儀式
「それは……?」
告春が訊く。
「兄様が持っていた地図をこっそり書き写しておきました。恐らくここ義枉市内に於ける何者かの目撃情報か何かが記されています。多分、例の陰妖憑き、穀堂託氏でしょう」
「恐らくとか多分とか、曖昧な情報が多いようだけど、平気なの?」
「状況的にほぼ間違い有りません。ほら、これを見て下さい」
玲華は自身が持っていた紙と、告春の紙の二枚を、彼に突き出す。
「分かりませんか」
「東西南北、万遍なく印が付いている。玲華の持ってきた紙には日時も有って……、これが目撃された時間だったとしても、特に規則性は……」
「規則性なら有ります。この対象は、東で目撃されたなら、次にはそれよりも西へ、西で目撃されたなら、次にはそれよりも東へ、北なら南、南なら北、そのように移動しています」
「そうかな?」告春は首を傾げた。「ここなんて、東側で目撃された後、もっと東に移動しているようだけど……」
「良く見て下さい、その時は時間が連続しています。つまり、東側へ移動している最中に目撃されて、移動し終える前か終えた後に、また目撃されたという事です」
「成程、それなら説明は付きそうだ。けど、それが分かったからと言って、どうだと言うんです」
「この移動者は無差別に動いていません。恐らく或る図形を描いています」
「図形?」告春は、印と印を線で結ぶように指で紙をなぞる。「何の図形?」
「馬鹿なのですか貴方は、頂点を線で結ばなければ綺麗な図形には成らないでしょう。目撃された地点は大半が移動途中のものです。ですから、目撃された時間を基に、進行方向を変えたと思しき辺りを線で結ぶんです。するとどうです」
「これは――、五角形と、頂点を同じくする、五芒星?」
「そうです。頭の頂点から右回りに五角形を描き、一周したところで、今度は右回りに五芒星を描いています。そしてこの経路は、告春の所有していた目撃情報とも重なる」
玲華は告春の紙をぺらぺらと揺すって強調してみせる。
「この分だと、今頃は五芒星の最後の一辺を描いているか、描き終えているでしょう」
「それじゃあ、早いとこ、そうだな、この辺に先回りしないと」
告春は、図形の素描を開始したと思われる、五角形の頭に当たる部分を指差した。
「待って下さい。これらの情報から分かるのは、敵の大まかな位置だけではありません。敵の狙いも予想が付きます」
「と言うと?」
「この五角形と五芒星の中心を見て下さい。この位置に、何が在るかご存知でしょうか」
「ええと、確か、墓所、だったかな」
「そうです。そして、ただの墓所ではありません。この墓所には、或る首塚が築かれています。そしてその塚こそ、この地で眠る大陰妖、それを封じている結界の要なのです」
「それじゃあ、この移動は封印を解く術式で、敵の狙いは大陰妖の解放なのか」
「如何にもと確言したいのですが、生憎と結界の術式については詳しくありません。ですが、穀堂託氏はかつて、我が冷泉の家に侵入を果たした過去が有ります。その際に、大陰妖の封印について調べていたとか……。そして彼奴の能力は、陰妖を食らってその力を得るというもの。大陰妖を解放しようとする動機は十分です」
「という事はつまり、敵が最終的に向かう地点は墓所。図形を描き終えてから、真っ直ぐに南下して、墓所を目指す可能性が高い」
「はい。そうとなれば、私たちが待ち伏せるべき地点は、頭の頂点と墓所の間、という事になります」
「若し義枉市の異状が、こいつのやっている事に起因するなら、こいつを倒す事は、この街を救う事にもなる。これはひょっとすると、最大にして最後の好機かも知れない」
「義枉市の異状……、それは若しかして、二ヶ月ほど前から始まったのではありませんか」
「ええ、そうです」
「やはり。実は二ヶ月前、結界の異常が冷泉で観測されているのです。これで全て繋がりました。元凶は穀堂託氏で間違い無いでしょう」
告春は頷いた。
「早く移動しよう。相手は強敵、俺たちは未熟、やっつけるには、より多くの有利を得る必要が有る」
「ええ。冷泉の名に懸けて、必ずや穀堂託氏を打ち倒して見せます」
息巻きながら、玲華は差し出された告春の手を取る。すると風に巻き上がる砂塵の勢いで、二人は天へと馳せ、目標とした場所へ参ずる。
降り立ったのは、住宅街の路地だ。左右を住宅に挟まれた一本道の真ん中で、告春と玲華は手を離した。
