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スズメバチ  作者: 宇原芭
17/21

細川考量太

 所、変わって、告春や狼の居る地点から、更に北。そこには小さな丘が有り、周囲の道路や建物から区画されて、管理された木々が幾らか茂っている。その空間内に道が一本だけ在って、その土を踏み進むと、祠がひっそりと建っている。その神さびた祠の前に、細川もひっそりと立っていた。

 細川は携帯電話を耳に当てている。

「……ああ、そうか。それで? 見付けられそうなのか。……うん、そうか。なら――、そうだな、お前もこっちに来い。ああ、急げよ」

細川は通話を切ると、溜め息を吐いた。そして、視界の奥に見えた気配に視線を送る。細川の目が捉えたのは、道の先から駆けてくる二頭の狼だった。

 細川は二度目の溜め息を吐く。漏らした息には、思惑を惑わせながら進行する事態への倦怠が絡んでいた。そうして、絡まった個々人の意図を断ち切るには心許なく、陰妖を切り捨てるのには心強い、聖銀の短刀を構えた。

 狼は狩猟豹より速く細川へ迫る。だが、細川へ近付くにつれ、その勢いは漸減していき、細川へ飛び掛かる頃には、並みの狼と全く同程度にまでなっていた。それでも、二頭の獣に襲われたらば、通常人には一溜まりも無い。しかし細川は、飛び掛かる狼に難なく刃を走らせ、狼はそれぞれ、飛び掛かった勢いのまま、祠へ身を投げ、辺りを赤く汚しながら地面にまろんだ。

 狼の骸に目を遣った細川は、怪訝に眉を顰める。そっと歩み寄ると、膝を折って、骸に手を伸ばした。

「疑問に答えてやろうか」

突如、細川の後ろから掛かる声。細川は喫驚しながら振り向く。細川の背後に男が立っていた。赤い柘榴石のペンダントに、黒いシャツ、深紫のズボンのポケットへは両の拇指以外の指を容れ、そして純白の外套を羽織った、凶相の男。外套に一体となった形のフードを被っていた。その中に在る顔貌は、良く見れば四十しじゅう歳を超えた辺りだろうと分かるが、日に焼けて浅黒い肌と、活きの有る眼光から、妙に若い印象を受ける。また、細川を超す背丈と、服の上からでも分かる筋骨たくましい体躯が、その印象を強めていた。

 男が口角を上げると、脂肪の薄そうな肌が寄って、幾重かの皺が出来る。

「そこな狼は、俺の式神だ。我流だがな。一応、由緒ある術式を参考にはしたが、如何せん真似事、少しばかり陰妖っぽくなってしまったのには忸怩たる思いでいる」

 細川は男に短刀を向けた。

「穀堂託氏だな」

「如何にも。そう言うお前は?」

「名乗る必要は無い」

言うが早いか、細川は短刀を閃かせた。短刀の切っ先が、一歩さがった託氏の鼻先で空を切る。直後、短刀は軌道を変え、託氏の腹部へ直進し出す。それを素手で防ごうとして託氏の指は血でぬめる。しかしながらしっかりと、託氏の片手は短刀を握る細川の手を捕まえていた。

「聖銀か。八三だな」

「答える必要は無い」

「つれない奴め」

言うや否や、託氏は拳を振り上げた。拳骨が仰け反った細川の頤を掠る。直後、拳は引かれて、再び細川の顔へ繰り出される。それを素手で防いだ細川だったが、拳は連打され細川の掌ごと細川の顔を殴打し、細川は堪らず短刀を引いて後退った。

 二人の間に距離が出来る。

 託氏は己の手を見る。指に滴る血を舐め取ると、傷が跡形も無く消失している。

「勝算は有るのか」託氏が細川に問う。

「同じ事を何度も言わせるな」と細川。

その回答に満足したのか、託氏は口角を吊り上げる。泰然たる手付きで被っているフードを払う。撫で付けられた白髪交じりの髪が露わになる。託氏は首を回した。

 隙あり、と言わんばかりに、細川が刺突する。隙など無い、と示すように、託氏は僅かな足の動きで体の向きを転換させて、刃を躱した。この時、刺突を出して半身になった細川と平行に向き合う形で、託氏が半身になっている。託氏はすかさず細川の襟首をふん捕まえて、頭突きをかました。続けざま細川の胴体に、踵を押し当てるような蹴りを加えた。その衝撃で、細川は後背へ飛び、仰向けに倒れた。

 細川を見下しながら、託氏は()()()()()()()を確かめるように、手首を捻って動かす。短刀は妖しい灰色の輝きを見せた。それを見上げて、細川は自分の手の内に愛刀が無いのに気付いた。

