十一章 二
張兄弟は手が離せない用事があるという事で、結局、自宅で暇を持て余そうとした姜維のみが連行されて来ていた。が、本人は邸の面子を目にした瞬間肩を落とす。夏侯覇と関兄弟という、完全に姜維が弄られる布陣だった為だ。
「で、どうだった? 初北伐の感想は」
関興本人は成都で留守番をしていたからか、関索が姜維を連れてくるまでも北伐の様子について度々質問を繰り返していたのだ。
「ううん……あいつらって、敵に回すと面倒なんだな……と、しみじみ」
「あ、そういえば鉢合わせたんだっけ?」
「はい。総大将があんな所に居るなんて、流石に予想出来ませんでしたね……」
これまでの夏侯覇は魏軍として北伐に参加しており、豊富な人材と兵力、そして優秀な戦術・戦略家のおかげで、戦に対し「面倒」という感想を抱いたことは殆どなかった。しかし、今回初めて母国を敵に回し、如何に魏が強大で蜀漢がそれに苦心していたかが分かったのだ。なにせ、呉と蜀を同時に相手しても尚、まだ余裕のある様子で対峙されたのだから。
「でも善戦したって話じゃん?」
「伯瞻殿の援軍が間に合ったからですよ。向こうも将が二人増援で来ていましたし、あれがなければどうなっていたか」
現在のところ、何故司馬師があの状況で撤退したのかは夏侯覇にも分からなかった。だが、司馬昭はともかく鍾会は一部隊を引き連れて来ていた為、馬岱の援軍がなければ夏侯覇も姜維も無事に戦を終えられた自信はない。特に鍾会は何をしでかすか全く予想がつかない。
諸々を思い出しつい溜息を漏らした夏侯覇に、関興も労いの言葉をかけたのだった。
「もう、本当に心配だったんですよ! みんな無事でよかったです!」
二人が真面目な会話を続けていたところに、義弟を片腕で抱えた関索も首を突っ込む。相変わらず酒には酔ってはいないが、雰囲気には酔っているのだろう。普段なら気にし過ぎなほどに気にしている筈の姜維の顔色が、興奮のあまり腕を振り回す度に一緒に振り回され青くなっていることまでは、気にしている様子はないのであった。
「あ、兄上……私を振り回さないでください……」
「伯約も大将なんだから、むやみに一騎討ちしちゃ駄目だよ!」
「……す、すみません」
だが、それでも意見だけは至極真っ当である。返す言葉もない姜維は一度は文句を口にしたものの、ばつの悪さに視線を逸らし腕から逃げ出そうとする始末であった。勿論、義兄に捕まっている以上、彼に逃げ場はないのだが。
「おまえも相変わらずだねぇ……若いのが増えてきたんだから、そろそろ譲ってやりなよ」
「今回は、偶然衝突しただけです。決して、手柄を独り占めしようとした訳では……」
冗談交じりとはいえ関興にまで悪癖を責められてしまい、予想とは異なる状況に姜維はただただ縮こまるばかりである。が、そこに助け舟を出したのは、同じ戦場に居た夏侯覇だった。
そもそも姜維も、敵将と直接相対するために戦っていた訳ではないのだ。奇襲作戦中であった夏侯覇は詳しい状況までは知らないとはいえ、まさかそう運良く司馬師の居場所を突き止められる筈もない。故に、偶然遭遇してしまったという姜維の言葉が真実だと考えられたのだ。
「まあまあ、その辺にしてあげてください。陽動が見抜かれて、色々と忙しなかったんです」
「そういうことなら仕方ないけど。こいつ、目を離すと一人で全部やろうとするから、ちゃんと首輪でもつけて捕まえてくれよ?」
「はは……気を付けます」
まるで猛獣かなにかかと言いかけた夏侯覇だったが、例えられる本人が目の前にいる以上それを口にする事は出来ない。しかし、本人は本人で同じことを考えたのか、不満げに唇を尖らせながら関興を睨み上げていたのだった。勿論、関興にその睨みが効くことはないが。
「何故、獣の様な扱いなのですか……」
「自分の胸に聞いてみなよ」
本人は納得していないものの、関索に猫可愛がりをされているところはそれらしいと言わざるを得ない。とはいえ、少なくとも犬ではないだろう――などと、夏侯覇は一人考えていた。




