表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スズメバチ  作者: 宇原芭
18/21

猩猩(1/2)

 細川は繰り返し、託氏の脇腹を刺していた。流石の託氏もこれには表情を歪める。細川の手首を取って、刺突を押さえ込む。脇腹の穴からはどぼどぼと血が零れ出ていた。それを認めて、細川は意地悪く笑う。

「どうやって俺を殺すとかほざいていたな。こうやって殺すんだよ」

聖銀は血に濡れたまま、尚も切っ先を託氏の肌にすべらせていた。

「見事だ」と託氏。「この出血量で、至近距離に聖銀を置かれたなら、確かに大概の陰妖や陰妖憑きは屠られるだろう。だがな――」

細川の短刀を握る手が、徐々に押し遣られる。細川は全力を挙げて押し戻そうとするが、まるで石壁を相手取っているかの如く、前進の兆しが無い。

「――俺は大概で括れる化物ではない」

託氏の足が上がって、細川を蹴り付ける。抗い難い程の衝撃に、何度目か、細川は地面に倒れた。

「どうだ、まだやれるか」

託氏の問いに、細川は何も答えず、立ち上がる。

「何度となく退けられても、何度となく立ち上がるか。美しい精神だ。俺たち化物は倒れる時が最期だからな、少し羨ましいとさえ思う」

「さっき倒れてたじゃねえか」

「倒れ方の話だ。己の力を破られて、倒されて、そこから立ち上がれるかどうかで、人間の価値は決まる。俺たち化物は、はなから自分以上の力を行使している。である以上、ひとたび膝を屈せば、そこに立ち上がる意味は無い。――だから、お前は駄目だと言うのだ」

ふと脈絡を外れた言葉に、細川は怪しみを誘われる。その言葉が細川以外に向けられた事を託氏の眼差しから察して、振り返る。そこには血に薄汚れた玲華が立っていた。

「それはお前の器に見合った力ではない」と託氏。「再起したくば己の弱さを見詰め直してからにする事だ」

「悪党の言葉なぞを聞く耳は持ちません」

玲華が言う。

「その悪党の力を利用して何とする」

託氏が返す。

「問答無用ッ」

突撃。玲華の突撃は、地面を踏み締めるのではなく、過程を踏み付けにして為された。距離という概念を踏み越えて、託氏の至近に至る。そして、脇差の魔力が、玲華に至上の斬撃を約束した。

 託氏の脇腹を斬り分け進み、背骨に達して、それを断つ。そのまま引き斬り抜いた刃を返して、腹へ潜り込ませるように突き上げる。刃の先端は心臓を突いた。

 託氏は薬指と人差し指で玲華の眼を突く。

「ァぐっ」

反射的に仰け反った玲華を、託氏は殴り飛ばした。吹っ飛んだ玲華と入れ替わるように、矢が飛んで来て、託氏の四肢を引っ張り、祠に磔とする。それを物ともせずに託氏は踏み出す。そして四肢に穴が空く。血が流れる。その血を欲して、駆け出す玲華。影に身を変え、地面を染める血を浴びる。それから水面みなもを跳ねる魚のように、影から飛び出し、託氏のはぎから腿を切り裂いた。託氏が裏拳を繰り出すと、無数の蝶に変化し散って逃れる。かと思えば、舞い上がった蝶たちの陰から降って来て、見上げる託氏の額へ脇差を貫通させる。そのまま託氏の肩の上で、脇差の柄と後頭を通り抜けた刃先を掴んで、捻り上げる。すると頚椎の折れる音が小高く鳴った。玲華は脇差を引き抜いて、肩から跳び下り、距離を取って構えると、攻撃の手を止めた。敵の様子を注視している。