「馬鹿な、どうやって……」

「手癖の悪さと手際の良さが自慢でな」

細川が体を起こすと、鼻から血が垂れた。それを拭って、立ち上がる。

「褒められやしねえ」と細川。

「まだやれるのか?」

そう言う託氏の目には、侮りと哀れが入り交じり、しかも奪い取った短刀は、三本の指で持って安定を欠かせ、使う気も無い素振りをしている。

「これが無くては戦えまいに」

「戦いは武器じゃねえ、戦意だ」

託氏は失笑する。

「精神論を精神論であるという理由で否定する気はないがな、幾ら何でも無謀に過ぎる。大の大人がまともに考量できないようでは、情けないぞ」

「考量? 考量なら得意だよ。名前に持ってるくらいだ。実際、お前、今、現実改変が使い難いんだろう?」

ふと、託氏の顔付きが変わる、分かり切った相手を余裕たっぷりに眺める顔から、分かり切っていたものから懸案が湧出ようしゅつしたような顔へと。

 矢が十本ちかく、託氏の胸から生えた。託氏は短刀を取り落とす。視線も落とす。視界に映るのは、自身の血に塗れたやじりの群生。

 託氏は振り返る。――狼の開いた口が眼前に在る。頭からかぶり付かれた。

「覚悟ッ!」

少女の喊声が耳に届いた。そして、体を斬り付けられる感触。何度も、何度でも。そして、四方から矢が体に穴を空ける感触も有る。その状況を確認しようにも、齧り付いた狼が邪魔だ。引き離そうとしているが、しっかりと咬み付いていて、一筋縄ではいかない。終には、一際に痛い刺突を感じた。痛みよりもむしろ熱を感じるような、深い一刺し。どうやら、聖銀の短刀に突かれたらしく、それは細川が態勢を立て直したことを示していた。

 託氏はようやっと狼を引き離した。白狼の首根っこを捕まえた指の圧迫は、頸椎を締め付け、白狼は既にして意識を諦めている。丁度その時、託氏の正面から矢が飛んでくる。託氏は狼の身を盾とし防いだ。その陰から少女が飛び出て、持った脇差を突いてくる。それに対して託氏は半身を引いた。以って突きが外れる。その隙を突いて託氏は、少女へ狼を押し付けるようにしてぶつける。少女が地面に倒れるのとほぼ同時、託氏の脾腹を貫く短刀。痛いな、と思った託氏は、抜かりなく少女を踏み付けにしつつ、細川を掌で突き飛ばした。細川は短刀を離さなかったので、託氏の腹からは短刀が引き抜かれ血が吹き出、細川は地面に転がった。かと思うと、託氏の背骨に沿って幾本もの矢が刺さり、さながら背びれの様相を呈す。

「休憩しないか」と託氏。「あ~あ~、服がぼろぼろだ」特に、純白だった外套を気にして言う。「すっかり真っ赤じゃないか」

「ふざけやがって」細川が立ち上がる。「それでも人間か」

「どうだろうな、自信は無いから、昔から化物と名乗るようにはしている。結局は何を以って人間と見做すかだろうが、お前はどう思う」

「答える必要はねえッ」

細川が駆け出した瞬間、託氏の地面に付いている脚が爆ぜる。遠方から届いた矢が、地面に突き刺さった。

 体勢を失った託氏は地面に倒れる。託氏の足から解放された少女は慌てて起き上がると、まだ片膝が地面と付いているのにも構わず、託氏に切り掛かる。結果として細川と同時に強襲となる。見栄えもしない、格好も悪い、私刑さながら、無様な暴力の様相は、如何にも戦闘ではあったが、対する託氏の様子は、この種の光景と共にするには落ち着いていた。まるで日向ぼっこをするかのように、空を塗り潰し始めている灰色の雲を眺めている。雨はまだ降らないが、代わりに慈雨の如く、敵意の物理的な表徴が、託氏の体全体に降り注いでいる。

 やがて託氏は細川の手首を捕えて、捻った。それだけで魔法のように、細川は体勢を解いて、地面へ突っ伏す。しかし現実改変ではなかった。それは武術の理に従った、即ち合理的な動きに依った、現実的な出来事だった。そして託氏は少女の足首を捕えて、払った。まるで重機に当たったように、少女は背中から、地面へぶっ倒れる。しかし術理ではなかった。それは物理の法に逆らう、即ち現実改変に頼った、超現実的な出来事だった。

「もう十分だろう」託氏が起き上がる。「お前らではこれ以上を遊べまい」

失った筈の片足は何食わぬ顔で主の下へ帰参し、託氏は両の足で立つ。そして、祠へ歩く。

「図に乗るなよ」

細川の声に、託氏は立ち止まった。

「テメエは所詮、糞みてえな現実改変者の一人に過ぎねえんだ。ここで普通に処理されて終わりだ」

「ほう」

振り返った託氏の顔ばせには、再び、口角の吊り上がったあの笑顔が張り付いていた。

「ならばどうする。どうやって俺を殺す」

「学習しねえ奴だな」細川は立つ。「言う必要はねえ」

白刃もとい灰刃が煌めく――。

 地面に這いつくばりながら、少女は――玲華は――、細川の背中を見ていた。この直前まで玲華は、異常なほど強く背中から倒れた為に、呼吸さえもままならなかったが、今はそれを整えている。そしてそれが出来るのは、眼前で戦う常人の男の奮闘の賜物だった。男の事は知らない。告春の連絡と迎えを受けて、戦場いくさばに踏み込んでみれば既に居た。この男について分かるのは、八三の一員であろうという事だけ。兄の同僚と思えば親しみも湧かないではないが、それ以上に、陰妖術士との確執かくしゅうに気が向けられる。けれども、この場に於いて、そんなものがどれほど無意味かは満足に思い知った。共闘とは言わないまでも、お互いに邪魔をしないよう――少なくとも玲華はそのつもりで――、悪食に挑んだ。だが、まるで敵わない。ならば呉越同舟、協力するしかない。だが、どうやって……? 玲華は立ち上がった時、そこまで考えていた。

