7話:退魔師の流儀・5
ぎゅっと固く。両手に力を込める。
ベガが拳を握ったとたん、場の空気が重くなったような気がした。ライアスは首筋のあたりがちりちりするように感じ、警戒心を強める。
「……今度はもっと痛いわよ?」
ぼそりとベガが呟き、たんっと踏み込む。
少し外を通る回し打ち。思ったよりも速くないそれを、ライアスは箒を使わず腕で受けた。
「――――っ!?」
次の瞬間、ライアスは吹き飛ばされていた。
一瞬視界が白く飛ぶほどの衝撃で、気付けば部屋の壁に叩き付けられていた。
ぶ厚い土壁にはヒビが入り、ライアスは肺の中の空気が全部漏れ出してしまう。
なんなのだ、この威力は。
『ライアスっ!?』
ウルスラの焦った声が聞こえたが、それどころではない。
目の前で打ち上げ花火が爆発したみたいだった。
殴られた腕には拳のあとがくっきりとついていて、じんじんと骨までしびれてしまっている。
そこに、ベガの二発目が来る。
ライアスの防御の上からさらに拳を叩き込んだ。
「ぐえっ……!?」
ライアスの身体が土壁にめり込む。身動きの取れないライアスに、防御など関係ないとばかりに三発目が打ち込まれた。
とうとうライアスは土壁を突き破り、廊下に転がり出る。
太い柱にぶつかって止まり、ライアスはゲホゲホとむせこんだ。
ひたすら重く、そして硬い拳である。ものすごい力で握り込まれているのか、人の拳とは思えない威力だ。
「痛っっ……たいなぁ……!」
殴られた腕を振りながらライアスは立ち上がる。
突き破った壁の向こうから、ベガの声が聞こえてきた。
「痛いわよ。ワタシが殴ったんだもの」
ライアスが突き抜けた穴にベガの両手が伸びる。
穴の縁を掴むと、めりめりと押し広げてその間を通ってきた。
『……分厚い土壁を障子紙みたいに……!』
「とんでもないね……」
そんな簡単に壊れるような壁ではないはずなのだが、ベガの手にかかればあってないようなもののようだ。
突き破った壁を抜けて、ベガも廊下に出てきた。
「このぐらいじゃまだ平気ないんでしょう? 知ってるわ」
ベガが拳を握り直したのを見て、ライアスも箒を構える。
あの拳をまともに受けるのはダメだ。間合いを開けて、うまく受け流すか躱すかしなければ。
「じゃあこれはどう? ……鎌鼬」
ベガは大量の鎌鼬をライアスの上方に放った。
朽ちてボロボロになった廊下の梁や天井をめちゃくちゃに切り刻む。
「げっ!?」
切り刻まれた壁や天井がガレキとなって降ってきた。
それと同時にベガが突っ込んでくる。
『上と同時に……! ライアス! 前を!』
ガレキに気を取られている場合ではない。
ベガの拳も眼前に迫っている。
「うおおおぉぉおおおおっ!?」
降ってくるガレキを無視してベガの拳に応じる。
両手で持った箒を回して受けるが、一発受けるたびに弾かれて手がしびれていく。
なんとか受け流そうとしても、ガレキが邪魔でうまくできない。
さらに。
「拳槌打」
少し間合いが開いたとたん、ベガは足元に拳を叩き付けた。
廊下の床板に亀裂が走り陥没する。ライアスの足場が不安定になる。
踏ん張りが効かない状態だ。これはまずい。
「ふっ!」
左の掬い打ち。下から真上に突き上げる角度でベガの拳が飛んでくる。防御はできたが、ライアスの身体がふわりと宙に浮いた。
そこに右ストレートが深々と刺さる。炸裂音とともにライアスは再び吹き飛ばされ、廊下の板壁を突き破って中庭に転がり出た。
ゴロゴロと転がって、中庭の真ん中あたりで止まった。
「これは、ほんとに、とんでもないね……!」
口に入った砂を吐き捨てて、ライアスがうめく。
強いとは知っていたが、ここまで無茶苦茶な強さとは。
『ライアス、立てますか……?』
ウルスラの声に頷きながらライアスはなんとか立ち上がる。
いつまでも寝転んでいたら何が飛んでくるか分からない。
「……あー、どうにか」
『ベガのやつ、明らかに前戦った時より強くなってませんか?』
「前はほんとに手を抜かれてたんだろーね。それにしても、これは……」
その気になれば、このキタノ天満宮そのものを更地にできそうだ。「凶獣」などという仰々しい二つ名が付けられるのも納得である。
「どうしようね、神様」
『……まだ戦うつもりですか?』
「戦うよ。お互いのためにも」
『けどもう、いっぱいいっぱいなのでは?』
「それはそうなんだよね。だから――」
そんな話をしていると、ベガも中庭に出てきた。
ゆっくりとライアスに近付いてくる。
「まだ平気そうね? 次はどうされたい?」
少し間合いを開けたところで立ち止まると、そのように聞いてきた。
ライアスとしては、できればこのあたりで勘弁してもらいたいところだが。
「次は、そうだね……。謝りたいかな」
「……謝る?」
