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胡蝶の夢、華の未知  作者: 天海
一章
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一章 一

「……あの、大丈夫ですか?」

「――え」


 囁くような心地良い声に意識を引かれ男が目を覚ますと、其処は鬱蒼と木々が生い茂り、小川が静かに水音を立てている森の中であった。昼も過ぎた頃だろうか、日が真上に上がり木漏れ日が線を描き落ちている。

 そんな森の中で仰向けに寝ていた男は、己の(やしき)の傍どころか住処としている地域にすら身に覚えのない場所である事に気付き、天を仰いだまま僅かに首を捻る。

 一体ここは何処だ──男がそう口にするより早く、求める答えは件の声の主によってもたらされた。


「此処は(しょく)の北部、漢中(かんちゅう)に位置しますが……その身なりを見るに、貴方はこの辺りの者ではありませんね?」


 視線を僅かに右へ動かすと、その声の主は僅かに目を瞬かせた。随分と畏まった喋り方をしているが、確かに畏まる程度には若い男である。

 顔立ちは整っており、見たところ年齢は十代後半から二十代前半ぐらいだろうか。長い銀髪を一纏めにし、目鼻立ちも含め一見すると女性の様に見えない事もないが、身体つきは女ほど華奢ではない。あまりに現実離れした美しさだった為、何処ぞの貴人かとも考えたが、その割には煌びやかな鎧もなければ装飾品も無く、身に纏う衣服の生地もよく見慣れたものである。端的に言えば、貴人にしては身なりが質素過ぎる、と言わざるを得ないだろう。余程の倹約家でもなければ、財をひけらかす事が好きな貴人にこんな身なりの人間は存在しない。とはいえ、目の前の青年は平民とも思えず、不思議な雰囲気を醸し出していた。

 対して、男はぼろぼろの鎧を身に纏い、よく見ると体中が傷だらけである。誰がどう見ても満身創痍を体全体で表現している、と言えるだろう。人の事をとやかく言えるような立場ではないな、と、妙な脱力感に見舞われながら、男は傷と疲労に痛む半身を緩慢な動きで起こした。


「……あ、はい。私は、()から逃げて参りました」

「魏から…………ああ、貴方の顔には見覚えがありますね」


 凛としたよく通る心地良い声が、男の脳裏を刺激する。どこかでこの声を聴いたような、どこかでこの顔を見たような。そんな不明瞭な既視感に眩暈を起こしそうになりながら、それでも男は唸りながら思案を巡らせている青年の言葉を辛抱強く待つ。


「……司馬(しば)……(かく)? 王……夏侯(かこう)…………うん、そうか。貴方は、夏侯の者ですね」

「何故それを……」


 曖昧な記憶を手繰り寄せているのだろう。青年は首を捻りながら、思い付いた姓を口にしているようであった。しかし、その口から出る姓は、全て戦場で名を馳せている武人ばかりであることに男は密かに違和感を覚える。そして青年の口から己の姓が出たその時、男も遂にその違和感の正体に気付いたのだった。


「私は姜伯約(きょうはくやく)。貴方とは戦場で何度か刃を交えておりますよ、夏侯仲権(かこうちゅうけん)

「姜伯約殿……! まさか、貴方に会えるとは……」


 そこで、男の記憶は繋がった。目の前の青年の姓は(きょう)、名は()、字は伯約(はくやく)。蜀の将軍であり、戦でも一度一騎討ちをしていた相手である。彼の声や顔に既視感を抱いて当然だ、と、男は酷く安堵した。本来、戦場にて敵の穏やかな声を聴くことはない筈だが、何たる偶然か。この美男子とは獲物を構えながらも、比較的落ち着いて会話をしたことがあるのだ。

 顔見知りというにはあまりに殺伐とした関係ではあるが、見知った人物であること、その人物が己を心配している様子であることをに安堵した男は、飛ぶ様に起き上がると姿勢を正し、姜維と向き直った。


「……一体、何があったのですか」

「それが――」

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