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スズメバチ  作者: 宇原芭
20/21

冷泉怜乃(1/2)


――

―――

――――


 灰色の空から小雨が降り始めて、義枉市を濡らし始める。墓所も例外ではない。

 その墓所は寂れていた。周辺は鬱蒼と雑木が茂り、内部に至っては、最後に人の手が届いたのはいつなのか、墓石が欠け、卒塔婆は朽ち、敷地を囲う柵は折れ、割れたアスファルトの地面から雑草が茂り……。柱の錆び付いた街灯も設けてあるが、正常に灯るのか疑わしい。そんな墓所からは浮いた印象を与える、真新しい黒電話機が一つ、誰かの墓前に供えられていた。

 黒電話の呼び鈴が激しく振れて、けたたましく、静寂を墓所から奪う。その受話器を取って、怜乃は煙草を口から離した。

 受話器の向こうの声は、「もしもし」深刻そうな気配を帯びている。「こちらは太山だ。冷泉だな」

「ああ」怜乃の声に愛想など元よりないが、「用件は手短に言え」今は加えて、苛立ちに似た棘々しさが生えていた。

「その……、悪食にやられた。細川と弓削だ。弓削の現実改変で、取り敢えず怪我は治したが、弓削が言うには、あんたの妹が攫われたと……。悪食の目的は大陰妖で、墓地に向かっているらしい。俺たちは今から向かうが、あんたは――」

「来るな」

「え?」

「邪魔だ」

「邪魔って……。あんた、今もしかして、墓地に――」

「来たら殺す。邪魔をしても殺す。何をしても殺す。事が終わるまで何もするな」

怜乃は黒電話を踏み潰して、受話器を捨てた。

 煙草を口に運びつつ、墓所の奥へ足を移す。墓所の奥には塚が在る。階段を十段上がったくらいの小高い位置に、祠が建てられていた。祠は小さな鳥居を前に構えて、岩をくり貫いた洞穴に、木製の格子を嵌めてある。怜乃は洞穴の、一切を塗り潰すような漆黒の闇を見詰めながら、煙を吐いた。

「それを見付けるのには随分と時間を掛けた」

怜乃の背に声が掛かる。

「二ヶ月前に漸く見付けてな。まさかお前まで居るとは思わなかったが」

そう愉快そうに語る託氏は、血みどろの遊び(・・)があった事など感じさせない、元通りの出で立ち。純白の外套には染み一つ無く、髪も整っている。

「お前に会うのはいつぶりだったか。半年くらいか」

託氏が言う。

「八ヶ月です」

怜乃が言った。

「そうか。それでその間、お前は何をしていたんだ。お前の事だ、また新しい芸当か何か見せてくれるんだろう?」

怜乃は煙草を懐にしまい、背負っていた細長い黒袋から、灰色に輝く濶剣を取り出す。袋は放り捨てた。

「聖銀か……」託氏が驚嘆する。「その格好で若しやとも思ったが、まさか八三に入ったのか」

「ええ、貴方を殺す為の一手段です」

「結果は重畳のようだな」

「早速、試してみましょうか」

「長年、追い求めた目的の達成を前にして、少々もどかしい気もするが、俺とお前の仲だ、まあ良いだろう、付き合ってやる。そら、掛かって来い」

 怜乃は、その足で距離という概念を、空間という概念を踏み付けにして、聖銀の剣を握る左手を突き出した。託氏の背から剣が飛び出る。

 託氏は首と視線を動かして、濶剣を眺めた。

「刃は無論、柄にも鍔にも聖銀を使用し、形を西洋剣とする事で、嵩を増したか。こんな物を持ちながら現実改変を行使する力は大したものだが、それで、どうやって俺に止めを刺す。言っておくが、並大抵の攻撃では――」

