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スズメバチ  作者: 宇原芭
12/21

穀堂託氏


――――

―――

――


 冷泉家の離れには萱寺が居住している。陋屋と呼びかねる程度には立派な造りだ。そんな離れの側には枝垂れ桜の樹が一本、植えてあり、毎年の春には火照った雪のような花弁が舞い散る。その情景を心静かに眺めるのは、萱寺幼年よりの趣味だった。この日も萱寺は縁側に腰を下ろして、滋味溢るるその景色を味わっていた。だが静穏はいとも容易く掻き乱される、母屋より襲来せし銀狼に騎乗した姫子に因って。

「兄さま~! 兄さま~!」

狼の歩くのに合わせて、玲華の矮躯が上下に揺れる。それが為に独特の高低が呼び声に加わる。

「兄さまぁ!」

焼き芋屋の謡のように、玲華が呼び込みを続ける。その甲高く下手糞な節回しは、むしろ怜乃を遠ざけていた。

 銀狼が萱寺の側へ寄る。

「げっこう、そっちじゃありません。兄さまを探すのです」

玲華は銀狼の体毛を掴んで引っ張り、抗議の意を示すが、銀狼は意に介さない。そのまま萱寺に擦り寄り、鼻面を彼の掌に当て、愛撫を催促する。萱寺は苦笑を滲ませながらもそれに応えて、片手で以って狼の頭を撫で回す。

「もう、げっこう、げっこうたら!」

玲華はおかんむりだ。

「怜乃を探しているのか」と萱寺。

「そうです。兄さまが居ません」

「怜乃なら――」

呀吽ッ、と銀狼が吠えて、萱寺の言葉を遮る。そして急に何もかもに興味が失せでもしたかのように頭の向きを変えると、そそくさ歩き去る。

「げっこう、もう、げっこう!」

全く言う事を聞かない狼に、玲華は嗟嘆するしかない。

 玲華の小さな背と、銀狼の尻尾を見送ると、萱寺は桜に目を戻した。

「こっちに降りて来たらどうだ」と声を掛ける。「虫がくっ付くかも知れんぞ」

「結構です」

枝垂れ桜の花の帳の向こうから、彦の声が萱寺に返る。

「地面に降りたところで、大きなくっ付き虫が待ち構えていますから」

声の主たる怜乃は、桜の幹の股に腰を掛け、太い枝に寄り掛かった体勢で、手にする文庫本の項を捲る。そういう状態の為か、はたまたお邪魔虫を思い浮かべた為か、怜乃の無表情は硬い。その単純で繊細な表情を、目にしなくとも想像に難くない萱寺は、大人しく口を閉じた。そうして、不羈なる子供心は、大事に至らぬ限りは、奔放にさせておくが宜しいと、内心で嘯きながら、馴染み深い風流の外観に加わった少年の一枚絵を、観賞する事にした。

 萱寺の離れの向かい側には、冷泉邸の蔵が在る。並立した蔵は、一方が物置、もう一方が文庫だ。成り行き任せに離れを離れた銀狼が辿り着いた先でもある。そうであるとは露知らず、銀狼の背に跨る玲華は、文庫の扉が少し開いているのを見て、中に怜乃が居るものと思った。

「良くやりましたね、げっこう」

玲華はぺしぺしと銀狼を叩く。銀狼は怖い顔で呻るが、玲華には見えていない。玲華は銀狼を降りて、文庫の扉へ駆け寄って、押し開けた。

「兄さまぁ」

 扉は軋みを上げながら、玲華の手に合わせて動く。玲華の鼻孔を刺激する、独特な紙の匂い。邸内各所の静寂とは異なる類の静謐。開いた扉の隙間から雪崩れ込んだような光が、玲華から見て縦に並んだ書棚を照らす。慣れていない空間に、玲華の幼心は驚嘆の念を禁じ得ない。暫し陶然と眺めていた。それから、はっと我に返ると、当初の目的を兼ねて文庫に侵入した。それを見咎めるように、銀狼は一吠えしたが、玲華は見向きもしない。やれ呆れたと言わんばかりの気配をイヌ科の表情に漂わせ、銀狼は玲華に続いた。玲華は手前側の通路を右端へ駆けて、左端へ駆ける。書棚の間に在ろう人の姿を見付け出すのが目的だった。だが最左端から棚間を見遣って見付けた人物は、玲華の予想外だった。

