四章 三
翌日の会談本番は、数刻ほどで早々に終わってしまった。
というのも、定期的に行われているだけあって、これといって変わった出来事がない限りは必要以上に話す事柄もなかったのだ。夏侯覇は護衛として姜維の傍に立っているだけではあったが、こればかりは今までに会談を行っていた宰相や外交官達に感謝である。
西陵を発つのは明日の予定となっていたため、その後は陸遜に誘われ、二人は昼食を振る舞われていた。
「――ひとつお聞きしたいのですが……この度は何故、私を指名してくださったのでしょうか?」
「聞きたいですか?」
出発前、本人は察している風を装っていたが、内心ではどうしても気になっていたのだろう。皆の食事が一通り終わったことを確認すると、姜維は徐に疑問を口にする。
対する陸遜は、その質問が来ることを想定していたかのように満面の笑みを浮かべ、素直に頷いた姜維と茶を啜っていた夏侯覇を眺めて一言囁いた。
「秘密です」
「ち、父上……!」
中年男性のそんな茶目っ気たっぷりな物言いに呆然とする姜維と夏侯覇とは対照的に、同席していた陸抗は青ざめた顔で父の奇行を咎める。
会談中の態度はいたって真面目であり、軽口の一つも口にしなかった陸遜がそのような態度を取るとは思いもよらず、また費禕の様な性質の人間か。などと、夏侯覇は人知れず嘆息するのが精一杯であった。頭の良い人間の余裕のありすぎる行動は、頭を使うことが得意ではないと自己評価している夏侯覇にとっては少々やりづらいのだ。
「冗談です。息子に紹介したかったのですよ」
「……紹介ですか?」
「ええ。若くして故郷を離れ、後ろ盾もない叩き上げであるにもかかわらず、ここまで上り詰める凄い方が世の中にはいるのだ――と」
そう語る陸遜の目は、真っ直ぐに姜維を見ている。当然、誰の事を言っているのかは夏侯覇にはすぐに分かったのだが、自分の評価には殊更疎い男にはなかなか伝わらなかったようだ。
話題の男はかなりの時間をかけてから恐る恐る自分自身を指差し、裏返りそうなほど震える声を上げた。
「え……わ、私の事、ですか……?」
「勿論」
この男、褒められる機会が多い割に、全く褒められることに慣れていないのではないだろうか――夏侯覇のこれまでの疑惑は、確信に変わっていた。なにせ姜維ときたら、国や仲間が褒められると誇らしげに胸を張るくせに、自身の事となると照れてしまってまるで対応出来ないのだ。
恐れ多いなどと恐縮する姜維の見慣れた姿を眺めながら、きっとこれは今後も慣れることはないのだろうとも確信めいたものを感じ、夏侯覇は茶請けに出された甘い菓子をつまんでいた。常に感情を押し殺す必要が出てくれば変わるのであろうが、今のところ彼にそれを強いる事態にはならなさそうだ。
「良いですか、抗。このように謙虚で穏やかな方でも、戦に出ればお前や私程度なら簡単に討ち取ってしまうような猛者なのですからね。よく覚えておきなさい」
「は、伯言殿……!」
隣に座る息子にそう囁きかける陸遜であったが、敢えてやっているのか、その声は夏侯覇らにも筒抜けであった。陸抗は陸抗で、父の言葉を真に受けて身体を硬直させているものだから、姜維は慌てて咎める。
とはいえ、陸遜らの武術の腕はともかく姜維が猛者であるのは間違いない為、強く否定は出来なかったのだろう。姜維も、それ以上の言葉は口にしなかった。
「――と、まあ、冗談はさておき」
「どこからどこまでが、冗談なのでしょうか……」
その質問に対しては、陸遜は穏やかに笑って誤魔化すだけであった。
「文偉殿と伯苗殿がお忙しいと風の噂で聞いていたので、それならば久々に伯約殿にお会いしたいな、と思いまして」
「凄いな……本当に、見越して指名していらっしゃったんですね」
「おや、流石に分かりましたか?」
辿り着くまでは長かったが、陸遜が姜維を指名した理由は、以前姜維が予想した通りであった。しかしその情報をどこから得たのか、という疑問が残る。が、その辺りは費禕が伝えていた可能性もあるだろう、と夏侯覇は考えた。勿論、費禕本人は絶対に口を割らないだろうが。
「伯約殿が、そうではないかと仰っておりました」
「それは嬉しいですね。文を続けた甲斐があったというものです」
「……あれだけ、日記の様にご報告いただければ」
「文通ですからね」
そう満足げに微笑む陸遜の言葉に、夏侯覇は思わず眉を潜める。夏侯覇が姜維より予め聞かされていた話と、この会話の内容が噛み合わないのだ。
「……交易の話ではなかったんですか?」
「勿論、仕事の話もしておりますよ。半分、ですけどね」
「半分……?」
二人の文は、内容に関わらず必ず二通用意されていた。一通は交易に関する内容、つまり真面目な話である。しかしもう一通は、私事の報告や雑談を交えたもの。そう、二人は文通友達だったのだ。
文のやり取りをしているが、内容は仕事に関するもののみだ――そう聞かされていた夏侯覇は、姜維の言葉を初めて疑う事になる。恐らく他の者、例えば費禕などにも陸遜と文通友達であるという事実は伝えられていないのだろう。そうでなければ、費禕の様子に納得がいかない。敢えて知らないふりで通している可能性も十分に考えられるが、彼は姜維の文の内容に私事が含まれていることを知っている様子がなかったのだ。
「伯約殿にも、色々と聞かせていただいておりますから。楽しい文通ですよ」
「……その…………父に報告するような気持ちで、つい……」
「ははは、息子が増えてしまいました」
しかし、それを咎める気は起きなかった。先日の姜維の不自然な態度も文の事実に対する後ろめたさが原因だろうが、誠実な彼が機密情報を漏らすとも思えない。寧ろ、同盟国に友人を作っているのは良いことなのでは――などと、夏侯覇も考えてしまう始末だ。
大概考えが甘いという事は己でも理解していたが、それなりに姜維を信用しているからこそ、口を噤もうと思ったのだ。見たところ弱みを握られている様子もないため、嘘を吐いていた事に対する弁明を聞くだけでいいだろう。
「伯約殿……貴方、あちこちに家族を作られて……」
「ご、誤解を招く発言は止めてください……!」
しかし、随分と多方面に友人を作っているものだ――そう感心や呆れの含んだ溜息を洩らし、夏侯覇は揶揄いながらも小首を傾げたのだった。




