表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胡蝶の夢、華の未知  作者: 天海
四章
33/76

四章 五

 呉との会談から無事帰還した翌日、数日の休暇を言い渡された夏侯覇は暇を持て余し、幕府内を散歩していた。これまでも暇があれば鍛錬ばかりしていたため、今回もその例に漏れず朝から日課の鍛錬をしていたのだが、どうにも身が入らないのである。

 原因は明白だ。会談からの帰路、その道中で気付いてしまった己の知識と事実の誤差。その己の知識の出所に、まるで心当たりがなかったからだ。


 夏侯は魏の名門である。いくら今の夏侯覇が武一辺倒とはいえ、幼少期から一通りの座学も身に着けており、情勢や時勢も読めないわけではない。そうでなければ司馬一族による謀反後も亡命せずに暢気に過ごし、何かしらの理由をつけて今頃処刑されていただろう。

 そして時勢が読めるということは、当然自国のみならず他国の情報を耳に入れ理解出来ていた、という事になる。だからこそ、呉に関する情報がまるで異なっている状況など起こる筈がないのだ。


孫仲謀(そんちゅうぼう)は健在で、後継も決まり安泰……か」


 夏侯覇の知識が正しければ、夏侯覇が亡命する少し前に呉との戦が起こっている筈だった。だが、この現実では起こっていない。ことの発端となった孫権の死も、起こっていない。

 なにより恐ろしいのは、その事実に気付いたのがつい先日のことだった――ということである。それまでは、孫権が生きていることを疑問に思わなかった。あの時初めて、姜維との会話で初めて、おかしいという事を思い出してしまったのだ。

 それがこれ以上ないほどに、怖かった。


「伯約の奴は、随分と……」

「ああ。まったく……若いってのに」


 鍛錬に身が入らず、かといってじっとしていると薄暗い思考に囚われてしまいそうで恐ろしく、落ち着かない精神状態を誤魔化そうと散歩を続けていた夏侯覇の耳に、二人の男の声が届く。一人は宴で飲み比べをした際に聞いた覚えのある声であるため、恐らく廖化(りょうか)だろう。

 廖化は、現在の蜀の武官の中では最古参と言ってもいい人物である。先帝の時代から地味ながら堅実に功績を積み重ねてきた、叩き上げの将であった。

 ならば、共に居るのは張翼(ちょうよく)だろうか。彼は確か、数ヶ月前に馬岱と入れ替わりで北西方面へ遠征に向かっていた筈だが、その任が終わったのならばここに居るのも納得できる。


 聞こえてくる話の内容はよく分からないが、そもそもこの二人に対し、夏侯覇は良い感情を抱いていなかった。張翼とは未だ接したことはないが、廖化は大らかな男であり、特に不快になる理由はない。当然、原因に思い当たる節もない。

 だが、どうせ姜維の陰口だろう――そう決め付けて、その場を離れようと踵を返したその時であった。


「よくやるもんだ、俺達が支えねぇとな」

「全くだ。若いのには、負けていられんな」


 そんな馬鹿な――

 張翼と廖化、この二人が姜維に好意的であるなんて、ありえないことだ。二人は姜維に反抗的でありながら、渋々従っていた人間だ。張翼はともかく、廖化に至っては姜維の足を引っ張っていた程なのだから、自ら進んで姜維に協力するなんて考えられない事の筈なのだ。


「あれ……?」


 いや、待て。それはおかしい。今この二人が姜維に反抗的になる理由など無い筈だ。姜維に協力的であることも、何もおかしくはない。なら、この胸の内に広がる違和感は何だ。一体何だというのだ。

 蜀へ戻る間に表面化した違和感は、ここに来て明確な形を持ちつつあった。


 ――自分は何なのだ?

 ――本当に自分は、夏侯仲権なのか?


 そんな疑心暗鬼に苛まれ、散歩を早々に切り上げた夏侯覇はその場から逃げる様に立ち去った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