「うん。ベガさん、俺がベガさんの強さをナメてるって言ったでしょ。……さっき分かった。言うとおり、俺はベガさんの強さをナメてたみたいだ。本気のベガさん相手に、うまくしのいでこの場を収めようって、ぬるい考えをしてしまっていた。それなりに相手をして満足させて、落ち着いてもらおうとか思っていた。……そんなんじゃあ、ベガさんは止まらない。お互いなあなあなところで終わらせようって魂胆じゃあ、ベガさんを止められないって分かった。……だから」
「だから?」
ライアスは箒を両手で握り、穂先を自分の身体に押し付けた。
「俺も、ベガさんのことを戦闘不能にするつもりで戦うよ。ボッコボコにしてやる」
そう言うと、大きく、大きく息を吸い込んだ。
そこへウルスラが宣言する。
『玉水、流油、そして浄焚!』
すると、ライアスの全身を炎が包み込んだ。
手にした箒以外、全身火だるま。大炎上を始めたのである。
「……なんの真似かしら?」
ベガは、ライアスの様子をじっと見る。
焼身自殺をするつもりもないだろうが、それならあれは何が目的だ。
『箒星!』
そうしていると、今度は箒の穂が青い光に包まれていく。ベガはその光に見覚えがあった。以前戦ったときにライアスが飛ばしてきた光線と同じ色だ。
今回はそれを箒の穂に纏わせているようだ。
穂の光が満ちたところで、ライアスが仕掛けた。
身体を包む炎が激しくなり、そして。
「っ!」
瞬く間に火力を高めると、ベガに向かって炎が伸びた。龍の息吹にも似たそれをベガは躱すが、躱した先にライアスが回り込んでいた。
先程よりも身のこなしがいい。動きが速くなっている。
青い光を纏わせた箒でベガを殴り付けた。ベガは躱し切れずに防御する。
「ちっ……!」
ライアスもベガの防御ごとぶん殴り、ベガを弾き飛ばす。
そこに追撃で火炎を叩き込むと、炎の中を突っ込んでライアスはさらに殴りかかった。ベガの横っ腹を思いっきり殴り抜く。ミシミシと、ベガのアバラがきしむ音がした。
『クリーンヒット!』
ウルスラが思わずガッツポーズした。
今のはなかなか良い当たりだった。
ベガは、防御した腕とアバラの骨が折れていることも気にせず考える。これぐらいならすぐに治るからだ。
「……纏った炎の熱で身体能力を上げているのかしら……?」
炎を浴びて分かったが、この炎、それほど熱くない。
直接焼くというよりは、けん制や目眩ましの意味合いのほうが強そうだし、ライアス自身を燃やしているということのほうが重要なのだろう。
ただ、だからといってうかつに浴びても大丈夫というわけではない。炎の動きを操れるのであれば、熱の強さも調節できるかもしれない。警戒は必要だ。
「なんにせよ……。少し楽しくなってきたわ」
ベガはギラギラと目を輝かせて、ライアスに向かって構える。
「どれだけ保つのか知らないけど、足掻くのなら最後まで叩き潰すわ」
『来ますよ、ライアス――!』
そこから、およそ三分間。
ライアスとベガはひたすら殴り合いを続けた。
ライアスは生来の頑丈さで耐え、ベガは人間離れした再生力で戦闘を継続した。攻撃力はほぼ互角か。
では、どちらが不利かといえば、それはライアスのほうだ。
ライアスは、全身を浄焚の炎で包むことで肉体を活性化させているが、その間は呼吸ができない。
現時点でのライアスが、無呼吸で全力運動できるのはおよそ三分間ほどだ。
それを過ぎると、呼吸のために炎を消さなくてはならないし、半ば酸欠のような状態になってしばらく動けなくなる。
ライアスとしては、なんとかそれまでにベガを叩きのめしてしまいたかったのだが。
「ウフフフフ……アハハハハハハハ!」
長引くほどにベガの調子が上がってきて、倒しきれなくなってしまっていた。
そして、ついに。
「…………っ! ぶはっ!! ゴホッゴホッ!!」
『ライアス!?』
ライアスの我慢が限界を迎えた。
息が続かなくなり、炎が消えてしまう。
それでもライアスは、なんとかもう一度呼吸を整えて炎を纏おうとするが。
「――させないわよ」
「っ!!」
ベガがライアスを殴り倒し、マウントをとろうとする。
「箒星!!」
ライアスが至近距離から箒星を打ち出すが、ベガはギリギリでそれを躱すと、ライアスの箒を弾き飛ばした。
ライアスの上に馬乗りになって、本気で指先を固めた貫手をライアスの心臓目掛けて降り下ろす。ライアスの防御は間に合わない。
『ぐっ……!?』
ウルスラはとっさに御守袋を動かして、ベガの貫手を受け止めた。伝わってくる痛みに、ウルスラが苦悶の声を出した。
「神様……!」
「御守は封じたわ。……これで!」
もう一方。ベガは右手の指先を固めた。
「終わりよ!」
「!」
ライアスのノドを目掛けて、貫手を降り下ろした。




