ゲリとフレキ
告春が上空を走っていると、下界に陰妖の気配を感じた。
「こんな時に……」
不満を漏らしながら、告春は、感じた陰妖の気配の傍まで下降する。場所は先に玲華と降り立ったような、住宅街の、その隘路。弓に矢を番えると、建物の隙間へ潜り込み、その陰から、路地を覗いた。
居たのは、人型の陰妖と、それを襲う二頭の狼。狼の体毛は土色と雪色の二色で、外見は変哲の無い狼だが、斯様な場所で、陰妖を襲う狼などが、尋常の獣である訳が無い。故に、告春は警戒を強めた。
二頭の狼は人型の陰妖の四肢を引き裂き、陰妖を貪り始めた。陰妖の、油のような黒い血が、アスファルトの地面に四散する。その光景の悍ましさに、告春は意識上で悪食の事も忘れ、臨戦態勢に入る。だが、ふと覚えた違和感に、眼差しから戦意は奪われ、疑問がそれに取って代わった。
――あの狼の気配は、陰妖とは違う。
告春が先ほど感じ取った陰妖の気配というのは、どうやらいま狼たちが食らっているところの陰妖の気配だったらしく、狼たちから告春が感じるのはむしろ……
――式神の気配?
しかしそれも、確信には至らなかった。式神と言うには陰妖に近い。陰妖と呼ぶには式神に近い。迷った告春の脳裡に浮かぶのは怜乃だった。怜乃の従える式神、と言うよりは恐らく、泉流の式神式は、主に狼の形姿を採る。その認識は告春の知識と見聞に依存しているが、泉流宗家の継嗣として正統の教育を得たであろう怜乃の術がそうなのだから、蓋然性の有る憶測だった。そしてそうであるなら、何か、泉流の秘技のような、特殊な式神なのではないかとも思われる。実際、式神らしき物が、陰妖を始末しているのだから、敵と思うよりは味方と思う方が理に適っている。
告春は眦を決して、建物の陰から二頭の狼の前へ飛び出た。狼は一頭が告春に鼻先を向け、もう一頭は変わらず陰妖を咀嚼している。
告春は付近を睥睨する。狼たちの主と思しき人影は認められない。
陰妖を貪り食っていない方の、告春に注意を向けた狼が、とことこと告春へ歩み寄ってくる。その姿に、これと言った害意は見られないが、警戒心の残る告春の指には、力が入った。
狼が飛び掛かる。やはりか、と身構えた告春だったが、狼は告春の頭上を越して、後背に立っていた、別の陰妖に頭から齧り付いた。
「もう一体いたのか」
そう呟いて告春は警戒を解いた。
後ろから脚が咬まれる。
何が起こったのかは明白で、告春は事態を言語化して判断するよりも早く、蛮刀を足元に振り下ろしていた。蛮刀は無論のこと陰妖術で生み出した物であり、持っていた矢と置換した物である。
肉厚の刃が狼の頭部にがっつりと喰い込んで、尋常ならば絶命を免れない。そして尋常ではない。異常の狼は、きっと脳髄にまで達した刃の事など気にもしないで、うまうまと告春の脚の骨を噛んでいる。堪らず上空へ逃れようとした告春だったが、弓を握っていた手の首が、もう一頭の狼に咬み付かれてしまう。そうして地面に引き寄せられる。告春は四肢を引き裂かれた陰妖の光景を幻覚して肝を冷やす。冷えた心胆が発動した術は、告春諸共の俄雨。無数の矢が地面と垂直に、告春とその周囲に降り注ぐ。
苦吽ッ、と痛ましい音色の呻きを上げて、狼は矢に塗れた体を告春から離す。告春はヤマアラシの如き姿を呈したけれど、今度こそ空へ逃れた。忽如、告春の体から矢と傷が消え、その手には改めて弓矢が取られる。射放った矢は飛燕のように軌道を遊び、避けあぐねる一頭を貫通して後、続けてもう一頭を貫いた。それでも尚、生存している狼だったが、二頭とも敵わじと見てか遁走した。
止めを刺すべく追わんとする告春は、己が目的を思い出して躊躇逡巡してしまう。しかし良く見れば、二頭の逃れた方角は北。しめた、と思うも束の間、このままでは最悪、狼と同時に悪食を相手にせねばならぬと、告春は慌てて、音のように離れていく狼たちを追った。




