十一章 一
決定的な勝利とはいかないまでも、狄道を領地とする確実な成果を上げた北伐が終わりひと月が経過した頃、夏侯覇はおよそ二年ぶりに成都に帰還していた。
叔母の月姫への挨拶や、殆ど使っていなかった邸の掃除を済ませ居間で休憩していた夏侯覇の元へ、手荷物を持った人物が訪れる。遊ぶつもりである事を微塵も隠しもしないその人物は、騒々しい関索の騒々しい兄・関興であった。
「よっ、仲権殿。久々の帰省だな」
「二年は居なかったので、漢中の方が自宅の感覚がありますけどね」
ただでさえ騒々しい男ではあるが、その手荷物も酒や料理である為、更に騒々しくするつもりで訪れたのであろう事は夏侯覇も理解したが、止めるつもりも咎めるつもりもない。関興の騒々しさは、多くの場合相手を気遣っての事であると姜維からも知らされており、夏侯覇自身もその意見に賛同できる程度には彼からの気遣いを感じているからである。
「そりゃそうだよなぁ。こっちにはどのぐらい居れるんだ?」
「入れ替わりになるので、二ヶ月程度でしょうか」
「忙しないなぁ……漢中に家貰った方が良かったんじゃない?」
「それはそうなんですが……ねえ?」
漢中にも町や集落はあるものの、かの地はあくまで軍事拠点である。故に、先の事をある程度知っている夏侯覇としては、進んで居を構えたい地ではなかったが、それを関興に伝えることは出来ずはぐらかす。そして、当然未来の事など知りようがない関興の目には、夏侯覇の様子は「やりたくても出来ない」と口に出来ずにいるかのように見えたのだった。
「まあねぇ……じゃ、とりあえず飲もうぜ」
「いいですね。飲み比べますか?」
「ええー? 仲権殿結構飲めるじゃん、おれ潰されちゃうよ」
持ってきた酒瓶を掲げる関興の提案に思わず頬を緩めながら食器を出し始めた夏侯覇の背に向けて、冗談交じりながらも非難の声が上がる。関興自身も酒に弱くはない為酔い潰れるようなことはないが、夏侯覇も滅多に酔うことはない。つまり、飲み比べをしたところで、姜維の様に酔ったところを狙って揶揄えない事を嘆いているのだ。
「夏侯将軍ー! いらっしゃいますかー?」
「どうぞ、上がってください」
そこに狙ったかのように騒々しい声が上がり、関興は思わず顔を抑える。関興は狙って騒々しくしているが、この声の主は無自覚に騒々しい。夏侯覇と二人で飲む為に一人で訪れた関興としては現在最も避けたい人物であったものの、こうなってしまっては後の祭りである。
「あ、興兄も居たんですね」
騒々しく邸に上がり込んできたのは、関索であった。その手には実兄と同じく酒や料理が握られており、兄弟揃って同じような事を考えていたという事実を理解した夏侯覇も、それには声を上げて笑うしかない。
「おまえ、朝早くに出掛けて行ったと思ったら、買い物してたのか……」
「はい。せっかくの休暇なので、夏侯将軍に僕のおすすめのお酒を紹介しようかと――」
そこまで話して漸く関索も関興の持ち物に気付いたのか、ぱっと顔を輝かせた。
「お二人とも……もしかして飲むんですか?」
「とんでもない奴に見つかっちゃったよ……」
「あはは……そう、邪険になさらずに」
頭を抱え嘆く関興を慰めながら食事の用意を始めようとしていたと伝えた夏侯覇に対し、関索は緊張感のない顔でうんうんと頷き何かを考え込む。それを眺め諦めた様子で発破をかけた関興に促されると、頷き首を傾げたまま二人を見上げた。
「せっかくなので、伯約や苞兄たちも呼んできましょうか?」
「……どうします?」
「おれは全く問題なし!」
関興の意図を理解していた夏侯覇はおもむろに視線を向けるが、降参とばかりに両手を上げた関興は笑いながら了承したため、夏侯覇も快く提案を了承する。それを聞いた関索は笑顔を見せながら勢い良く邸を飛び出していったのだった。