 そこいらの成人と比べて頭一つ分も大きな背丈は玲華にしてみれば巨人に相違ない。純白の外套を羽織ったその男は、巻子本を掌に開いていた。紙面を見詰める顔貌には、少なくとも玲華を安心させるような要素など無かった。眉根が寄って眉間には二筋の線が生じ、見開かれた眼には脂っぽい前髪が掛かっている。髪は長く手入れをしていないのか、襟首を隠す蓬髪。そんな髪と似た印象を与えるのは無精髭で、少し痩けた頬に薄く生えている。しかし痩けた頬とは雖も、顎は逞しく貧弱な印象は全く与えられない。総評して、野獣のような、けれど獣とも言い切れない、人間的な狡知を予感させる顔付きだった。

 玲華は、冷泉邸内でこのような者を見た事が無かったし、聞いた事も無かった。初めて訪れた文庫という空間内の印象と合わせて、文庫の中に住んでいるのか、或いは閉じ込められているのかとうたぐった程だ。そんな御伽噺風の玲華の発想とは対照に、銀狼の反応はごく自然に現実的だった。それが侵入者であると断じるや否や玲華の前へ進み出、獰悪な表情と唸りを以って威嚇する。

「あ、だめよ、げっこう」

人擦れの無さに由来する警戒から、玲華は銀狼を制止しようとしてしまう。しかし只事ならぬ銀狼の様子に、不明瞭だった不安感が一気に形を帯びてくる。不安をおさな顔ばせに湛えて、書を立ち読む男へ目を向ける。男は本をするすると巻いて、己の懐にしまった。それから玲華と銀狼を見る。鋭い眼光が、玲華を委縮させ、銀狼を吠えさせた。

「良く吠える犬だな」

そう言って、男は口角を上げた。頬の皮肉が皺を作る。

「ご、ごめんなさい」

男の顔を恐ろしく思いながら、玲華は謝罪を口にしてしまう。吃ったのは、思うように舌が回らなかった所為だ。

 男が一歩、前に出る。玲華は二歩、後退る。銀狼は動かない。

「面白そうな犬だな」と男。「陰妖を飼っているのか?」

玲華はうんともすんとも応えられない。

「いや……良く見れば少し違うな。ああ、式神という奴か。え? どうなんだ」

質問を返す事すらままならない玲華にとって、勇気のよすがは果敢に吠え立てる銀狼だった。そしてそれは、銀狼が直接、矢面に立つという事でもある。

「実に喧しい。確か、式神は何度でも作り直せるんだったな?」

「え、えと……」

「悪いが、撫でさせて貰うぞ」

男が銀狼に手を翳す。その掌の中央には口が有った。円口類――具体的にはヤツメウナギ――のような歯の生えた口に成っていた。それを見て「ヒッ」と玲華が息を呑む。恐ろしいうえに訳が分からないのか、訳が分からなくて恐ろしいのか、分からない。

 銀狼は男の手が触れるより早く、身を反転して玲華の股座へ潜り込み、玲華の体を背に撥ね上げる。玲華は咄嗟ながら銀狼にしがみ付く。銀狼は出口へ駆ける。その対応に、男はむしろ笑みを強めた。

 突風に舞い上がる猛禽の羽の如き跳躍は、質量を感じさせない。文庫内の壁を蹴って向きを変え、銀狼を越え、出口を塞ぐ位置に立つ。馬の前掻き然と地面を蹴れば、踵が、止まり切れず擦り抜ける事も叶わなかった銀狼の下顎を襲い、銀狼は吹き飛んで壁に衝突、玲華は床に転がる。

「賢い犬だ」男は言う。「告げ口されては堪らん」

そして純白の外套を翻し身を返し、つかつかと一人と一頭へ歩き迫る。銀狼は体を起こして、倒れる玲華を庇う。

「それにしても腹が減った」

男はそう言うと再度、銀狼へ手を翳す。銀狼は対抗するように口を開けて、男へ飛び掛かった。男の手に銀狼が触れる寸前、銀狼の姿が忽然と消える。それが為に空を掴んだ男は、身と表情を強張らせた。と、次の瞬間――。