墓所の静穏を踏み潰して、周囲の雑木の陰から迫る、重機の音。それはキャタピラの音であり、木々を薙ぎ倒す音であり、空気を攪拌する騒音だった。果たして雑木の奥からひょっこりと顔を出すのは、居並ぶ戦車と、群がる戦闘ヘリコプター。それらが墓所を、と言うよりも託氏を、取り囲んでいる。

「貴方を相手取るに足る弓矢です。操縦と運搬は現実改変ですが、その他は実物です」と怜乃。言いながら、懐にしまった煙草をまた口に咥える。

「御堪能あれ」

怜乃は紫煙を吐いた。

 戦車の砲撃が、戦闘ヘリの機銃射撃が、墓所の表面を浚っていく。墓所の形は見る間に崩れ去り、地面には穴が穿たれ、その嵐の中心に在る肉塊二つを洗う。弾が尽きた後、戦闘ヘリに搭載されたミサイルが次々に発射されて、墓所を殆ど更地に変える。その最中に、上空を一機の輸送機が横切って、巨大な塊を滑落させた。その金属の塊は中空で凄まじい熱と音とを発生させて、墓所を光で飲み込んだ。周辺に伝播する筈だった影響は、墓所の内側に不自然にとどめられ、通常ならば分散されたであろう爆風と高熱は墓所の敷地内で渦を巻いた。

 やがて、再び墓所に静寂と、勢いを増し始めた雨が戻り始める。墓石を始めとして、周辺の兵器を含めた人工物は姿を消し、或いは消し飛んでいる。例外的に、塚とその祠だけは依然として鎮座していた。そして、剣の柄を握った怜乃と、剣が腹に刺さった託氏もまた、依然として二人きり佇立していた。

「驚いたな」と託氏。「聖銀というのは、斯くも丈夫なのか」

託氏は自らを刺す刃を撫で擦った。

「超常を尋常に引き戻す力だ。てっきり尋常の金属と同じように加工されているのかと思っていたが、この現状を見るに、そうでもないようだな」

聖銀の剣は、弾丸の雨を受けても、熱の嵐を受けても、変形が無かった。灰色の光彩を現しながら、浴びる雨露を滴らせている。

 怜乃は託氏に忌々し気な目を送ると、剣を引き抜いた。

 背後から弧を描いて首筋に迫る刃を、託氏は腕で防ぐが、剣の重みに、骨が折れる。骨は折れたけれども、託氏は意にも介さずその腕を動かし、剣を捕まえた。怜乃は剣を取り返そうと腕を引くが、剣は微動だにしない。

 託氏は首と目を動かして、背後の怜乃に視線を送る。

「どうやら、これとこれに係る現象を改変の対象にするのは難しいようだな。それでは駄目だ――」

怜乃は腰帯に提げた拳銃を右手で抜いて、立て続けに発砲した。だが、弾丸は純白の外套をすら傷付けず、地べたに転がっていく。

「まだ斬る動作を必要としているようでは、俺を倒せんだろう」

怜乃の左腕が切断される。左手から力が抜けて、聖銀の剣が託氏の手に渡る。怜乃は咄嗟に右手で左手を掴んで、肩の方向へ押し込む。裾の中で、怜乃の左腕は繋がる。怜乃は十歩ほどの距離を託氏から取った。託氏は新しい玩具を手に入れた子供のように、聖銀の剣を振り回している。

「ふむ、ふむ、成程、成程な」と託氏。「こんなものか」

怜乃の眼前に立った託氏の持つ聖銀の刃が、怜乃の腹部を貫いていた。

「どうだ、上手く遣るだろう」嬉しそうに語る託氏。「これくらい出来なくてはな」

怜乃は刃を押し返そうとして掴むが、あまり力は入っていない。

「流石のお前も、これだけの聖銀が内側に入れば、術の行使もままならないか」

託氏が剣から手を離すと、怜乃は後退った。踏み止まって、倒れはしないものの、それだけだ。

 純白の外套を翻しながら、託氏は墓所に一つ残った祠へ足を向ける。

「そこで観覧していろ。お前らの先祖が封印した大陰妖が如何程のものであるか、多少なりとも興味は有るだろう」

塚の前に到達すると、託氏は振り返って、怜乃を見る。怜乃は血溜まりに立って、託氏を見ていた。

「実はこの後に余興を考えていてな」と託氏。「お前にはそれに付き合ってもらうつもりでいる。大陰妖の力を試して、お前との遊びも終わらせるつもりだ。少々名残惜しくはあるがな、お前は疲れてきただろう?」