 駄目押しに矢が飛来して、玲華の眼前に針山を披露した。

「何をしているのです」玲華が叫ぶ。「貴方も早くッ」

「お、応」

やや呆然としていた細川が動いて、短刀を刺す。相手は倒れて、短刀が墓標のように立っていた。

 玲華と細川はそれぞれ血達磨を静視した後、互いを見合った。表情に浮かぶ感情は乏しいが、警戒心は両者共に横溢している。

「終わりか」

声に、二人は強張る。無惨な人型が上体を起こした。

「どうして死なない」と細川。

「取り立てて言う程の事でもない。お前らが擦り傷で即死しないのと同じだ」

胸から短刀を引き抜くと、細川へ擲つ。細川は避けつつ、中空で柄を捕まえた。

「流石にそれは痛いがな」

「ッ、呀ァァ!」

託氏の繰り言を掻き消すように、玲華が吠える。再び託氏に切り掛かり、振るう刃は、託氏の鎖骨を断てない。皮膚に喰い込む刃は、微動だにさせる事すら出来なくなった。まるで、無限の距離に囚われたかのように。

「そもそも力の使い方が下手過ぎる」と託氏。「よくそれで俺に挑んだものだな」

「おのれ愚弄するかッ」

「悔しかったらこの刀を動かしてみろ」

「く、この……」

「おい、遊んでんなよ!」

細川が乱入して短刀を振るう。託氏は舌打ちし、瞬時に後方へ跳ね飛び、祠の屋根に着地する。玲華の脇差は託氏から離れて、自由になった。

「どうにも仕方が無いな」と託氏が言う。「今すぐ逃げ帰って応援を呼ぶか、ここで死ぬか、選んでくれ。この遊びには退屈してきた」

「死ぬのは貴様だッ」

 玲華が行く。風となって託氏の背後を取るも、玲華の方を見もしない、託氏の無造作な後ろ蹴りを当てられて、塵のように吹き飛んだ。木にぶち当たって、地へへたり込む。

 玲華は思う。勝てない、と。まだ勝てない、と。もっと、圧倒的な強さが欲しかった。強いもの、力の有るもの、それを玲華が考えた時、他の何にも先んじて思い付くのは、陰妖術の象徴としての式神、即ち狼であり、特に白銀の巨狼だった。

 気付けば玲華は白銀の巨狼に変貌している。漲る力は、この獣性の強さを明示していた。

 脚の筋肉を駆動させる。生じるのは、譬えば貨物車と一体になったかのような力動感。そういう馬力。狼だが。

 玲華は一直線に託氏へ襲い掛かった。一咬みで、託氏の体の三分の一は奪い取る。だが、瞬き程度の時間を越えれば、託氏は既に五体満足で立っている。

 もっと強く、もっと速く、もっと鋭く、もっと大きく、もっと靭やかに。玲華は願った。付着した託氏の血が、狼の胃袋に納まった陰妖憑きの肉が、それを叶えてくれる。

 玲華は身をはち切らんばかりの力が体内に巡るのを感じ、猪突猛進する。狼だが。そうして、託氏の身を裂き、骨を砕き、また託氏が平然と立てば、身を砕き、骨を裂いた。

 託氏は立っている。

 まだ、まだ、まだ……。玲華の思考が力への渇望一色に染まり始めた時、巨狼の猛攻が始まってから初めて、託氏は攻撃を見せた。

 頭部を鷲掴みにされた玲華は、それだけでまともに動けなくなった。頭部に感じる締め付けは、きっと万力のそれとも比較にならない。打ち破らんとて、もっと、もっと、と力を欲すが、託氏を上回る事は無い。

「未熟者め」と託氏。「何も考えず、何も慮らず、何を惟る事も無く、力の形象を欲したな、力の本質ではなく」

飛来する矢が託氏を射ち貫いていくが、効いている様子も無い。

「例えばだ、この状態でお前に聖銀を近付けたらどうなると思う」

言われて初めて思い至って、玲華は必死に託氏の手を振り解こうとしてもがく。

「そうだ、お前の身体はいま物理的に構成されていない。現実を基の形に寄せれば寄せる程、お前の身体は崩壊していくだろう。それか、肉体が崩れ落ちるより先に、腹に納まった肉と骨が零れ落ちるかも知れんな。いずれにしても死ぬだろう。そして、このまま放置しても、お前は死ぬに違いない。……分かるか? どうなんだ、お前は元の自分の姿に戻れるのか」

