鎖回転枠登り
二人は路地を行く。路地は表通りから離れているので、人通りはまばら。陰妖に関する会話をしても、心配する程の事はなかった。
「……それで、一角餅とは如何様なものなのでしょうか」
玲華が問い、告春が答える。
「画って言うのは、画数とかの画。一人前の陰妖術士は、その格に合わせて――ああ、いま言った格は品格の格ですね。位階。――陰妖術士は格に合わせて刺青を入れるんですけど、それが最多で五画。五画を入れると五芒星の形に成るから、星刻って言われています」
「それは何の為に入れるのです」
「貴方は見習いだから、陰妖術には道具を使っているでしょう」
「はい」
「でも星刻があれば、道具が無くとも、陰妖術を行使できます」
「何故そんな事が?」
「星を画く墨が、陰妖の血だから」
「そんな……、危険ではありませんか」
「かなりヤバい。だから星刻を入れるには、それに見合う実力が求められます。一画を入れるには十年の修業が必要と言われていて、五画持ちともなれば、宗家の長とか、それに準ずる地位の人物と見て間違いない」
「画が多い程、強いという事なのでしょうか」
「そこまで単純じゃないけど、そう思っていいと思います」
「では画を増やす事が、陰妖術士の目標たり得るのですね」
「ええ。何を隠そう俺もその口です。実績を積む為にこの街へ来た」
「噂には聞き及んでおりましたが、この街は今それ程に陰妖が頻出しているのですか」
「全く以って異常ですね。街全体で現が弛むなんてのは歴史的に見ても少ない」
「歴史……。例えば、大陰妖の封印が解かれれば、この現状のように成ると思われますか」
「有り得ますね。でも、大陰妖の封印が解かれればそれこそ一大事ですから、すぐにも対処が為されるでしょう」
告春の意見に、玲華はあまり納得した顔をしなかった。
暫く歩いたところで、二人は小さな公園に辿り着く。公園は縦横が四から五間ほどの、つまりは四か五坪ほどの、正方形をしており、頂点の位置に立つ告春たちから見て、手前側の二辺は道路に、奥側の二辺は建物に面していた。遊具は無く、便所一つとベンチが一つ置いてあるだけの、簡素な風情だった。告春は歩道のアスファルトと公園の砂地を区画する、荒っぽく切り出されたような形の縁石に足を乗せ、公園に視線を据えた。それを見て、玲華は問う。
「如何なされました」
「現が弛んでいます。多分、居る」
身構える玲華。告春は公園に目を向けたまま、玲華に言う。
「さっきは少し恥ずかしいところを見せたし、ここは俺に任せてくれませんか」
「良いのですか」
「ええ。一応は俺も一人前の陰妖術士という事を分かって貰いたい。それに他人の立ち回りを見ておくのも、勉強になるでしょうから」
「貴方の力を疑ってはいませんが、確かに良い勉強になりそうです。お手並み拝見させていただきます」
その返答を受けて、告春はにやりと笑い、公園に足を踏み入れた。
左手を握り締める。何も無かった左手の中に、弓が現れる。形状は洋。右手が弦を引く。何も無かった右手に、矢が現れる。引き絞った矢を、公園の何も無い中央部に向けて射った。矢が空中で静止する。
「当たった」
告春が告げる。告春の言葉を証左するように、宙に浮いた矢は、宙に浮いたまま、激しく右往左往した。透明な何かに矢が突き刺さっているらしかった。
矢が一際に素早く動いて、告春の立つ方へ移動したかと思うと、告春が吹き飛ばされる。宙で反転した告春はそのまま地面に落ちるのも忘れて、その状態で矢を連発する。矢は続々と空中に刺さる。見かねて、玲華が叫ぶ。
「一体なにと戦っているのですか!?」
「御覧の通り透明な、透明な……」
答えあぐねた告春は舌打ちして、空へ矢を放つ。すると、瞬く間に公園の真上だけが曇り、赤色の雨が公園にだけ降り注いだ。赤い雨は、歩道を濡らす事も、告春を濡らす事もせずにすぐに止む。そして告春と玲華の目に映ったのは、赤く染まった、回転遊具に鎖を幾重にも巻き付けたような形の陰妖だった。突き刺さったと思っていた矢は、鎖の隙間に喰い込んでいただけだ。
陰妖がくるくると回り出す。巻き付いている鎖の先端が何本も、遠心力で振るわれる。その状態で告春に突っ込んだ。告春は素早く移動して玲華を抱きかかえると、空中へ逃れた。陰妖の鎖が告春の足を掠める。
「歩行者が近付く前に倒さないと不味いですね。ちょっと本気を出します」
告春は玲華を放す。
「え、ぅわ」
玲華は空中に足を付いて、驚嘆した。
告春は弓矢を陰妖へ向けて構えて、口を動かす。
「けふといへば みそぎを須羽の 海つらに 祓やすらん 風の祝子」
そして矢を放つ。矢は流星の如く落下し、陰妖を射ち貫いた。射貫かれた陰妖はぴたりと動きを止める。直後、その鉄の体が、録画映像の早送りのような早さで、腐食し、塵と消えた。
告春と玲華は、公園の砂地に降り立つ。
「御見事でした」と玲華。「先程の歌は、術式でしょうか」
「ええ。敵の耐性を無力化するような技です。使い勝手が良く強力なので、頻繁に使っていますよ。尤も、祝流の……、正確には天馬祝流の術式ですから、泉流を学ぶ貴方にはまだ、教えない方が良いと思います。混乱するといけませんから」
「そういうものでしょうか」
「ううん、まあ、問題ないのかも知れないけど、天馬祝流は祝流の傍流のうえ、祝流自体、御三家の流派とはかなり体系が異なりますからね。何せ外様ですから。これから泉流宗家に学ぼうという貴方には、どうしても余計なものでしょう」
「そんな……!」玲華は憤慨した様子を見せる。「貴方は十分に立派な陰妖術士ではありませんか。それをいま証明して下さったではありませんか。その貴方の修行する流派を、そのように卑下なさらないで下さい」
告春はちょっと黙って、それからはにかんだ。
「丁度ベンチがありますし、少し坐りませんか。さっきの戦闘の反省をしてみましょう」
「はい、分かりました」
二人、ベンチへ移動しようとする。しかし玲華が立ち止まった。玲華は、告春の向こうに見える、道路に面した建物の角を注視した。
「どうかしました?」と告春。
「いえ、誰か見ていたような気がしたのですが、気の所為でしょう。さ、ベンチへ」
そして二人はベンチに坐った。