 怜乃は男の大腿に目掛けて、脇差を薙いだ。その頭上で、銀狼が男に飛び掛かる。その気配を察知し反応して振り向いたという事実は驚異の能力として賞賛されて然るべきだが、注意を銀狼に振り向けていた男は、牙に腕を与えて致命傷を防いだものの、刃に脚を撫でられ負傷した。

 銀狼は男の腕に咬み付いて離れない。男は銀狼を振り解こうとする。怜乃は銀狼と格闘する男を擦り抜け、玲華の許へ駆け寄った。

「立て、逃げろ」

怜乃は玲華を引っ張り上げる。玲華はくしゃっとした顔で、怜乃を見上げる。今にも泣きそうだが、怜乃はそれを許さずに、「行けッ」と叫んで、玲華の腕を引っ張り自分との立ち位置を交換すると、背中を押した。押された玲華はよろりと前のめりに体勢を崩すも、背後からまた「行けッ」と叱咤され、尻を叩かれたように走り出した。それと同時に怜乃が足を進めて、玲華の背後で男に向けて刃を振るう。男が銀狼と怜乃に気を取られている隙に、玲華は文庫を逃げ出した。

 男は自身の腕の肉と一緒に銀狼を、自身の腕力で引き剥がす、そして怜乃に放り投げる。だが銀狼は放物線を描く事なく、空中で身をくるりと回して、ふわりと怜乃の後方へ着地した。

 男は軽やかに後退して、怜乃とその眷属を眺める。「ふむ」と感心の為、息を漏らした。それから横に位置する扉の隙間からちらりと外を覗く。すかさず扉を閉めた。

「危うく邪魔が入るところだ」

喜色を浮かべる男。どうやら、誰かが駆け付けていたらしかった。

「だが時空間をいじくった。お前たちの流儀で言えば、結界か? これで暫く遊べる」

男の言葉に、怜乃は表情こそ変えないものの、怪訝に思ったらしく、

「お前は陰妖術士か」

と問うた。

「いや違う」と男。「通りすがりの化物だ。……ところで餓鬼、お前の名前は何だ」

「言う必要が有るのか」

怜乃は察していた、目の前の男には勝てないであろうと言う事を。

「俺が知りたいだけだ」

如何に優秀とは言え、怜乃はまだ見習いだ。倒せる陰妖の強さにも限界が有る。

「人に名を尋ねる時は、先ず自分から名乗るのが礼儀だと聞いた覚えが有る。お前は礼儀知らずか。それとも僕を子供と舐めているのか」

だから、少しでも時間を稼いで、救助を待つのが最善策だった。

「良いだろう。俺は穀堂(こくどう)託氏(かこうじ)。さっきも言ったが、通りすがりだ」

「何が通りすがりだ。他人の家に忍び込んで本を漁って……、泥棒じゃないか」

「あ、ばれた?」

託氏は懐に容れた巻子本を取り出して見せる。それを見て、怜乃の目付きが増して剣呑になる。そんな怜乃の様子に、託氏は(こら)えかねるように含み笑う。

「迂闊に感情を表すな。付け込まれるぞ」

「黙れ。何が目的だ」

「まあ待て、何の為に俺が名乗ったのか忘れたのか。ん?」

「泥棒に名乗る名など――」

「なら返そう」

男は巻子本を放った。

「ぁ――」

宙を行く巻子本を、怜乃の目は思わずに注視する。そして瞠目する。託氏が消えていた。

 吽ッ、という呻きは、銀狼のもの。銀狼の方を振り向けば――巻子本が床を転がる――、託氏が銀狼の口吻を握り捕まえて、宙吊りにしていた。

 怜乃は脇差で託氏に斬り付ける。だが、先程とは違い、何度、斬っても、切り傷を付けても、血が繁吹いても、肉片が落ちても、託氏は平然として怯みもしない。ひたすらに学者然とした眼差しを掴んだ銀狼に向けている。

「中々難しそうだな、式神というものは」

独り言のように言う。

「ああ、この外套は出来るだけ汚すな、気に入っているんだ」

託氏は、空いている手で怜乃を突き飛ばした。高速の車に撥ねられでもしたように吹き飛んで転がる怜乃は、壁にぶつかって止まった。その怜乃に向けて、託氏は銀狼を投げ付ける。獣の体に押し潰されて、怜乃は呻きを上げた。

