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スズメバチ  作者: 宇原芭
11/21

サテュロス

 一通り語った告春が、口元だけの笑みを玲華に向ける。

「……と、先程の戦闘の反省は、大凡こんなものでしょう」

「そのようですね」

「勝っても負けても、戦闘を顧みる。改善点は訓練で克服し、良かった点は鍛錬で強化する。俺お奨めの修行法です。これを上手くすれば、一年の実戦経験でも、雑な修行をしてきた十年来の戦士を凌駕できます。尤も、この職業を請け負って、修行を怠ったまま十年の実戦を潜り抜けられる人間なんて居やしませんけどね」

「ええ、それはそうでしょうね、きっと」

玲華はくすりと笑った。

 告春はベンチから立ち上がって、玲華に手を差し伸べる。

「さて、そろそろ行きましょう」

「はい」

玲華は微笑して告春の手を取り、ベンチから立った。二人は再び逍遥する。

「次は一緒に戦ってみましょう」

告春はそう言って、玲華の顔色を窺う。玲華は闘志を気色に滲ませていた。

「宜しくお願い致します」

「先に基本的な作戦を設定しておきましょう。玲華さんは何が出来ます?」

「式神の操作だけです」

「それで十二分に優秀ですが、実戦ですからね、備え有れば患い無しという訳で、これを差し上げます」

告春は何も無い掌から、手品のように、一振りの、白鞘の脇差を取った。それを玲華に差し出す。玲華は恐る恐る脇差を受け取った。

「これは?」

「術式を施した脇差です。抜刀すれば、抜刀者の身体能力や剣技を向上させます、対峙した敵を倒せる程度に。差しずめ勝利の剣です」

「それは……」玲華は受け取った脇差を、まじまじ眺めた。「随分と強力な武器なのですね」

「ええ。陰妖術、現実改変とはそういう無茶苦茶なものですよ。敵が敵ですから、あまりそういう気分にはなれませんけど」

「この剣を使えば、敵に負けないのではありませんか」

「相手が現を狂わせなければね。相手だって身体能力くらい幾らでも操作できるでしょうし、技術的な事は合理的な事ですから、自然法則や論理性を超越する力を有する相手には気休めです」

「それではこの武器は……」

「無いより増しの、護身用具です」

「承知しました。有り難く使わせて頂きます」

「それで、作戦ですけど、玲華さんには中衛を頼みます。前衛は式神、後衛は俺です。式神の操作に集中していても、抜刀さえしていれば意識とは関係なく体が自動的に応戦してくれるので安心して下さい。因みに納刀は自分の意思で出来ます」

「はい」

「作戦についてですが、後の細かい事は、機会があればその都度……。何せ敵がどういう特性を持っているか、どれ程の力を有しているか、予測が困難なのでね。咄嗟の判断力が試される訳です。無論、玲華さんの補助には俺が十分に注意を払いますから、玲華さんは思うように戦ってみて下さい」

「良いのですか?」

「ええ。元々俺は援護に向いていますから。そうした方が俺にも都合が良いんです」

 二人がそうこうしていると、気付けば大きな通りに出ている。幹線道路には種々多様の自動車が行き交い、信号機の表示は切り換わり、横断歩道を多数の歩行者が横切る。その脇を一台二台の自転車が過ぎる。

「これは、宜しくない」と告春。

「どうされました」玲華が尋ねる。

「昼というのは、人の認知が明瞭なので、現が安定し易く、陰妖が現れ難いんです。それと、人の大勢、集まる場所も、認知が重なって現が安定し易い。この二つの条件が重なったこの場所で、現が揺らぐ事は滅多に無い。こういう場所に陰妖が現れるとすれば、別地点で発生した陰妖が移動してきたような場合が殆どです。ところが今この場は、どうしてか現が大きく弛んでいる。現の安定するような場所でも強引に現れるような陰妖は、強い力を持っている事が多い。気を付けて下さい。危ないと思ったら、すぐに逃げて」

