6話:神様へのおもてなし・6
ライアスは、ウルスラと見つめ合ったまま言葉に詰まった。
一呼吸、二呼吸おいてから口を開く。
「……唐突だね、神様。突然どうしたの?」
「ウルスラと、呼んではいただけませんか?」
「それは、どうして?」
ウルスラは少しすねたような表情になる。
ライアスを逃がさぬように、腕には力を込めたままだ。
「私が、呼んでもらいたいからですわ、ライアス。貴方にも。私の親しい者は皆、私のことをウルスラと呼びますので。それと同じように、名前で呼んでいただきたいのです」
「……名前で呼べばいいんだね?」
はい、とウルスラは迷いなく頷いた。
ライアスは少し悩んで、ウルスラの言葉を聞き入れることにした。
「えっと……、ウルスラ?」
名前を呼ばれたウルスラの嬉しそうな顔といったら。
ふにゃりととろけそうになっていた。
「はい、なんでしょう?」
「今日、いつもよりだいぶ飲みすぎだと思ったけど……、もしかして、わざとじゃないよね?」
とたんにウルスラが目を逸らす。ついっと。
やっぱりか、とライアスは思った。
「わざわざ立てなくなるまで飲まなくても……」
「だって……、そうでもしないと勇気が出なくて」
「いったいなんの勇気だってのさ?」
「それは……」
ウルスラが言いにくそうに口ごもる。
「ラ、ライアスに、その、……普段はできないようなお願いをするための……」
「……何をお願いしてくるつもりなの、ウルスラ?」
ライアスがちょっとビビる。
何をさせられるのだろう。
「いえ、色々考えてはいたんですけど、……なんだか、どれも違うなって思いまして」
「うん」
「言われたように、今もうだいぶお酒が回ってしまっていまして」
「そうだね」
「まもなく寝てしまいそうなので……、あの、」
ウルスラが、ぐいっとライアスを引き寄せた。
「お、おやすみのちゅーを、してほしい、です……」
「…………」
「おねがい、します」
ライアスは、もうどうにでもなれと思いながらウルスラに口付けた。優しく触れ合わせるように。それでいて、長く。
ウルスラの目が静かに閉じていき、腕から力が抜けていく。
「……おやすみ、ウルスラ」
やがて離れたライアスがそう言ったときには、ウルスラから小さな寝息が聞こえてきていた。
満足して寝てしまったようだった。
ライアスは、しばらくその場に座り込んで何事かを考えていたようだったが、やがて立ち上がると。
「……俺も寝るか。とりあえず、便所だ」
用事を済ませてから、自分の布団に入って寝た。
「あれ、ここは……?」
ライアスが気付いたときには、何もない真っ白な世界にいた。
ここは、あれだ。いつもウルスラと顔を合わせている夢の中の世界だ。
「……ウルスラがこっちにいるのに、俺だけ来ちゃったのかな。それとも、ウルスラも寝てるからここにいる……?」
見回してみても、人影はない。
前者のほうかな、それなら特にやることもないか、とライアスが考えたところに。
「いらっしゃい、ライアス君」
「……!」
背後から、聞きなれぬ声がした。
ゆっくり振り返ってみると。
「はじめまして、かな。もちろん神サマのほうは君のことをよく知ってるんだけどね」
誰かが立っていた。
輝くような長い虹色の髪をした、誰かが。
「……はじめまして、だけど、……俺も貴方のことは知ってる」
「ウルスラから聞いてたりするのかな?」
「それもあるけど、……たぶん魂か何かが貴方のことを知ってる。……絶対に、逆らっちゃいけない相手だって」
それはおそらく、本能。この世界に生きる者として当たり前の感覚。
自分たちを創り出した存在への根源的な畏れだ。
ライアスの額を、冷たい汗が流れた。
「ははは。そんなに緊張しなくても、君に何かするつもりはないよ。ただちょっと、お話がしたいだけ」
対してこの世界を創った神様は、人当たりのよいにこやかな笑みを浮かべている。
長い前髪の奥に隠れた両目も穏やかなもので、何かするつもりはない、という言葉に嘘偽りはなさそうだ。
「単刀直入に聞くけど。君は、ウルスラのことをどう思ってるの?」
