二章 二
後漢末期、世は大いに乱れていた。宦官が実権を握ったことによる政治の腐敗、天変地異、冷害による食糧難。人心は不安に煽られ、その心の隙に入り込んだ宗教団体により更に大きな乱れとなった。それが、黄巾の乱。
その戦を皮切りに群雄割拠の時代が訪れ、多くの英雄が現れ滅び、最終的には曹操、劉備、孫権の三つの勢力に分かれ覇を競い合っていた。
だが既に、三人の英雄の内二人はこの世になく、それぞれの忠臣達の殆ども没した。今やその子、孫の時代となっており、当時の様子を知る者の数も次第に減っている。既にこの時代の幕開けは、過去の話になりつつあるのだった。
そして、それはこの国――蜀漢においても同様であり、現在国を担う上層の人間には当時生まれてすらいない者も多くいる。その中の一人が姜維だった。彼は、現在の文武官の誰よりも若く、そして平和な世を見た事のない世代の子供なのである。
「私の父は、異民族の叛乱による戦の中で将を庇い亡くなりました。その功績で、子供だった私も故郷で重用されるようになったのです」
そう静かに語る姜維は、父の顔を覚えていなかった。十歳にも満たなかった子供の彼が顔を覚える前に、父を失ったのだ。
姜維の故郷は涼州天水郡冀県、蜀ではなく魏の領土の西方に位置する。その地で天水の四姓と呼ばれる豪族であった筈の姜家は、大黒柱を失ったことにより豪族とは思えないほど慎ましく暮らしていたのだという。
元々同じ魏の出身者であることから彼の情報は敵の間も度々流れてきていた事や、実際に天水に足を運び調べたこともあるため知ってはいたが、やはり本人の口から聞くのは衝撃が大きい。父を戦で失ったのは自身も同じとはいえ、それは十分に父との思い出を作ってからの出来事であった夏侯覇にとって、己との境遇の違いを感じ掛ける言葉が浮かばなかった。端的に言えば、姜維を不憫に思ってしまったのだ。
「……困りましたね。そのような顔をさせるために、昔話をしたわけではないのですが」
「すみません……しかし、あまりにも……」
「お気になさらずに。よくある話ですし、仲権殿もお父上を戦で失っているではありませんか。私とそう変わりませんよ」
そもそも幼い頃の話の為、あまり実感がないのだと姜維は語る。苦笑を浮かべてはいるものの、母思いの孝子であると聞いていた筈の彼の目には父に対する悲壮感は見えず、本当に実感がないのであろうことが見て取れた。
一方で彼の母に対する情は実に深いものであり、病に伏せる母のため未だに薬や茶葉を送り続けているのだという。本当は故郷に戻りたいのではないか。そう危惧する者も少なからずいるのか、贈り物自体は止めないものの姜維自身は周囲への言動に相当気を遣っているらしい――とは、彼と親しい者の言である。
もっとも、天水で調べた情報とは一致しない為、夏侯覇はその話を鵜呑みにはしなかったのだが。
姜維の情報の真偽はともかく、親の敵の国へ亡命してきた夏侯覇は孝に関し姜維の事をとやかく言える立場ではない。故にそれ以上の追求を控え大人しく彼の手伝いを再開するが、今度は別の事柄に対し疑問が浮ぶのだった。
「……気になっていたんですが、伯約殿は内政と外交の手伝いまでしているんですか?」
現在、竹簡や書簡を書いては部下に預け、読んでは棚に纏め、その合間にも訪れる文官に指示を出す――という一見地味ながらも膨大な量の作業を数刻ほど繰り返している姜維の姿は、とても将軍とは思えないほど文官の仕事が板についている。
確かに姜維の官職・録尚書事は文官としての役職ではあるが、彼は根っからの武官であり文官としての働きについては特に評価されていなかった筈だ。姜維の知恵は、あくまで戦にのみ発揮されるものだったのだ。
だが今の彼の姿は、費禕に次ぐ国の権力者としてどこに出しても恥ずかしくない働き振りである。
「はい。今はそちらの人手が足りないので、ほんの少しばかりですが」
「役職柄内政は分からなくもないんですが、外交もですか……?」
「ええ。呉との交易については、私が連絡を取っておりますよ」
その上、呉との外交まで取り仕切っているというのだ。
朝から執務室に篭りきりになっていた姜維を心配し昼前には手伝いを買って出た夏侯覇だったが、その仕事量には流石に眩暈を覚え、夕方頃には手伝いを申し出たことを後悔し始めていた。それでも逃げ出さなかったのは、うっかり彼の昔話を聞いてしまったからである。
「忙しないですね……」
「そうでもありませんよ。文偉殿に比べれば、私の仕事量など大したものではありませんしね」
「比較対象がおかしいのでは……?」
「いいえ。大きな戦がない今、これぐらいの事はこなせるようになっておかなければ、陛下や推薦してくださった公琰殿に申し訳が立ちません」
冗談だと思いたいが、姜維は至って真面目に意気込んで見せる。