 細川が突き飛ばされて、玲華の隣に倒れる。玲華はつい視線がそちらに行って、慌てて前へ戻すと、託氏と目が合った。その面貌の凶気に、豺狼さいろうという語を連想して、何故か実家の書庫を思い出したが、そんな事に構ってはいられない。脇差を構える。脇差は震えていた。

 託氏の表情から、獰猛の色が抜けて、失望の色が差す。

「お前は駄目だな」

「え」

「下がっていろ、邪魔だ」

頭に血が上るのを感じた。思わず札を取り出していた。

「皎牙ッ」

白狼が託氏に襲い掛かる。託氏は白狼の鼻面を鷲掴みにして、その攻勢を堰き止めた。

「それにしても腹が減ってきたな」

託氏がそう言った後、白狼は、メキメキと骨が潰れ、肉の軋む音を上げながら、託氏の掌に吸い込まれるようにして消えた。託氏の掌には、血に汚れた牙の並んだ穴が有った。

 玲華は血の気が引くのを感じていた。思わず脇差を取り落としていた。

「ァッ」

言葉未満の言葉を発し、玲華は必死に、脇差を取ろうとして地面に膝を付いた。そして柄を掴む。後は立ち上がって、構えれば良いのに、足に力が入らない。腹部の重たい感覚で吐きそうになる。身体の末端は血が抜けたような感覚以外が希薄だ。呼吸が浅い。

 全く動けないような気がしていたのに、託氏の足が地面の土と擦れる音を聞いた途端に、体は勝手に仰け反って、尻餅を搗いてしまう。ここに至って、玲華は自分が怯えている事に気が付いた。

 どうして、と玲華は考える。なんで、と。他の陰妖との時は平気だったのに、と。しかし思い返せば、平気だった訳ではなかった。それぞれにそれぞれの不安や緊張が有り、それらを怜乃への信頼や告春の存在に依って緩和していたのだ。だがいま眼前に居る敵は怜乃の仇敵であり、告春は姿を隠して後方支援に徹している。故に、自身の為に頼り得るのは、自分だけだったのだ。身の程を弁えない、冷泉玲華という名の小娘だけ。

 そんな玲華の前に歩み出るのは、細川だった。細川は託氏と対峙する。

「お前とはもう少し遊べる」と託氏。

「死ねよ、馬鹿」と細川。

「全くつれないな」

託氏は苦笑した。だがその笑みは直ぐに随喜を帯びる。()()()()()戦闘が再開されたから。

 蚊帳の外に置かれながら、玲華は戦いを見ていた。尤も、それは戦いと言うよりも、託氏の言うように、一方的な遊びと言った方が、適切だったかも知れない。それでも、細川は戦っていた。どうして、とやはり玲華は思う。どうして自分は、この八三の男のように、敵に立ち向かっていく勇気が無いのだろう、と。

 玲華は玲華の知る陰妖術士の姿を思い浮かべた。怜乃、叔父の萱寺、父親、家の道場に通っていた名も知れぬ青少年や男たち、そして告春、そして……。

 後退して踏ん張る細川の足が、地面の土を散らす。目の前にその光景が遣って来て、玲華は我に返った。戦わなければならない、目の前の男のように。目の前の男のように、圧倒的な敵にも挑みゆく勇気が欲しい。自分を自分の思う通りにしたい。冷泉玲華げんじつを変えたかった。

 聖銀の一刀が、託氏の胸を裂いて、辺りに血液をまき散らす。それに乗じて気勢を上げた細川が託氏を押し切り、祠に託氏の背を付ける。それでもまだ託氏は「流石、頑張るな」と細川を褒めていた。細川は攻撃の手を緩めない。

 そうした最中さなかに、玲華の目は地面に移っていた。地面に落ちて広がる、血溜まりに目が行っていた。

――現実改変自体はそう難しい事ではない。

――術士は陰妖の体の一部などを身に着け現を弛め、想念によって現実を改変するんだ。

――でも星刻があれば、道具が無くとも、陰妖術を行使できます。

――星を画く墨が、陰妖の血だから。

幾つかの知識が脳裏をぎる。玲華は自分を変えたかった。

 玲華は血溜まりに手を染める。

 思い浮かんでいたのは、顔も知らぬ少女、弓削秋沙だった。

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