「これが、この街の、異状なのですね」

「そういう事」

 道路のアスファルトから立ち昇った陽炎のように、街の雑居ビルを背景にした空間が揺らめく。空間で揺籃(ようらん)を迎えたその揺らめきは、漸次(ぜんじ)に大きさを増して、一帯に広がっていく。告春たちは、その揺らめきの内部に取り込まれ、内部の景色を目の当たりにしていた。

 水中のように景色が歪んだ世界で、輪郭がはっきりして見えるのは、玲華にとっては告春だけだった。

「告春さん、これは?」

「さあ。敵がこちらの認識に干渉しているとしか……。周囲の通行人はこの異状を認識できないよう、俺が少し弄ってますが……」

告春の左手に力が籠もる。その手中に出現する弓。

「一先ずは作戦通りに遣りますが、危ないと思ったら躊躇わずに逃げて。後の始末は俺がします」

「はい……!」

玲華は吐きそうになった気炎を堪えて、返事だけをした。足元から這い上って来た緊張感が、言葉を空回りさせてしまうと感じた、踏み締める支えが無ければ、踏み出す足が空転するのは必至なように。そして玲華には、その踏み締め得る支えが無い。培ってきた技術も、繰り返した訓練も、積み重ねた経験も無い。有るのは、怜乃と告春から承認を受けた才気のみ。それを信じて振る舞うには、度胸と、二人への信頼が必須だが、果たして玲華には、それが有った。怜乃には言わずもがな、目の当たりにした告春の精励恪勤が、玲華に尊敬の念を与え、玲華はそれをば足場へと置換した。

 玲華は札を放る。ひらひらと舞う札が地面に落ちるより早く、道路に立つ一匹の白狼が現れていた。

「皎牙、備えなさい」

白狼が(たけ)る。玲華は抜刀する。弛み続ける視界に、玲華は自身の正気を疑わしく思う。周囲を歩いている筈の人々の姿さえ、判然としない。次第に、踏み締める地面の感触さえふやけて、あやふやなものへ変わっていく。

「大丈夫、落ち着いて」

後ろから告春の声がする。

「まだ景色が歪んでいるだけです。戦う意志さえ強く保てば、この景色に心まで溶かされはしない」

「はい」

気持ち新たに、玲華が脇差の柄を握り締める。すると、その決意を打ち拉がんとばかりに、景色が渦を巻き出して、その中心部から垂れ落ちた、肌色の液体。それは地面に広がる事なく、その場で盛り上がり、異様な姿を形成していく。細長い腕と脚は、それぞれ六尺ほどの長さを持ち、丸太のような胴体に繋がっている。ぐらぐらと据わらない首には、数多の人面を張り付けたような巨大な球体が接続されている。人面の口からは、電車が急制動を掛けたような、金属の擦れ合う甲高い音が鳴り響いた。

「皎牙ッ!」

 玲華は絶叫する。白狼は玲華の合図で走り出した。一直線に陰妖へ迫り、飛び掛かる。だが、陰妖は白狼を、ひょい、と躱した。白狼はすかさず身を反転して再び飛び掛かるが、これまた陰妖は身軽に避ける。その遣り取りが幾度も繰り返されて、陰妖はさながら踊り狂っているようだった。

 焦れた玲華が駆け出す。喊声(かんせい)は凜々しく、端正な顔も今は鬼気迫る。

 玲華が陰妖のはたに到り、振り下ろす刃はその血を欲するが、空を切る。くねくねと踊る陰妖は、実体を持たないかのような変幻自在の操躯で、攻撃を逃れる。

 玲華の背後から、散弾のように一斉に、幾本もの矢が同時に陰妖を襲う。しかしそれすら、陰妖は曲芸染みた、しかし正常な物理法則を無視した奇怪な動きで避けて見せる。関節が無数にあるかのような、出鱈目な動き。

 玲華たちの攻撃に間隙(かんげき)が生じると、陰妖は、ぼやけた姿の通行人を、ひょい、ひょい、と避けるような抜き足差し足で、玲華から離れていく。

「皎牙ッ」

白狼がそれを追うも、陰妖に掠りもしない。

「不味いな」いつの間にやら玲華の側に立つ告春。「周囲の現が弛み続けています」

「すると、どうなります」

「このまま現が弛めば、周囲の人間の想念が現実に強い影響を及ぼして、俺たちを含めた辺りの人は、個を維持できなくなります。現実と想像の垣根が消える、肉体と空想の境界が無くなる、といった感じです」