「ふむ、こんな感じか?」

無造作に手を振り翳した託氏の手前に、狼の毛皮に包まれた肉塊のような物が現れる。

「やはり難しいな。となると、やはりお前は大したものだ」

託氏の目に怜乃が映る。

「月晧ッ」

怜乃が叫ぶと、銀狼は牛のような大きさになって、託氏へ襲い掛かった。

「ほう」

託氏は驚嘆して目を瞠り、襲い掛かってきた銀狼の鼻を鷲掴みにして、その攻勢を堰き止めた。

「色々と使い方が有るらしいな。しかしところでだ、一から作るより、お前のこれを借りた方が良さそうだな」

託氏は銀狼から手を離す。銀狼は大人しかった。

「ハハ、どうだ、やったぞ、なあ、素人にしては見事なものだろう」

「巫山戯るな……」怜乃の握力が強まった。「巫山戯るな!」

怜乃は立ち上がろうとして、足元が覚束ない事に気付く。脚が震えていた。

「月晧ッ」

自身を叱咤するように叫んで、怜乃は懐から札を取って放った。札は、陰妖の血で術式が描かれた物だった。しかし、札は、自然の法則に従って床に落ちる。

「失敗らしいな」

託氏が言う。

「今度は俺が試す番だ。――ほら、行け」

託氏は銀狼の横っ面を張った。すると銀狼は怜乃に向いて飛び掛かった。怜乃は抵抗しようと脇差を振り上げたが、銀狼の俊敏さと体格に敵わず、押し倒される。両の前脚で、両の腕を押さえられてしまった。それを為した所以の俊敏と体格とは、正に怜乃の想像し創造したところのものだった。

「さて捕まえてはみたが、どうしようか?」

銀狼はべろべろと、怜乃の顔を舐める。

「腰でも振らせてみようか」

託氏は銀狼の隣に移動する。銀狼はへこへこと腰を振り始めた。

 その時、託氏は微かな声を聞いて、耳を澄ませた。

「――す」

怜乃が何か言っていた。

「絶対にお前を殺す」

託氏は失笑する。

「命ある限り、絶対に殺す」

文庫に託氏の哄笑が響いた。

「そんな涙ぐんだ可愛い顔で言われてもな……。だが面白い。正直、そういうのを期待していた」

託氏は怜乃を見下したまま告げる。

「俺の体は陰妖と一体化している。陰妖を食らい、食らった陰妖の力を得る。俺の目的は、そうやって強くなる事だ。強くなって、更に強くなる為に、強くなる。それが俺だ。だが偶に遊び相手が欲しくなる。自分の強さの程を実感する為にな。お前はそれに具合が良さそうだ」

託氏は一呼吸を置いて、怜乃の反応を見た。そして、暴力の矛先を定め得た人間がするのに似た笑顔を見せた。

「お前が俺を本気で殺そうとする限り、俺はお前を生かしておいてやる。だが、若しお前が俺を殺すのを諦め、それで手を抜いたり、隠れたり、他力に頼ったりすれば、俺はお前を探し出してでも必ず殺す。絶対に覚えておけ」

 さて、と言って、託氏は銀狼にのしかかられた怜乃を放置しつつ、床に転がった巻子本を取りに戻る。そしてそれを拾おうとした手が、横合いから捕まった。

「大陰妖の封印に(まつ)わる書だな。狙いが分かり易い」

「ふむ、お前は誰だ?」

「冷泉萱寺。よくも甥を苛めてくれたな」

「成程」

託氏は怜乃の方を見る。そこに銀狼は居らず、気力の萎えた怜乃が壁に凭れていた。

「思ったより断然、来るのが早かった。お前らは実に好ましい」

「遺言はそれで良いな」

萱寺は下から拳を託氏の顎に叩き込んだ。

 怜乃は、その後の一部始終も見ていた筈だが、あまり憶えていない。結果として、託氏が持ち出そうとした巻子本は守られ、託氏は退散し、玲華にも、怜乃にも、萱寺にも、怪我の一つ残らなかった。強いて言えば、玲華は以降、文庫に近寄り難くなった。それだけが、この時の事件の、唯一と言って良い被害だった。…………。

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