それにしたって、いくらなんでも彼が抱える仕事の量は多いのではないだろうか――と、全く手を止めない目の前の男を眺めながら反論したくなる夏侯覇であったが、姜維の上にいた宰相は、費禕を始め皆が皆、戦も内政も外交もこなす化け物のような人間ばかりである。それを手本としたのならば、彼がこの言動に至るのも無理はないのだ。
「大きな戦、ですか……」
「……なにか、気になる事でも?」
「ああ、その……話は変わってしまうのですが、敵の目から見ても分かる程、諸葛孔明は北伐を重視していましたよね。それは何故なんでしょうか?」
敵であったにもかかわらず。いや、敵であったからか、夏侯覇は蜀という国の成り立ちや目的についてはよく理解していなかった。守っていれば攻める、攻めて来れば守る。その程度の事しか考えずに戦っていたのだ。
それには友好的な態度を崩さなかった姜維も流石に許容しかねたらしく、しばらく放心した後、夏侯覇の地位とはかけ離れたあまりの考えの無さに頭を抱えながら首を振るのだった。
「……この国の目的はご存知ですか?」
「ええと……漢王朝の復興、ですよね?」
「そうです。漢王朝の忠臣である蜀漢にとって、帝を廃し帝を騙った曹一族、魏は逆賊――という認識になるのです」
後漢が乱世に巻き込まれ始めた頃、即位した悲劇の帝が献帝であった。紆余曲折あり、献帝は曹操の庇護下に置かれながらも帝としての威光は失わずにいたのだが、それも曹操の子・曹丕の時代になると禅譲という形で退位させられてしまう――というのは、あくまで魏での話である。
亡命してから一ヶ月の間に夏侯覇が確認したところによると、蜀では禅譲が行われたという情報は入っておらず、“曹丕が献帝を殺し帝になった”という情報が真実として広まっているらしい。
漢王朝の忠臣を名乗りながら帝になった劉備は何を考えているのか、まるで言動が支離滅裂ではないか。と、当時は魏でも散々話題に上がったものだが、帝が殺されていたという誤情報が広まっていたのならありえなくはない。だからといって、劉備が即位するという展開に納得できるわけではないのだが、それはまた別の話である。
「なるほど……逆賊を滅ぼす為に戦を起こすのは道理である、と」
「ええ、北伐はこの国の方針であり、目的に至るための手段。この国を存続させるためには、絶対に避けては通れないものなのです」
以前、夏侯覇は魏を攻めることを北征と称したが、この国ではそれを北伐と称している。始めの頃はその呼び名の違いに困惑したものだが、魏を漢王朝に仇なす外敵とみなしている蜀ならではの呼称と思えば、特に違和感のあるものでもない。実際、“曹操を討つ”、“魏を滅ぼす”、“漢王朝を復興する”という名目に惹かれ国外から蜀の臣になりに来る者は少なくないため、対外的にも良い呼称なのだろう。
「費将軍は以前、暫く戦を起こさないと仰ってましたが……国の方針としては、大丈夫なんでしょうか?」
「それは、私ではなんとも。今の内に北伐をするべき――という声もありますが、諸葛丞相時代の民と土地の疲弊は根が深いため戦を起こすのは難しい。というのが、文偉殿のご判断ですので」
それは、官位任命の際に費禕が語っていた言葉そのままだった。費禕の二代前の宰相・諸葛亮の時代は、蜀は幾たびも北伐を行っており夏侯覇も魏の将として何度か相対している。
戦というものは、起こせばただ終わる、という簡単なものではない。起こすだけで、人、資源、土地の全てが消耗され疲弊していくものであり、それが負け戦ならば当然被害も甚大ではない。
そして、諸葛亮の時代の北伐は、一度たりとも魏に勝利したことがなかった。要地を奪われ、人材を失い、そうして諸葛亮自身の命さえも失った――それが、諸葛亮の北伐である。ただひとつ、成果があったとするならば、今目の前で忙しなく働く男・姜維や、その麾下を獲得したことだけと言っていい。
そんな戦の後始末を何年も続けているのだ、それだけこの国が疲弊していたのだと実感せざるをえないだろう。実際、諸葛亮が没した後、国境付近での小さな小競り合いはあったものの、蜀が魏に大きな戦を仕掛けてきたことは一度もなかった。
しかし、夏侯覇はその話を聞いても尚、姜維自身が望んで費禕の考えに乗っているとは思えなかった。
「伯約殿は、どのように考えているのですか?」
「私には決定権がないので、聞かれても困るとしか言えないのですが……」
「ですが、何も考えていないわけではないのでしょう?」
彼の機嫌を損ねかねないというのに、おかしなことに何故か引くことが出来なかった。
彼は北伐を希望しているに違いない――という、以前からの根拠のない自信を確信に変えたかったのかもしれないが、その辺り夏侯覇自身も己の心理をよく理解できていないのだから始末に終えない。
そんな夏侯覇の追及に、姜維は困ったように眉尻を下げてしまう。
「……必要ではあると思います。ですが、今すぐに行う必要はないでしょう」
幸いにも姜維の機嫌を損ねることはなかったが、以降、戦の話は不自然に遮られてしまい続けることが出来なかったのだった。