「さて、敵がいつ来るかは分からない」と告春。「だからこれから偵察に行く。その前に、作戦を纏めておこう」
「はい」玲華は強く頷く。
「基本的には昨日と同じ。玲華が式神で敵を攻めつつ、剣で補助。俺が遠距離から狙撃する。だけど今回の敵は一層、強力だ。だから遣り方を工夫する」
「どのように?」
「俺は敵の視認できない範囲まで離れて、一方的に狙い撃つ。敵の索敵能力がどの程度かは未知数だけど、それを玲華が阻害するんだ。そして、玲華への攻撃は、俺が狙撃のついでに阻止する」
「成程。他に何か有りますか」
「いいえ。所詮は付け焼刃の連携だし、このくらいの方がきっと良い。遣り方には拘らず、自由にして下さい。ただ、最初の攻撃は必ず奇襲、敵の不意を突く事。これに失敗したら、すかさず逃げる、という事にしよう。最初の攻撃は俺がする」
「承知しました」
「それと、周辺に幾つか罠を張っておこう。現を弛め過ぎると良くないから、あまり多くも、強くもない罠しか張れないけど、無いよりマシだ」
「はい」
「それじゃあ、敵を発見したら連絡を――」告春は玲華の顔を見て、台詞を中断する。「大丈夫ですか」
「え?」
何を言われたのか、玲華は把握できない。その表情が一層、険しくなる。
「一度、深呼吸をして」
「深呼吸……」
言われて、玲華はそれをする。そうしてやっと、自身の身体の緊張に気が付いた。手は強く脇差の白鞘を握り締め、痛い程だ。表情は強張って、ぴくりともしない。唇には僅かながら痺れが有る。顔色を見れば、よほど青褪めているであろう事が、玲華自身で察せられた。
告春の握る拳に、弦が現れる。そして、片足を玲華から離し、去りゆく体勢を取ってから、玲華に言った。
「きっと、何処かでお兄さんが見ているよ。だから、大丈夫だ」
「兄様が……」玲華の表情に落ち着きが戻る。「そうですね。きっと兄様なら、私を守ってくれます。でも、今回は兄様の力を頼りません。私と告春とで、憎き陰妖と陰妖憑きを始末するのですから」
玲華の言葉を聞いて、告春は微笑する。そして玲華に、紋様の描かれた札を渡す。
「それを持っていれば、常人に玲華を認識する事は出来ない。適当な場所に隠れて、機を待っていて。敵を見付けたら連絡する」
「はい」
玲華の力強い返事を聞いて告春は、また飛び立とうとする。玲華が声を掛けた。
「告春、私は貴方を信頼します。背中を預けます。ですから、私の事も信用して下さい。仮に私がしくじっても、それは私の責任、最悪の時には、躊躇わず、私諸共にでも、敵を討って下さい」
「ええ、分かってる」
告春はそう言って、玲華に背を向ける。しかし、地面を蹴ろうとした足の、踏ん切りが付かなかった。
「これも、渡しておきます」
告春は、札をもう一枚、取り出す。
「所有者に向けられた殺意ある攻撃に反応して、盾を展開する術式です。一度きりしか使えませんが、有用でしょう。多少、現の弛みを促す事になっても、持っておいて下さい」
差し出される札を、玲華は不慣れに受け取る。それを認めて、告春は玲華の謝辞を背に受けながら、独りで空を昇った。
告春は北へ向かう。予想が正しければ、穀堂託氏はそちらから向かってくる。或いは、南西の方角から、いま告春が向かっている、移動経路の最北端へ来る筈だ。その明解な予想は、告春の行動に迷いを持たせない。しかし、告春の表情は曇る。告春は参っていた、玲華の姿を思い起こして、ふと気付けば、それが秋沙の形象にすり替わっている屢々の事態に。無理も無い、と告春は思う。数え上げれば、天才肌、真面目な性格、妹、陰妖術士、等々、共通項が多かった――それも或いは、告春が探し出し、見付けているだけのことかも知れないが――。そして、それ故に躊躇いが生じていた。前衛を秋沙に任せ、後衛で告春は援護する。それは二人での戦闘に於ける最適解であり、常勝の戦術だった。一族を滅ぼした陰妖との再戦の際にも、そういう陣形、戦術を取ったのだ――だからこそ、告春は秋沙の背中を射てた。信頼され、明け渡された背中ほど、射ち易いものも無い――。敵に勝つという点についてなら、どんな場合にも少なくとも妥当する戦術、躊躇う必要は無い。だがこれが、告春と秋沙の再現となれば、話は違った。
――若しも俺が前に出ていたならば、俺は秋沙を射たずに済んだのだろうか。
その瞬間を思い起こして、告春は恐ろしくなる。妹の背中を射ったのは、陰妖術士としての義務だったかも知れないが、殺意も無しに、それが出来よう筈も無いのだから。




