六章 六
姜維を蜀に引き込んだ諸葛亮という天才は、発明家としても有名であった。数々の兵器や、兵糧として万能な食材等も発明・改良し、時には発明により地方の悪習を止めさせることもあったという。
宰相としては諸葛亮の直接の後継者にならなかった姜維であったが、こと軍事においては彼以上の適任者がおらず、彼こそが正当な後継者と言っても過言ではない。故に、諸葛亮の発明した兵器の管理や量産・改良は姜維に一任されていたのだった。
「へえ、これが噂の連弩ですか」
そんな姜維が、人の居なくなった鍛錬場で手入れを行っていたのが、諸葛亮が遺した兵器のひとつ“連弩”である。
連弩とは弦を引く動作を必要とせず、矢を射るまでの全ての動作を片手で行うことが出来る弓の一種だ。諸葛亮の改良したものは、それに加えて一度に複数の矢を撃つことが出来るという。
その珍妙な見た目に惹かれた夏侯覇は、訓練用の武器の片付けもそこそこに連弩へと熱い視線を浴びせていた。
「使ってみますか?」
「いいんですか?」
「ええ。良い機会ですし、弓術に優れる貴方には、是非感想をいただきたいのです」
「なら、少しお借りして……」
発射口を的に向けながら連弩を持ち、姜維に説明されるがまま上部に取り付けられた梃子を引くと、いとも容易く矢が発射される。的の中心には当たらなかったものの、その単純明快な操作と、従来の矢と比べると短いながらも的にしっかり刺さるその威力に夏侯覇は目を輝かせた。
新しい玩具を手に入れた子供の様なその反応には、思わず姜維も吹き出してしまう。
「おおー! なかなか良い威力ですね」
「通常の弓の倍の速度で発射出来るよう、改良しましたから」
夏侯覇の反応が良かったことに安心したのか、珍しく姜維は自慢気に胸を張って見せた。姜維が兵器の改良をしている姿などまるで想像できないが、こんなことで嘘を吐くとも思えない為、人間的には不器用でも案外手先は器用な人間なのかと、失礼な感想を抱きながらも夏侯覇は感心したのだった。
「うんうん、これならまたやり方が変わってきますね。ただ、照準が合わせづらいのが難点でしょうか」
「やはり、そこは気になりますよね……何か、良い案を探さなければ」
「私なら、慣れれば何とかなりそうですけどね」
流石ですね、と肩を竦めて笑う姜維につられるように笑いながら連弩から再度矢を放つと、今度は的の中心にしっかり矢が刺さる。我ながら上手過ぎるのではないかと独り言ち得意げに鼻を鳴らす夏侯覇と、その腕前を神妙な面持ちで見守りながらもつい対抗意識を燃やし、自らももう一台の連弩を構え矢を撃ち出し始めた姜維の様子は、傍から見れば真面目な連弩の訓練だっただろう。
「……これは、実戦で使用したことはあるんですか?」
「諸葛丞相の北伐にて、実践投入されていました。私も何度か使用しましたが、御覧になったことはないのですね」
「うーん……私は遭遇しなかったようですね。まあ、撃たれた側は連弩か弓かの違いも分からないかもしれません」
「ああ、それもそうですね」
敵に矢を撃たれるということは、それだけ敵の攻撃範囲、守備範囲に近しいという事実を意味する。どこから撃たれたかを気にする者はいても、どのような兵器から撃たれたかを気にする余裕のある者など、そうそういないのだ。そんなことを気にする暇があったら、迎撃や後退に時間を割いた方がよほど建設的である。
「ですが、貴方がこれを完璧に使えるようになれば、今後の戦略の幅が広がりそうです」
「あははは……そう期待されると照れますね」
弓と比べれば個人の技術をそこまで必要とする兵器ではないが、使えるようになっておいて損をするものでもない。攻城や防衛にはうってつけの兵器であるため、兵力で劣る蜀軍にとっては重要な道具の一つであるだろう。
もっとも、それが使われるのはいつになるのか、今とは異なる未来を知っている夏侯覇でも分からないところではあるのだが。
「伯約殿は使い慣れているようですが、どれぐらい使われているんですか?」
「私は……蜀に降ってからほぼずっと、でしょうか。使いこなすまでに苦労しました」
「へえ。貴方でも、得物の扱いに苦労することがあるんですね」
どんな人間だと思っているのだと言わんばかりに苦笑した姜維は、使っていた連弩の汚れを払うように布で軽く拭き始める。姜維個人の武芸については未だに異常なまでの技術を誇り、先日の手合せで実際に動きを見てもそれは変わらないと夏侯覇は感じていた。普段の不器用な人間性が嘘のように、高度な剣術を多く披露したのだ。彼が得意とする得物は槍であることは以前から知っていた為、剣でも並み以上の技術を操る以上、大抵の武器など容易く扱えるものだと思い込んでいたが、どうやら現実は違うらしい。
「完璧な人間ではありませんからね。私にも、得手不得手はあります」
「苦手な得物なんてあるんですか?」
「ええ、長刀の類はどうにも……勝手が違うようで」
「意外ですね……」
長刀と言えば、関兄弟の父・関羽が使っていた青龍偃月刀などが有名だろう。現在は関興がそれを受け継いでいると聞いてはいるが、やはり武人としては一度は憧れるのか、実際に関興の立ち回りを見たことがある姜維も、長刀を用いた武術を試してみたことがあるのだという。しかし、どうにも上手く扱えず、泣く泣く長刀の道は諦めたというのだから、姜維にしては珍しい諦めの良さである。
「槍なら平気なのですが、なかなか思うようにはいきませんね」
「個性、という奴ですね」
「……前向きでいらっしゃる」
自分も長物は得意ではないのだと冗談交じりに笑いかけた夏侯覇の言葉に親近感を抱いたのか、姜維も困ったように笑みを見せるのだった。