怜乃は何かを言おうとしたのか、血反吐を出した。託氏はそれを呆れるような、憐れむような、可笑しむような、可愛がるような、そんな目で見た後、再び祠に目を向けた。

「なに、最後に馬鹿騒ぎした後、ゆっくり休ませてやるさ」

託氏は祠の木格子の前へ飛び移る。

「永遠にな」

格子を蹴り破った。


――――。


 格子の崩壊する音の後、墓所に満ちる、先刻からの雨の音。その静寂と静音の間隙から、含み笑う声が漏れ聞こえてくる。そしてそれは堪えきれなくなったように、墓所の隅々に行き渡る哄笑へと変化した。

 託氏は訝しげに、大笑いする怜乃を見た。

「何をした」

フフ、クフハハハ、ハーハッハッハ……と、一頻り笑って、怜乃は腹の剣を掴む。剣を伝って血が手を染めて、雨水うすいに混じって滴り落ちる。

「貴方は何も分かっていない」と怜乃。「貴方は二ヶ月前にその封印を見付けたと仰ったが、なぜ見付ける事が出来たのか、考えませんでしたか」

託氏は厳しい顔で閉口した。怜乃は続ける。

「貴方はこの地で現が大きく揺らいだ事を感じたんだ。その揺らぎは、例えば何者かが鎖を揺らしたような、誰かが封印に干渉したような、そういう揺らぎだ。そして貴方はこの場所へ来て、この封印を確認した」

怜乃は己の腹から剣を引き抜いていく。腹にはぽっかりと穴が空く。

「街全体の現実度が低下しているのは都合が良かったでしょう。陰妖が無尽蔵に現れて、貴方の食事にも困らなかった筈だ」

雨の勢いが弥増していく。遠くの雷鳴が届いた。

「それもこれも、貴方をこの街、この場所に呼ぶ為の余興・・です」

怜乃は、自身の右手から前腕に掛けて巻き付いている、黒く細い鎖に括られた、半球形の、五芒星の意匠が彫り込まれた、黒い石に指を掛けた。

「お前は何をした」

託氏が問う。

「貴方の求めるものを、御覧に掛けます」

怜乃が掌の石を引くと、鎖がするりと解ける。それを投げ付ければ、託氏が受け止める。託氏は鎖と石を検めて、殆ど呟くように言った。

「これは、黒く塗装した、聖銀、か」

「ええ」

託氏は怜乃に目を向――左腕を切断された。咄嗟に持っていた聖銀を手放して、自身の首が落ちている事に気付く。解体された自分の肉体を再構成して、細胞単位で分解される。身体の構成を諦めた託氏は、単純な力の集中として怜乃への接近を試みるが、集中の中心を聖銀の剣に穿たれて、恢恢たる天網に引っ掛かる。神の定めし理法に従い散らばんとする、自己を仮託した力を掻き集めれば、雨を含んだ黒い土に打ち留められた、人間の形姿が現れる。

 託氏は、顔を雨に打たれながら、引き攣ったような、見る者が怖気を震うような、そんな凶悪な笑みを作る。腹を揺する笑い声は、口腔を逆らう血流を誘った。

「自分が何をしたのか、分からぬお前ではあるまいに」

そう言った託氏が次に見たのは、自身の頭上へ歩み寄り、片足を上げた怜乃。託氏の額が踏み躙られる。

「俺には見えるぞ、お前の姿に重なって、かつての大逆人が、怨嗟と伝説を纏うた鎧武者が。それが大陰妖か。存外、迫力に欠けるものだな」

豪雨に変じた雨を纏わり付かせたまま、怜乃は懐に手を容れる。取り出した煙草を取り落とす。怜乃はそれを拾わず、託氏を地に留める剣の柄へ手を伸ばし、それを捻じった。託氏の腹の傷口が広がり、託氏の口から、猛獣の咆哮染みた苦悶が漏れる。

