3話:復活、町の名物温泉・2
『ご馳走さまでした』
「ごちそうさまでしたー」
ぜんざいを食べ終わると、ライアスはお代を払って店から出た。一杯で三〇文(一文は約三〇円)するが、それだけの価値はあったな、とライアスは思う。
『あぁ……、美味しかったですわね……、ライアス』
「そうだね」
『やはり甘いものは良いですわ。心が穏やかになります』
「それはなにより」
あれほどうるさかったウルスラ(略してうるさスラ)が、これほど大人しくなったのだ。
ぜんざい一杯で三〇文は決して安くはないが、カッとなったウルスラを宥めるための労力を考えれば、十分お釣りがくる。
今後この神様へのお供えものは、全部甘いものでいこう。
ライアスは人知れずそう決めた。
「和三盆とか、日持ちもするしちょうど良いかな」
『なんの話ですの?』
「いや、こっちの話だよ」
『?』
「それより神様、宿に戻る前にもう一ヵ所行っていい?」
『それは構いませんが、……どちらに?』
ライアスは、服の裾の汚れを手ではたきながら、行き先を告げた。
「温泉だよ」
『温泉? そんなものもあるのですか?』
「そう、この町の売りのひとつ。近くの山から湧き出てくるお湯をここまで引っ張ってきて、大きな湯船で楽しめる湯屋があるんだ」
すたすたと歩きながら、ライアスは肩をぐりぐりと回す。
「昨日せっかく水浴びしたのに汗かいて汚れちゃったし、必死に逃げたから身体中疲れてくたくただし、これはもう、温泉に入るしかないじゃないか」
『まぁ、一理あると言えば一理ありますし、私のお金ではないので好きに使えばいいと思いますが』
ウルスラとしても、さきほど人の金で甘いものを食べたばかりなので、止めるつもりもない。
『明日以降の宿代は大丈夫なのですか?』
「大丈夫だと思うよ。入浴料はそんなに高くなかったはずだから」
『では、ゆっくり浸かってくださいな』
「そうする。あ、手拭い取ってくれない?」
『どうぞ』
「ありがと」
ライアスの向かう湯屋は、わりとすぐ近くにあった。
本当に町中までお湯を引っ張ってきているらしく、湯屋の建物の高いところに通っている管が、山まで長く伸びている。
高低差をうまく利用して源泉からお湯を流してきているようで、湯船に届く頃には適温(摂氏五〇度)まで冷めるようになっているのだとか。
そんな湯屋の玄関戸に、小さな木札が掛かっている。
意気揚々と湯屋にやってきたライアスは、木札に書かれた言葉を読んで目を丸くした。
「えっ、なんで……?」
『……臨時休業、と書いてますわね』
そんなバカな、とライアスは玄関戸を叩く。
中から出てきたオバちゃんに理由を聞くと、オバちゃんも困ったように話してくれた。
「実は、昨日の昼頃から、流れてくるお湯が濁っちゃったのよ」
「お湯が濁る?」
「そうなの。しかもだんだん濁り方が酷くなってきて、さすがにそんなお湯にお客さんを入れるのは良くないからって、今日は朝から臨時休業よ」
やんなっちゃうわ、とオバちゃんはため息をつく。
「原因は分かってるの?」
「ぜーんぜん。大雨の後とかだと泥が流れ込んできて濁ることもあるけど、最近はそんなこともなかったのに。ま、しばらく待っても元に戻らないなら神主様が見にいってくれるらしいから、そんなに慌てる話でもないんだけどね」
「今日明日では元に戻りそうにないかな?」
「そうねぇ、難しいんじゃないかしら」
そういうわけだから、と言い残してオバちゃんは建物内に入っていく。
ライアスはがっくりと肩を落とした。
「はぁ、残念だな……」
『どうするおつもりですの?』
「仕方ないから宿に帰るよ。寝る前に裏の井戸でも借りれば水浴びはできるし」
せっかく来たのになー、とライアスが言うのを聞いて、ウルスラは自分の手元をちらりと見た。