ただしそれは、ライアスの態度次第なのかもしれないが。
「……ウルスラといい貴方といい、唐突だね」
「友達だからね。で、どうなの? 好きか嫌いかで言えばどっち? あの子には言わないから、本音が聞きたい」
「…………」
隠し事のできる相手ではない。
と直感したライアスは、素直に答えることにした。
「ウルスラのことは……、もちろん好きだよ。嫌いなわけがない」
「ほほぅ」
カタリナが、楽しそうに身を乗り出す。
ライアスは後ずさりしそうになるのをぐっと堪えた。
「そうなんだ。へぇー。そうなのか」
「……そんなに意外?」
「いやいやちっとも。君がそう思ってるのは知ってるし。ただ、ほんとに素直に言うとは思ってなかっただけ。最初は恥ずかしがって誤魔化すかなって思ってたよ」
「どうせ嘘ついてもバレるんでしょ? それなら、誤魔化しても仕方がない」
「まったくだ」
カタリナは嬉しそうに頷いた。ライアスの返答が気に入ったらしい。
「それじゃあついでに聞くけど」
そうして嬉しそうにしたまま、カタリナがさらに問う。
「それなのに、……どうして君はウルスラを傷付けるようなことを考えているの?」
次の瞬間、ライアスは頭上から落ちてきた刃に真っ二つにされた、
「っ――――!?」
――ような恐怖を覚えた。全身から一気に冷や汗が噴き出して、心臓がバクバクと跳ねる。
あまりにもリアルな死のイメージに、ライアスは声も出せずに立ちすくんだ。
「ねぇ、どうして?」
カタリナがさらに身を乗り出してくる。ライアスは足がすくんで一歩も動けず、呼吸を整えるために強大な精神力を要した。
ここで言葉を間違えれば。今のイメージそのままに巨大な刃が振り下ろされるだろう。容易にそれが想像できるほど、先程の恐怖は鮮明なものであった。
ライアスは、ひとつ、ふたつ、みっつと深呼吸し、絞り出すようにして答えた。
「…………ウルスラが、……貴方と同じ神様だから、……だよ」
「……なるほどね」
答えを聞いたカタリナが、すっとライアスから離れた。
「君は正直だ。そしてとても誠実なんだろうね。だから今日のところは、今の答えに満足して帰ることにするよ」
「……分かった」
「ただ、ライアス君。これでも神サマはウルスラの友達なんだ。だから、極力ウルスラを悲しませるようなことはしてほしくないと思ってる、ということを君に伝えておく」
「肝に銘じるよ」
カタリナはスタスタと歩いて帰ろうとするが、とちゅうで一度振り返った。
「ああ、そうそう。このあと君は一度目を覚ますと思うんだけど。起きたらウルスラの布団に潜り込んで、一緒に寝てあげてほしいかな」
「…………」
「ついでにギュッと抱き締めてあげるとなお良い。ウルスラが起きた時にきっと驚くけど、喜んでくれると思うから」
それだけ言うと、カタリナはどこかに行ってしまった。
ライアスはカタリナの姿が見えなくなってからも一歩も動けずに立ちすくんでいて。
やがて足元から夢の世界がヒビ割れていって、ライアスは真っ暗な奈落の中に落ちていき、そして目が覚めた。
「…………あー、ひどい夢」
目が覚めたライアスは、自分が宿の一室にいるのを確認してから、ため息混じりにつぶやいた。むくりと上体を起こす。
「うへっ、背中が寝汗でびっしょりしてる」
ライアスは胸元の御守袋を掴むと、自分に煤祓をかけて身体を清める。
それからしばらく布団の中で考え込んでいたが、やがて静かに自分の布団から抜け出すと、ウルスラの布団にはい寄った。
ウルスラはスースーと静かな寝息を立てていた。心地好さそうな寝顔を浮かべてスヤスヤと寝ている。
ライアスはウルスラを起こさないようにそっと布団に潜り込むと、ほんとにもうどうにでもなれ、という気持ちでウルスラを抱き締めて、寝た。
翌朝、目を覚ましたウルスラがどのような反応をしたかについては、少し長くなるので割愛する。
ただ、自分の世界に戻ったウルスラが、それはもう満足そうな、にこやかな顔をしていたことだけはここで述べておく。