託氏は手を離した。玲華は託氏から離れる。仮にいま玲華が獣面でなく人の面貌だったなら、青褪める顔を見られたかも知れない。

 玲華は人の姿に戻ったが、その面差しは晴れず、託氏は嘲る。

「やはりな、皮相だけだ、人の姿をしているのは。肉体の中身はどうなっている?」

分からなかった。玲華には、肉体を機能させる臓器の構造が、骨の組成が、体液の配合が、何も分からなかった。無論、胃とか腸とか、心臓とか肺が有るのは知っている。骨の大まかな形も見知っている。血液中に赤血球だの白血球だのが有るのも知っている。しかし、それらがどのように、相互の連携を成して、科学的な反応の連鎖を示し、力学的な法則に連なって体を動かしているかなど、思い及ぶ筈も無かった。小宇宙とさえ形容されるそれを一個人が完璧に把握するには、余りにも神秘的だった。詰まるところ、玲華の体はいま夢の中でのみ成り立つ夢幻の存在に等しかった。基の現実に近付けば近付くほど霧散するだろう。

「今のお前は陰妖にも等しい、自らの存在を保つために、周囲の現実度を下げ続けるという点でな」

託氏は細川に目を向ける。

「そら、八三、お前はどうするんだ」

「元より陰妖術士は処理対象だ」

そうは言ったものの、細川の表情には躊躇いが窺える。半ば無意識的にも、自らの持つ短刀を玲華から遠ざけていた。

 対抗意識を抱く八三からの慈悲を感じ取って、玲華の目頭が熱くなる、悔しさで。再び巨狼に変身した玲華は、その人外のものなる口で、人語を叫んだ。

「元よりッ、命の事は覚悟の上、仮令、死しても、貴様は倒す」

玲華が託氏を襲う。

「愚か者め」

託氏は嘆息した。

 人知を踏み外した者同士の争いに、玲華の人への不帰還に、細川は立ち入る事が出来ず、手を拱いていた。その間にも、周囲の場景は歪になっていく。戦闘の余波は周囲の地形に影響を及ぼす程であったし、現実度が低下して、周辺の存在が希薄になり始めていた。細川が無事なのは、聖銀を手にしているからに過ぎない。若し素手でこの場に居たなら、自身が空間に融け出す様に動揺を禁じ得なかったかも知れない。そしてこれ以上、現実度が下がるようなら、聖銀の力を以てしても、その量、即ち修正力に限りが有るうえは、細川にも影響が及ぶ。決断するしかなかった。

「恨むなよ」

細川は、戦闘の渦中へ一歩を踏み出した。視線の先に居るのは、託氏ではなく、白銀の巨狼だ。

「待って下さい」

唐突に届いた声が、細川の足を止める。

「責任は俺が取ります」

一条の矢が、細川の横を通り抜けていった。

 玲華は戦闘の最中、暗い暗い迷宮を連想していた。或いは、させられていた。往き進んでも往き進んでも往き果てぬ、そんな迷宮をだ。現の歪みまくるに任せて、強さを求める。求めた強さが手に入る。しかしその強さが、託氏には届かない。そんな迷宮然とした、果てしの無い渇望の末に、己自身が迷宮を彷徨う怪物と成り果てる予感に恐ろしくなる。なるけれども、既に入口の光は見失い、アリアドネの糸も無い。そういう出口の無い不安感を紛らわすかのように、巨狼は暴れて、いつしか託氏を倒すという目的からも離れ、滅茶苦茶な攻撃を繰り返すようになっていた。実際、傍から見て、陰妖との区別など付けようもなかった。

「見るに堪えんな」

託氏が言う。

「もう俺の声にも反応できんか。なら引導を渡してやろうか」

巨狼は暴れ続けている。託氏は鼻を鳴らして、拳に殺意を握り込んだ。

 鏃の光芒が託氏へと近付いていく。

 咄嗟にそれを払い落した託氏の目に飛び込んだのは、今までそこに居なかった一人の若人。引き絞った洋弓から突き付けられる鏃の先は、託氏の心臓を庇う皮膚と被服から一寸ほども離れていない。放たれた矢は過たず託氏のしんを穿ち、乱舞する花火のように中空で託氏を引き摺り回しつつ、最後は地面に打ち付けた。直後、四肢を留める矢が落ちて、託氏の動きを封じる。託氏の身体を土壌とした矢から木の根が生えて、忽ち大きな樹木と化した。