「早く倒さないと……」

玲華の顔に表れる焦燥。それに呼応して、白狼の動きが激しくなるが、攻撃の当たらない事実に変化は無い。

「何か手はありませんか」と玲華。

「こうも攻撃が当たらないのには、それなりの理由が有る筈です。現実改変は何でも有りですが、その方法や運用に人の想念が関わっている以上、癖も有れば、時には法則だって存在します。そこを突ければ……」

「攻撃が当たらない理由……、例えば、特定の攻撃が当たらないよう現を狂わせているとか?」

「有り得ます。そうした場合、相手の妖力、現実を改変する力を上回る力で、相手の現実を書き換えてしまえば倒せるでしょうが、危険な方法です、現を更に弛ませるから。現状では使用できませんね」

「奇襲を仕掛けるのはどうでしょう」

「無意味です。陰妖を負傷させるには、負傷したという認識を陰妖が持たなくてはならない。不意を突く遣り方は、陰妖が負傷したという事実を認識し難い」

「では、では……」玲華は必死で考える。僅かばかりの陰妖の知識を掻き集め、自然法から得られる一般知識を組み合わす。

「二次元的な、いえ、三次元的な攻撃を仕掛けて、避ける余地を潰してはどうでしょう」

「その心は?」

「奴は攻撃を避ける事に特化しています。無効化する事にではありません。そして、奴の動きは自然法では有り得ませんが、奴の周囲に関しては概ね自然法に従っています。即ち、奴の能力は奴自身だけを対象としている。であれば、状況的に避けられなくしてしまえば、攻撃の当たる可能性が高い。例えば密室に詰めて圧し潰すとか」

「成程、良い案です。試す価値が有る」

告春は弓矢を構える。

「しかし現の弛みからして、機会は一度きりです。失敗しても恨まないで下さいね」

「承知です」

「術を構築する間、もう少し式神で足止めをしておいて下さい」

「はい」

 周辺の景観は、水に滴った絵具のように安定を欠いている。それでも、周囲の人間の情緒に影響が及ばないのは、告春の術に依った。しかしそれも限界に近い。次で仕留められなければ、先に告春が危惧した通りの阿鼻叫喚が現出するだろう。

 告春のこめかみを汗が伝う。彼の視線の先には、陰妖が狼と戯れるように踊っている。踊り狂っている。その宴を台無しにする為に、告春が番えた矢から指を離した。狼藉の矢は陰妖へと襲い掛かる。陰妖はくねりと身を(よじ)って躱そうとするが、矢は陰妖との距離を潰しきる前に、消え失せた。それは例えば、水面に向けて放った矢が水底の暗闇に消え入るように。かと思えば次の瞬間、陰妖の四方八方を埋め尽くす大量の矢が現れる。陰妖を囲み尽くして半球状を呈した矢の壁は、そのまま瞬く間に縮み、陰妖を針の山に変えた。

「当たった!」

告春がその様を見て言葉を漏らす。その言葉を掻き消すように、陰妖の数多ある口から割れ響く奇怪な悲鳴。陰妖は這う這うの体で逃げ出した。

「仕留めていません、もう一度……!」

玲華は言うが、告春は顔を顰める。

「これ以上は、現が……」

万事休す二人は、茫然と陰妖の遁走を眺めるしかない。

 そしてその声は、不意に掛けられた。

「上出来だ」

「えっ――」

振り向いた玲華に、怜乃は買い物の詰まったレジ袋を差し与える。膨らんだレジ袋からは、長ネギがひょっこりと頭を覗かせている。

「え、あの、これは……」

「夕飯の材料だ。落とすな」

怜乃は戸惑う玲華を気にせず、告春より前へ歩み出る。告春は何か喋ろうと口をもごもごと動かしたが、結局なにも言えず、立ち止まった怜乃の背中を見詰めた。怜乃の背には、肩に掛けられて三尺の細長い布の袋が在る。その中身を、怜乃は取り出す。聖銀製の濶剣。それを、上空へ向けて放り投げた。くるくると空を舞う剣は、放物線を描いて、逃走中の陰妖の背に突き刺さる。すると自重を支えられずに、陰妖が膝を折り地面に突っ伏した。次いで、怜乃は腰帯の拳銃を引き抜くと、陰妖へ向けて引き金を引く。銃口から雷霆(らいてい)が迸り、陰妖に直撃、消し炭に変え、後には怜乃の剣だけが残った。