「大陰妖の与える現実と、聖銀の修正力、この二つを相手取れば、貴方すらも、抗うこと能わないという訳だ」

「それがどうした? そんな事より、自分の惨状を気にするが良い。大陰妖の封印を、自分の体に遷したな。愚か者め」

唸り、牙を剥き、涎と雨に塗れる巨大な銀狼が、託氏の足の側に現れる。

「それは俺と何が違う? 俺のような陰妖憑きと一体なにが――」

巨狼が、託氏の脚を咬み砕く。その痛撃に、託氏の口が止まる。

「陰妖憑きとの違いなどどうでも良い。何もかも貴方が死にさえすればそれで良いんだ」

怜乃は左手に持った銃を突き付け乱射する。託氏の体に赤い染みが出来る。そしてそれでも尚、託氏は笑った。嘲って、笑った。

「仕方が無いな。教えてやろう。俺という化物と、お前という化物の違いをな」

巨狼が託氏のはらわたを食い漁る。

「俺の強さは、強さの為のもので、お前の強さは俺の為のものだ。お前が俺に勝つとしても、それはそれだけの事でしかなく、お前が俺より強い訳ではない」

「それがどうした」

「お前はこの遊びに勝てない」

――それがどうした。

二度目のその言葉、その絶叫は、空気を振動させていなかった。既に怜乃の想念が現実から先走っていた。

 怜乃が託氏の頭蓋を踏み砕き、零れ出る脳髄を踏み潰す。

「僕にとっては遊びではない、ただの一度でも、遊びだった事が有るものか」

「哀れだな、冷泉怜乃」託氏の手が剣を掴んだ。「お前がどこまで哀れになれるか、化物に成れるのか、試してやる」

――巨狼の眉間に剣が刺さる。

――起き上がった託氏の体が陰妖の力で斜めに裂ける。

――怜乃が銃を構える。

――立ち竦んだ姿の玲華が怜乃の射線を遮るように現れる。

それらの総てが同時に起きた。怜乃の目には、突如として雨に曝される、眠ったような顔の玲華の向こうに、逃走しようとする託氏の背が見えた。

――邪魔だ死ね。

怜乃は撃った。そこに有った憎悪が、瞋恚が、銃口から放たれる。鉛玉は雷電に変化して、何よりも鋭く玲華を襲った。

 黒焦げになった、札が怜乃の視界に現れる。札は玲華を庇うように現れて、雷撃の標的となって、盾の役割を果たして、燃え尽きた。

 何が起きたのかを把握できない一刹那も、理外の存在たちにとっては、その何万倍もの時間に等しい。況してや逃走しようとする化物中の化物にとっては、絶好の機会だった。

 怜乃が玲華の向こうの景色に、再度、意識を向けた時、事は終わってしまっていた。

 元より力など入っていなかったのであろう玲華は、膝を崩して倒れそうになり、正気に返った怜乃が慌ててそれを抱き止める。怜乃は膝を屈して、そこに玲華を乗せた。

「おい」

怜乃は雨に濡れる玲華の顔を拭う。玲華の表情がぴくりと動いて、ゆっくりと目を開けた。

「嗚呼、兄さま」

玲華は怜乃に身を擦り寄せた。

「結局、守られてしまいましたね」

怜乃は託氏の消え去った方へ目を逸らす。

「何を、馬鹿な……」

それから、雨を振り撒く遥かの雲を見た。感じるのは、雨の冷たい感触と、玲華の体温。

 怜乃は、身に受けた雨と、抱えた玲華の重みに、立ち上がる事すらままならなかった。

「何を、馬鹿な……」

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