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スズメバチ  作者: 宇原芭
8/21

鬼子母神


――

―――

――――


 昼日中、盛んな往来が義枉市の大通りには有る。通りは商店や事務所の入ったビル等が混在する統一感の無い街並み。行き来する人も種々雑多だ。しかし、それにしても尚、異質な人影が道の中央に立っていた。

 背丈は擦れ違う人々の倍近く有り、その身に纏う黒い無縫(むほう)の衣装は、陽炎の如く煙っている。装束の黒と対照的に、毛髪の一本も無い頭部は、繭の如き白さで、痩せこけた頬の影は濃い。表情は無く、眼窩(がんか)にはぽっかりと黒い穴が空いている。

 不気味と言わざるを得ない容貌であったが、それを気に留める通行人は居ない。誰も一様に自分の携帯端末に視線を落とし込んでいる。道の中央に立つ異様とぶつかりそうになる通行人は、その気配を察知して、すい、と脇に避ける。その際にも自分の持つ端末から目を逸らさない。だからか、異様の異様さは、その容貌に限らず、ただそこに立っているという、その事にも負っていた。

 異様の衣が縦に分かれ、幾本もの細長い腕が伸びてくる。白く、細く、長く、長い腕だ。腕は一間も二間も伸びて、道の先から歩いてくる、手を繋いだ母子に向かっていた。決して速くはないが、空気の抵抗も、重力の影響も感じさせない動き。

 鋭い爪が、母子の眼前に迫る。

 ()()()()()()()()()()、矢が異様の手を射ち貫いた。手は慌てて引き込められる。続々と矢は異様の正面から飛翔し来って、獲物の身に潜り込む。その痛みに堪えかねてか、鈴を掻き鳴らしたような、人外の悲鳴を上げて、異様は後ろへ逃げ出した。

 通行人は一様に異様を意に介さない。

 そんな場景を、弓削告春は、往来の中央に立って観察していた。その手で番えていた矢を射放つ。過たず、矢は文字通りに異様の肯綮(こうけい)(あた)る。地面に倒れた異様は直後、その体内から人間大の蝉のような蛾のような、翅の生えた怪物を現したかと思うと、元の体を抜け殻のように脱ぎ捨てて、空へ飛び去る。告春は焦らずに矢を放ったが、化物に追い縋る矢は、それに追い付く直前、風の壁にぶつかったように軸がぶれて失墜する。

 告春は走り出し、地面を蹴って跳び上がり、通行人の頭を踏んで、更に高く飛び上がった。踏まれた通行人は蚊に刺された程にもそれを気にしない。

 宙に浮かんだ告春は、空気を踏み蹴り怪物を追う。その速さは自動車に匹敵し、且つ物理法則を追い抜いている。空気抵抗など無さげに、呟いた。

「けふといへば みそぎを須羽の 海つらに 祓やすらん 風の祝子はふりこ

 告春は移動しながら、無造作に矢を番える。まともに構えていないので、(やじり)の先は前方を行く化物どころか、下方の道路に向いている。さして気にせず、告春は射った。落ちる矢。ところが矢は独りでに軌道を曲げて、その行く先に怪物を据え、しかも増えた。その結果、幾本もの矢が化物の身に飛び付いて、剣山の如き有り様を呈す。化物は糸が切れたように落下して、裏路地の地面に衝突する。その十数歩はなれた場所に、告春は着地した。

 化物はぴくぴくと体を痙攣させている。微細にも体を動かして、アスファルトの上を這い、告春から離れようとしている。告春は弓を構えた。弦を引けば、無かった筈の矢筈が弦を張り詰める。矢を、告春の指は放す。餌にありつく許しを得た犬のように、矢は化物に飛び付いた。鼻面を化物に潜り込ませて、矢は止まる。化物も止まる。告春は動いた。一歩一歩、化物との距離を詰める。化物に接触するまであと一歩の距離に来て、告春はじっと化物を見た。化物の体を、片足の爪先でつつく。その動きに合わせて、化物の体が揺れる。そうして、告春はふうと一息吐いた。

 化物が飛び上がって告春に迫る。対処の遅れた告春は、弓を構えようとしたが遅い。横合いから飛び付いてきた白い犬が化物に喰らい付いた。

 尻餅を搗いた体勢で、白い犬が化物に咬み付いている光景を、告春は呆然と眺める。眺めているうちに、白い犬が白い狼だと気付いた。白狼が化物の頭部を喰い千切るが、化物の昆虫に似た胴体はもがき、白狼を傷付ける。白狼が怯みの鳴き声を漏らしたところに、告春の射った矢が化物の胴を貫く。今度こそ化物は自発的な動きを永遠に止めた。