 拳銃を納めて怜乃が歩き出したので、告春と玲華は慌てて後を追う。怜乃は落ちた剣を拾い上げて袋に納めた。それから玲華に渡したレジ袋を取り上げる。玲華は、ふと気付いて周囲を見回す。辺りの景観は元通り、平常の、人の行き交う交差点となっていた。

「その……」告春が口を開く。「すみません」頭を下げた。

「貴方が居なければ、終わっていました。玲華さんを指導する立場であったのに、危険に晒してしまいました。それと、助けて下さって有り難う御座います。」

「元々頼んでいない事に責任を感じられても仕様が無い。玲華を放置したのは僕だしな」

「放置したんですか?」と玲華。

怜乃は玲華を無視する。

「それに、周囲の現実度が下がったのは、妹の術の扱いが下手だった事にも一因が有る。妹が居なければ、もう一発くらいは術を放って、あの陰妖を倒していただろう」

「いえ、対処法を思い付いたのは玲華さんですから、居なければ居ないで、どうなっていたか……」

「謙虚だな。結構な事だ」

怜乃はレジ袋に手を突っ込んで、飲料の缶を取り出す。それを告春に手渡す。

「妹の面倒を見てくれている駄賃代わりだ」

「コーラですか、どうも」

「それじゃあ、僕は行く――」怜乃は玲華を見る。「日暮れには帰って来い」

「フン」

玲華は外方を向いた。気にせず、怜乃は立ち去った。

 告春と玲華から離れて、建物の角を曲がってすぐの所で、立ち止まる怜乃。建物の陰で、思案気に怜乃を見詰める太山と目が合う。

家電いえでんに掛けたんだけどな?」と太山。

「気にするなと言った」と怜乃。

「まさか本当に通じるとはなぁ。現実改変ってのは便利なもんだよ」

「それより、連絡をくれて感謝する。これは礼だ」

怜乃が渡すのは、緑色の液体が入ったペットボトル。

「緑茶か」

茶カテキン2倍。

「では僕は行く。また何かあれば気軽に連絡してくれ」

「まあ、連絡するのは構わないんだけどな、本当に必要なのか? その連絡。あんたなら実は千里眼みたいなのでどうにかなるんじゃないのか」

「確かに連絡は必要ではない。ただそうして欲しいだけだ」

「何で」

「穀堂託氏は、巧妙に隠れる。僕の目だけでは、見付けられないかも知れない」

「ふーん」

太山は、ペットボトルを開栓する。

「ま、取り敢えず分かったよ」

「では行く。いいな」

「ああ、じゃあな」

太山は、緑茶を喉に滑らせながら、怜乃の背を見送った。

 怜乃は独り人波に乗って歩く。無感情な瞳は、前を往く人の背を無意味に捉えている。漠然と世界を眺めていた目が、視界の端に白い物を映す。その時、記憶を惹起(じゃっき)された怜乃は、反射的に、その白い対象を追って、広い車道を挟んで向かい側の歩道に目を遣った。

 怜乃とは反対方向へ流れる人波の中に、白い人影が在る。周囲の人より、頭一つ抜きん出た壮健な体格が、純白の外套を羽織っている。その横顔は、外套に付いたフードを被っている為に、鼻先しか看取できない。

 怜乃は立ち止まった。後ろを歩く人が、迷惑そうに怜乃を避ける。怜乃は、かの男を見続けている。男は、横断歩道の信号待ちで立ち止まる。偶然か、気配に気付いたのか、彼は怜乃の方を見た。

 大きめのトラックが横切って、怜乃の視線を断ち切る。視界が明くと、向かい側の道では、横断歩道の信号が青になって、人々が歩き始めている。だがそこに、先程の男は居なかった。

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