そして、コホンとひとつ咳払いをすると。
『ライアス、ライアス』
「なにかな、神様」
『温泉、入りたいですか?』
「……入りたいけど、入れないでしょ?」
そう言われたウルスラは、意味ありげに「ふふふ、」と笑った。
『ライアス、私がなんの神様か、思い出してみてくださいな』
「……? …………ああ、」
『え、今の間はなんですか、今の間は』
「いや、うん、覚えてるよ。ちゃんと覚えてる。大丈夫」
『待ってください、今の間は本気で忘れてたときの間じゃないんですか!? ちょっと!』
「大丈夫だってば! 浄神でしょ! 覚えてるって!」
内心では、すぐに思い出せてよかった、とライアスは思っている。
ウルスラはしばらく怪しんでいたが、やがて気を取り直して話を続けた。
『……そうです、私は浄神です。汚れたものをキレイにすることにかけては、そんじょそこらの者には負けません。どんなモノだってぴっかぴかにしてみせます。たとえそれが、湧き出る温泉であろうとも、ですわ。……そして、』
ここぞとばかりにウルスラは、大見得を切ってライアスに告げる。
『ついに、ついに、出来上がりました! 私の力を使うための依り代が、とうとう完成したのです!』
これにはライアスも喜んだ。
「おお、ついに!」
『これでようやく、貴方にお貸しした力を使っていただくことができますわ! これさえあれば、温泉の水質汚濁なんてたちどころに解決することでしょう!』
「おおー!」
ウルスラのテンションが高い(一仕事終わった達成感によるものだ)ので、それにつられてライアスも騒ぐ。
近くを通る町の住民が、一人で騒ぐ若い男をいぶかしげな目で見ていた。
『と、いうわけで。さぁ行きましょう、山の中へ! あの管をたどっていけば、源泉までたどり着くハズですわ!』
そんな神様の言葉に従って、とりあえず山へ向かうライアス。
ライアスとしても、ウルスラから借りている力をようやく使えるのだという期待があったし、なにより温泉に入りたかったので、そうした。
で、なんだかんだで源泉まで来たのだが。
「お、思ったより遠かった……!」
『意外と時間が掛かりましたね』
ライアスは膝に両手をついてぜいぜいと息を荒げている。
「よ、よくよく考えたら、管に沿って道があるわけじゃないから、崖とか迂回しなきゃダメだよね……! 全然考えてなかった!」
『私も、貴方がむりやり登ろうとした崖から落ちたときは、肝が冷えましたわ』
しかも手を滑らせて頭から落ちているので、当たりどころが悪ければ危なかった。
ライアスは地面に打ち付けたところを手で触ってみて、コブになってないか確かめる。
「うう、膨らんではないけど痛いなぁ……」
『まぁでも、それくらいの怪我なら大丈夫でしょう。温泉に入ったら治りますって』
「その適当な励まし、あんまり嬉しくない……」
頭を擦りながら、目の前の源泉に目を向ける。
熱い湯が岩肌の割れ目から湧き出し、その下の窪みに溜まっていた。窪みの、湧き出し口の反対側のところには、窪みから流れ出る湯を集めるための漏斗状の部品が取り付けられていて、そこから湯屋まで配水管が伸びている。
窪みの中に溜まっている湯を確かめると、もうもうと湯気が立っていて見づらいが、確かに濁っているように見える。湧き出し口から出てきている分についても同様だ。
「大元から、濁って出てきてるってこと?」
『そのようですね。これは、ますます私の出番ですわ』
ウルスラは自信満々に言う。そして出来上がった依り代を手に取ると、ライアスに手を出すように言った。
「お、ついにだね」
『御守袋を通じて依り代をお渡ししますので、落とさないようにしてください』
ぽん、とウルスラから手渡されたものは――。