 それを見届けて告春は、狂乱する巨狼に向いた。

「玲華!」叫ぶ。「まだ何とかなる、落ち着いてくれ」

巨狼の動きは止まない。盲目の獣が我武者羅に暴れている。周囲の物を手当たり次第に壊している。しかも、現実度の低下によって、周辺のあらゆる事象、物体が、渾然と融け合っている。告春自身も例外ではなく、長くこの状態が続けば、境界の崩れた体から告春の命も溶け出すだろう。究極的には、巨狼の肉体もそうなってしまう。但し、巨狼はそれまでに周囲のあらゆる物を、この混沌の巻き添えにするだろうが。

「玲華ッ」

告春の呼び掛けに応じて、巨狼は鉤爪を振るった。告春の体が粘土のように裂け、勢いで倒れる。だが告春は立ち上がって、怯んだ様子も見せなかった。

「覚悟が有るんだろう、陰妖術士としての覚悟が。それを思えば良い。自分の目的を常に心に留めるんだ。そうすれば自分を見失ったりしない」

攻撃を喰らってもめげない対象を見付けて、巨狼は骨を噛む犬のように、告春へ襲い掛かった。告春は筆舌に尽くし難く、乱雑な扱われ方をしたが、やはり七たび転んでは八たび起きる。

「君は天才だ、この程度の失敗は取り返せる」

「それに勇気だって人一倍だ。怖がる事は無い」

「それに、それに……」

思いの外、掛ける言葉が少なくて言葉に詰まる。

 巨狼が口を開けて、告春に咬み付く。告春は半端な避け方をしたので、肩口に歯が突き刺さる。そのまま噛み締められる。その重機に匹敵するような咬筋力に対抗する為、陰妖術を行使する告春の肉体は、愈々景色に溶け始めていた。告春はそれすら気にしない素振りで、巨狼を撫でる。

「それに、俺は決めたんです。今度は守るって。玲華は覚悟が出来てると言ってそれを拒絶するのかも知れないけど、でも俺はやっぱり、覚悟と事実が別になっても仕方が無いと思うから。覚悟を決めて、後悔をするのは、もう沢山だから。俺は秋沙の時、ずっと後ろに居た。それは今でも正しい判断だったと思うし、その後に遣った事も、陰妖術士として正しかったと思ってる。でも兄としては、家族としては、俺は前に出たかった。自分より優秀な妹に引け目を感じて、ずっと自分の実力を見極めた陰妖術士でいたけど、本当は前に出たかったんだ。たとえ無能な兄に成っていたとしても、その無能さをひっくるめて自分の在り方を貫けていたなら、嫉妬混じりに、秋沙の背を貫く事もきっと無かった。そうだ、玲華にあの札を、殺意に反応して盾を出す術式を渡したのも、敵の攻撃に対策したんじゃなくて、俺が玲華を射ってしまわないようにする為だったんだ。玲華と秋沙が重なって見えて、また同じ事をするんじゃないかと怖くなって、あれを渡した」

肩が引き千切れて、告春はふらつき、臀部を地に付ける。それでも尚、またしても、告春は立ち上がった。

「でも、あれを使う必要はもう無い。今回は後悔しない。だってもう満足だ。覚悟と心が一致するっていうのは、気分が良いものですね」

告春は巨狼の眼を見た。巨狼の瞳は告春を映していた。

「さあ、陰妖術士たる覚悟を持って下さい。一流の陰妖術士は、貴方のお兄さんのような戦士は、この程度では動じません。するべき事をするのみです」

巨狼は唸る。

「身体の組成(そせい)知悉(ちしつ)する必要は無い。元より体の仕組みを知らずとも、体が正常に機能するように、我々の体の事は我々よりも、我々の体を創り給うた神が知っています。確かにこの世界には神が観ていない部分も有るようですが、逆に観られている部分も有って、俺たちが観ていないような部分も良く観られているんです。昔から言うでしょう、お天道様が見ている、って」

告春はにやりと笑う。巨狼は黙った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