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胡蝶の夢、華の未知  作者: 天海
十一章
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十一章 四

「…………あの」


 関索が姜維に泣きついてから約一刻半後、姜維の邸にある筈のない控えめながら地味ではない女性物の服を着せられ髪を纏められた家主が、心底不満気な表情で二人を睨み上げていた。その顔にはしっかり化粧まで施されており、元々中性的な外見をしている姜維は、立ち上がり声さえ出さなければ女だと言われても誰も疑いはしないだろう。


「うん、いいね! 凄く似合ってるよ、伯約!」

「我ながら、見立てが良過ぎたかもしれないな……」


 姜維はいつまでも睨み続けていたが、数々の死線を潜り抜けた二人にその程度の剣幕が通用する筈もなく、あまりの出来の良さに普段以上に義弟を称賛する関索と、神妙な面持ちで完成度の高さを自画自賛する夏侯覇は、姜維の視線を気にも留めずただただ眼前の哀れな男を眺めていたのである。いくら凄もうとも、これでは全く意味を成さない。


「酷い……」

「もう維之殿には相思相愛で妾もいらない程に愛してる妻が居る、って見せ付けるしかないでしょ」

「何故、私がその妻役なのですか……!」

「だって、嫁入り前の女の子にさせるわけにもいかないし、だからといって人妻も、ねぇ?」


 いくら偽りであろうと、下手な女性を巻き込めば冗談では済まない。その点、見た目だけは誤魔化しの利く姜維ならば後腐れもない為、格好の餌食となったのである。

 本人にとっては迷惑この上ない話ではあるが、夏侯覇も関索も目下の問題に対し至極真面目であった。故に、姜維も強く拒否できなかったのだ。無論、ふざけていたのであれば、いくら弄られっぱなしの姜維であろうとも実力行使に出ることは想像に難くない。


「それはそうですが……」

「大丈夫、人妻感はしっかり出てるよ!」

「何故」


 本人達は褒めているつもりだが、姜維にとってそれは称賛ではなく屈辱を感じるだけの評価である。化粧も服も台無しにするほどの渋い顔を浮かべながら、拳を握り必死に怒りを堪えていた姜維だったが、次に義兄が言葉にした台詞には思わず立ち上がり声を荒げてしまうのも無理はなかった。


「そのまま僕の嫁になる?」

「なりません! 耄碌(もうろく)するには早過ぎますよ、兄上!!」


 だが、姜維の怒りも空しく結局はその姿のまま引きずり出され、関索の自宅まで連行された姜維であった。



 関索の自宅に三人が辿り着くと間もなく例の轟音が鳴り響いた為、夏侯覇は部屋の奥に隠れる。関索の自宅を嗅ぎ付けた件の人物は自宅の敷地内にまで足を踏み入れることはなかったが、夏侯覇の指示通り中庭に出て茶を淹れ始めた関索と渋々従う姜維の姿を見つけ、硬直したかのように動きを止めた。


「……そ、そんな……王子様……」


 彼女の視界には、中庭の卓で茶を楽しむふたりの男女の姿にしか見えなかったのである。花鬘にとって関索以外の男は視界に入ることはなく、関索に近づく女性は敵でしかない。だが、他でもない関索自身が進んで茶を淹れる相手ともなれば、強く出ることなど到底出来はしなかった。

 そして、関索以外の男が視界に入らない為、眼前の銀髪の人物が男であることにも気付けなかったのだ。


「あの……そちらの女性は……?」

「僕の妻です」

「つ、妻……!? 王子様は、独り身だと聞いていたのに……」


 花鬘の漏らした言葉に、姜維は首を振りたい衝動を必死に抑えていた。やはり、ここにきて突如結婚したなどという嘘は無理があったのだ――無理やり着替えさせられている間も、そう言いたい気持ちを堪えていたのだが、躊躇わずに言っておくべきだったと後悔するばかりである。

 しかし、稚拙な嘘を目の当たりにした花鬘の反応は、残念ながら姜維の想像を超えていた。


「あはは、いつの情報ですか。先日結婚したんですよ」

「…………本当に、女性ですわよね……?」

「え? ええ、こんなに可愛くて綺麗な子が、女の子じゃないわけないでしょう?」

「…………そうですわね……そうですわよね……絹の様な髪に、切れ長の目。玉の様な美しい肌……美しすぎますわ…………王子様と、よくお似合いですわ……」


 女性に掛ける言葉としては最上位の褒め言葉であろうそれらは、姜維の男としての矜持を悉く踏みにじっていく。だが、姜維はこの感覚に身に覚えがあった。魏の将として初めて出た戦での、趙雲や諸葛亮による称賛の数々。それらの少女に投げかけるかのような言葉達は、今の様に悪い意味で姜維の心に刺さっていたのだ。

 不本意な状況に加えて不本意な言葉をかけられ次第に落ち込んでいく姜維の姿は、傍目には儚げに見せてしまいかえって女性らしいか弱さを演出してしまっていた事に本人は気付いていなかった。


 そんな姜維と同様に落ち込んでしまった花鬘は、目の前の偽りの現実を事実として受け入れると、悲壮な面持ちのままその場を後にした。その背中はあまりにも哀愁が漂っており、関索も流石に良心の呵責に苛まれ、苦笑を浮かべながら視線を落とす。


「……なんだか、悪い事をしちゃったかなあ」

「…………私にも、悪い事をしたと思っていただきたいです」

「ご、ごめんね伯約……! でも本当に助かったよ、ありがとう!」


 一方、巻き込まれ散々な目に遭った姜維の怒りは並のものではなく、関索と夏侯覇がまともに相手をされるまでにはこの後数日はかかったのであった。

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