奥、陸遜の自室まで招かれ恐る恐る足を踏み入れる。が、招いた本人である陸遜自身は緊張感もなく、年下の友人の来訪を心から歓迎している様子であった。


「隠居されると伺った時は、大変驚きました」

「お騒がせしてしまい、すみません。色々と事情がありまして」


 姜維の目から見ても陸遜は健康そのものであり、体の衰えを感じさせるようなこともない。促されるまま腰を下ろしながら、苦笑を浮かべ茶を淹れる姿を眺め、猶更突然の隠居の理由に首を傾げるばかりである。


「……何か、問題が……?」

「いえ、そんなに深刻な事ではないのです。息子の抗が、私が大都督の間は仕官しない──などと言うものですから、ならば若い者に譲ろうかと」

「また何故、そのような事に……あ、いえ。言えないこともございましょうから、無理にとは申しませんが」


 いくら歓迎されている身とはいえ、陸遜は呉の大都督であり呉の中枢を担っていた人物である。深く足を踏み入れれば、それだけ他国の内情に踏み込んでしまう質問であった為、姜維は慌てて首を振った。

 だが、陸遜は構わないと一笑すると、柔らかな雰囲気を一変し含みのある視線で姜維を見据える。それを、他言無用の意図であると理解した姜維は、無言でただ一度だけ頷いた。


「不可抗力ではあるのですが、呉は私に権力を集め過ぎてしまいました。故に、陸家の者による更なる権力の増長は避けたかったようなのです」

「なるほど……諸葛丞相や、蒋大司馬の状況とよく似ておりますね」

「ええ……お二人とも、苦労なされたのでしょうね」

「……私には、想像する事しかできませんが」


 陸遜は孫権に重用されており、呉には二人の権力者が存在するとまで揶揄された事がある程に、彼の力は強大であった。孫権が健在である間は良いが、その権威が揺らいだ際、最も影響を受けるのは陸家である。それは共倒れ、という意味ではなく、より優れ安定した権力への移行という意味であることを理解していた陸抗は、呉という国の存続の為に自らの権威を削ごうと考えたのであった。

 もっとも、陸遜という男は正論を正論で固めた愚直とも言える姜維に似た性質を持っており、息子の陸抗は説得に苦労した。という話を聞かされていたのは姜維ではなく、居間で陸抗と語らっていた夏侯覇の方であったのだが。


「それで良いのですよ。しかし、私はお二人に頭が上がりません……立ち止まり疲れを自覚してしまった事が、この事態を引き起こした要因の一つでもありますので」

「伯言殿……」

「伯約殿。貴方は幼い頃にお父上を亡くされ、大変な苦労をなされていたそうですね。私も子供の頃に家が没落し、地方へ疎開していた子供達以外は皆殺し……その為、元服前から生き残りの子供ばかりの陸家を率いておりました。もう、休む頃合いかな、と思いまして」


 二人が意気投合したのは、なにも互いの性質が似ていたからだけではない。ここに至るまでの背景に似たものを感じ、同じような苦労をしている若者の姜維に対し、同情した陸遜が気にかけていたという事情もあったのである。しかし、それを陸遜自身が姜維に伝えることはなかった。


「そう、なのですね……少し残念ですが……」

「その代わり、文は引き続き送らせていただきますし、時折遊びに行かせてください」

「……遊びに……ですか?」

「はい。恥ずかしながら、この年まで友人と遊ぶ──という経験があまりなくて、少し憧れているのです。……どうでしょう?」


 遊戯に関しては、姜維もそれほど経験がある訳ではない。幼少期ですら野で駆け回るよりも座学を好み、武術を学んでいた堅物である姜維にとっての遊びは、たったひとつの趣味と、付き合わされる酒の席程度しか心当たりがないのである。

 しかし、同じ堅物である陸遜がどんな行為を遊びと称し、憧れているのかは姜維としても興味がある。そしてなにより、他国且つ年下の人間である姜維をその相手として選んだという現状は、立場上実現可能であるかどうかそのものは別としても、喜ばしいことであった。


「……勿論、喜んで。その貴重な友人として私を選んでくださるなんて、とても嬉しいです……!」

「良かった……これからも、どうか宜しくお願いします」


 無邪気に喜んだ姜維の様子に、陸遜もまた胸を撫で下ろし頬を緩めたのであった。

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