7話:退魔師の流儀・3
「神様ー! ちょっとこっち来て!」
夢の世界に入るなり、ライアスは叫ぶ。
少し遅れて夢の中に降りてきたウルスラが、何事かと聞き返した。
「なんですかライアス、大きな声を出して。それと、ここではちゃんとウルスラと呼んでくださいまし」
「ごめんねウルスラ! それで、お願いしたいことがあるんだけど」
「なんでしょう? なんとなく、予想は付きますが」
ライアスはパンと両手を合わせて頭を下げた。
「新しい技を覚えたいんだけど、なんとかならないかな?」
「具体的には、どのような」
「鬼になった人を元に戻す技。あるいは、鬼になりそうな人を助けるための技」
やっぱりか、とウルスラは思う。
今朝のことと、先程のイナバとのやり取りで思うところがあったのだろう。
ウルスラは少し考え込んでから答えた。
「……結論から申しますと、覚えられますよ」
「ほんとに!? どうすればいい?」
「えっと……」
あまりにライアスが食いついてくるので、少し冗談も言ってみる。
「まず、私に熱烈なキスをしてください。……なんて、」
「分かった!」
とたんにライアスに肩を掴まれて、あっという間にキスをされた。なんちゃって、と言う暇もなかった。
ウルスラは目を白黒させる。さらにライアスが何度も唇を重ねてくるので、しまいにはちょっと足腰が立たなくなってきた。
「こんな感じでいい?」
「は、はい……。オッケーです」
終わるのがもう少し遅かったらへたり込んでいただろう。ウルスラは危なかった、と思った。
「次は何をしたらいい?」
今さら冗談でしたと言える流れではなかったので、もうこれはこれで必要なことだったことにした。ライアスのお願いを聞くご褒美のようなものである。
ウルスラは技の習得についての話をする。
「徳点を消費して、ホウキに新しい特殊技能を登録します。本来であればそのホウキの特殊技能は作った時に設定したものしか覚えられないので、徳点で枠を増やすんです」
「ほうほう、徳点。そんな風にも使えるんだね」
ウルスラが勝手に使ってばかりなので忘れがちだが、徳点の本来の使いみちはむしろこういう時である。ライアスが特別な何かを必要としたときに、それを手に入れるための制度なのだ。
決して、ウルスラが遊びに来るためだけの回数券ではない。
「はい。それから、枠を増やしたら特殊技能の詳細を設定するんですが……。今のライアスの等級で先ほど言ったような技を使えるようにするためには、ちょっと色々制約が付くかもしれません」
「制約?」
「使用するための条件です。ホウキを振るとかホウキで触れるとか、そんな感じのものですね。今回の場合は内容が内容ですので、もっと難しい条件をいくつか付ける必要があります。回数制限とか、対象の限定化とか」
「あー、そのあたりの細かいところはウルスラに任せたいかな……」
あんまり細かいことを言われても、ライアスには良し悪しが分からない。普段使っている道具でも、使うだけなら仕組みまで理解しておく必要はないのだ。
「ひとまずは仮の効力を与えて特殊技能を作成します。その後で、実際に使ってみながら効力と制約の釣り合いを取るようにしましょう。最後に名前を付けて完成ですね」
「ふむふむ」
「それに加えて、……もう少しライアスの等級を上げましょう。等級が上がれば渡した力の出力も増えますので、制約を減らせるかもしれません」
「分かった」
というわけで、ひとまずやることが決まった。
経験点を貯めて等級を上げつつ、新技(仮)の試用を行っていく。
「……まぁ、誰の為かはあえて聞きませんけど。鬼になったものを元に戻すのはこの世界の理に反する部分がありますので、そういう使い方に関しては制約が大きくなりますね」
とはウルスラの言葉だ。
ライアスは、「悲しむ人は少ないほうがいいから」とだけ返した。
それからしばらくライアスは、今までよりさらに精力的に妖魔退治と瘴気の浄化を行い経験点を貯めていった。
また、それに平行してベガ以外の退魔師たちにも会いに行くようにし始めた。妖術を使う退魔師たち相手に新技(仮)を使ってみて、技の効きを確かめてみるのだ。
ちなみに何の制約も付けずに使ってみたところ煤祓と同程度の効果しかないことが分かったので、いかに制約を増やして効力を高めるかが問題となった。
あまり制約が緩すぎても望む効果が得られないが、厳しすぎるといざというときに使えないことも考えられる。
何人かの退魔師にお願いして試させてもらったうえで、ウルスラとライアスは新技(仮)の性能調整を行っていった。
そんなこんなとしながらしばらく過ごしたある日、またもやベガから呼び出しがあった。
なにやら神妙な顔付きをしたイナバが、ライアスの泊まっている宿に来たのだ。
「ライアスさん、ベガ先生がお呼びですので一緒に来ていただけませんか?」