「御無事でしょうか」

その少女の声は、告春の真後ろからした。告春が振り向き見上げると、小柄で、涼やかな容色の女が、膝に手を当て、立っており、しなな睫毛に縁取られた目が、告春を見ている。

「……あ、ええ。全く大丈夫ですよ」

告春は慌てて立ち上がった。告春が少女に向き直ると、少女も姿勢を直す。

「手出しは余計だったでしょうか」と少女。

「いや、余計と言う事も無いけど……」

告春を少女はじっと見ていた。告春は気恥ずかしさから視線を逸らしつつも、声を出す。

「あの狼は、貴方の式神ですよね」

「ええ、左様です」

「さっきのあの瞬間、あそこで攻撃を喰らっても、大事には至りませんでした。でもお礼は言っておきます。有り難う」

「どう致しまして」少女は一礼すると、告春から白狼へ視線を移して、その場に屈む。「皎牙、もう止めなさい。こっちへおいで」

未だに化物を咬み咬みしていた白狼が、少女の許へ寄る。少女は両腕に白狼を受け容れて、よしよしと頭を撫でる。

 ではこれで――、少女がそう言おうとした時、告春が言った。

「それで貴方は? 何処のどういう陰妖術士?」

「あ、ええと、見習いです。本格的な勉強も、昨日に始まったばかりです」

ハハハ、と告春は笑い声を上げた。相手の諧謔に対して、礼儀上、面白がったという笑いだ。

「そりゃ凄いね。一日二日で、もう式神式を扱ってるんだ」

「ええ」少女は告春が言外に込めた意味を察しきれず、致し方無しに頭を下げた。「……お褒めに預かり恐縮です」

少女の反応が告春の予想していたものと違って、彼は困惑する。

「それで、実際は?」

「え?」

「流派は? 精巧な式神だし、泉流系統だと思うけど……」

「はい、仰る通りです」

「やっぱり。それで? 修業期間は? 見た感じ随分と若いけど、幼少の頃からやってますっていう定番かな」

「いいえ、先程に申し上げました通り、昨日から……」

「ええと、御免、どう反応したらいいのか分かんないんだけど……」

「すみません、私にも何が何だか……? 何を仰りたいのでしょうか」

「いや、何って、無理でしょう、一日二日で式神式を扱うなんて。実戦で通用する程度の練度に達するには、普通に修業して数年は掛かりますよ」

「そうなのですか!?」

少女は目を見開いた。そこに韜晦(とうかい)は無く、本当に驚いていた。喜びの為に、少女はそわそわし始める。

「可愛いけど変な娘だな」

「変でしょうか?」

「おっと口に出てた。御免。……ええと、俺は弓削告春。一画持ちの祝流(しゅくりゅう)陰妖術士です。宜しく」

「はい。ええと、一角餅、ですか? すみません、ちんぷんかんぷんで」

「本気かよ……」告春は憮然とする。「基礎知識も身に付いていないのに、実戦なんて、無謀に過ぎやしないか」

少女は苦笑する。

「私が無理を言ったのも有ると思いますし、私の指導者は無能ではありません。きっと大丈夫なんですよ」

「ううん、どうかな。いや、でも、まあ……」

告春は膝下の白狼に目を向ける。白狼は後ろ脚で我が身の首元を掻いた。

「あ、申し遅れました。私は冷泉玲華と申します。以後お見知りおきを」

「冷泉?」告春は瞠目する。「冷泉って言うのは、泉流宗家の?」

「はい、左様です」

「あ、なら、最近この街で活動している、銀狼の式神式を扱う男って言ったら、誰の事か通じますかね」

「銀狼という事でしたら、私の兄かも知れません」

「兄! 兄か、成程、成程。ひょっとして近くに居ます?」

「いえ、それが……」

「居ないの?」

「私にこの辺りで陰妖退治を言い付けた後、何処かへ行ってしまわれて、それきりです」

「と言う事は……」告春は玲華から体を背けて、ぶつぶつと呟く。「何処かで見張りもとい見守っている可能性が高いな。いくら才能が有るって言っても、初めて実戦に放り込んだ見習いを放置するなんて有り得ないし……」

告春は周囲を見回す。人影は見えない。改めて玲華に向く。

「それなら、暫く俺と動きませんか。その方が安全だし、陰妖術士の先輩として多少の事はお教え出来ます」

「御提案は有り難いのですが、兄に移動してよい範囲を指定されております。ですので御迷惑になるかと存じます」

「問題ないですね、俺も丁度この辺を調べる予定だったので」

「左様でしたか。それでは折角ですし、御言葉に甘えさせていただきます」

「ええ、それでは、改めて宜しく」

告春が握手の為に手を差し出す。

「はい、宜しくお願い致します」

玲華は告春の手を握った。

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