ライアスは二つ返事で了承した。
ちょうどライアスもベガに会いたいと思っていたところだ。
案内します、と言ってとことこ歩くイナバに付いていく。
「どこに向かってるの?」
「天満宮です。キタノ天満宮で、眠りについていた土蜘蛛が目覚めそうになっているという話が届きまして」
「……土蜘蛛? ほんとに?」
『蜘蛛の妖魔ですか?』
ライアスは思わず眉をしかめながら頷く。
土蜘蛛といえばその昔、キョウの都を襲って何人もの人を喰ったと言われる伝説の妖魔である。
身の丈十尺(約三メートル)近い大蜘蛛で、当時の退魔師や巫女たちが大勢で挑みなんとか封印したと言われている、イシヅチ山のホウキ坊にも引けを取らない大妖魔だ。
「それ、目覚めたらとんでもないことになるんじゃないかな……?」
「はい。なので、ベガ先生のところに依頼が来ました。現状を確認に行ってほしいと」
「ベガさん、もう先に行ってるの?」
「行ってます。他の退魔師には足手まといだから来るなと言って、お一人で」
『相変わらず、傲岸不遜ですわね』
ウルスラは不機嫌そうに言った。ベガのことをあまり好きではないので、いちいち言葉の端々にトゲがある。
『それに、それならライアスも呼ばなければいいですのに』
「んー、イナバ君。どうしてベガさんは俺を呼んだんだろうね? 他の退魔師さんたちには来るなって言ったんでしょ?」
「さぁ……、どうしてでしょう? 僕も一緒に天満宮に行っていたら、とちゅうで突然ライアスさんを呼んでくるように言われて……」
イナバもベガの真意が分からず、困惑している様子だ。
「まぁ、俺もベガさんに用があったからいいんだけど。それに、さすがのベガさんでも土蜘蛛が出るかもしれないところにひとりで行かせるのは危ないもんね。もし何かあったら、俺も力を貸せると思うし」
「はい、もしかしたらお力を借りることになるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
任せてよ、とライアスは頷く。
さて、そうこうしていると目的地に着いた。
キタノ天満宮だ。天満宮と言っても、すでに神様や神主たちなどはいない。土蜘蛛を封印した際に打ち捨てられて以来、漏れ出す瘴気などの影響もあって人が寄り付かなくなっていた。
ライアスは、朽ちかけた木製の門をくぐり敷地内に入る。
とたんにどよんと濁った、瘴気混じりのカビた臭いを感じた。
敷地の奥には昔の社があり、イナバがいうには社の一番奥に土蜘蛛を封じた石像があるらしい。
『……非常に濃い瘴気の気配を感じます。これが土蜘蛛の気配だとすれば、っ……! ライアス!』
「むっ!」
ウルスラがライアスの名前を呼ぶと同時に、社の中から何かが崩れる音がした。何かが暴れているようだ。
『気配が動いています! これは……!』
「ベガさん!」
「あ、ライアスさん!」
ライアスが駆け出した。箒を片手に社に向かって一直線に突っ込む。一瞬遅れてイナバも駆け出し、ライアスに続く。
『完全に目覚めて暴れていますね……!』
「これたぶんベガさんが戦ってるんだよね!? 急がなきゃ!」
ベガの手助けをしようと、ライアスは全力で走っている。穴の空いた廊下を抜けて、社の一番奥の部屋へ。
そこへ近付くにつれ、物が崩れたり壊れたりする音が大きくなる。化け物じみた鳴き声のようなものも聞こえてきている。
「ベガさん!」
蜘蛛って鳴くんだっけ、というどうでもいい考えを振り払いライアスは最奥、部屋の前にたどり着いた。
ライアスの足元に、何かが飛んできた。
「……は?」
それは、ライアスの身長ほどもある蜘蛛の脚だった。
根元から切り飛ばされ、そこに飛んできたようだった。
『なんですか、これは……!?』
ウルスラが絶句する。
部屋の中には、むちゃくちゃに壊れて落ちてきた天井と、折れた柱。大量に垂れ下がった蜘蛛の糸と、……すべての脚をもがれてけいれんする大蜘蛛がいた。
大蜘蛛は全身を切り刻まれ、もはや瀕死の状態である。
このまま放置していてもいずれ息絶えるであろう。
封印から目覚めたばかりの大妖魔は、それほどに深い傷を負っている。
「――――大噛付」
そして土蜘蛛をそのような状態にした張本人は――ベガは、あっさりとトドメを刺した。獣の牙に模した両手が大きな腹をかっ捌き、土蜘蛛の命を刈り取る。腹の中からはゴロゴロと、いくつもの骨が転がり出てきた。
いったい何がどうなっているのか。
「……よく来たわね、ライアス」
あまりの展開に思考が追い付かないライアスに、ベガが話しかけてくる。
「ちょうど準備運動も終わったわ」
両手に付いた土蜘蛛の体液を振り払うと、ベガはライアスに向き直った。
そして。
「次はアナタをこうしてあげるわ。……覚悟しなさい」
ゾッとするほど冷たい目で、ライアスに告げた。




