6話:神様へのおもてなし・5
現在の状況を理解したウルスラは、ひとしきり湯船の中で悶えた。
「お泊まり……、ライアスとお泊まり……!」
何がどうなってこうなったのか。
確かに精一杯楽しませてくれとは言ったものの。
「しかも同じ部屋で……! いえ、落ち着きましょう。大丈夫、大丈夫ですわ。ふたりで同じ部屋にいるのなんて今に始まったことではないじゃないですか。夢の中ではいつもそうだったわけですし」
そう言って自分を落ち着かせようとする。
そうだ、深呼吸でもしよう。
大きく吸って、ゆっくり吐いて。
ずるずると湯船に沈んで手足を伸ばしてリラックス……。
「――ああぁぁぁあああああっ……!!」
ダメだ。とてもリラックスできない。たまらず両手で顔を覆う。
思わずうめいてしまったが、たまたま他の客がいなかったのがせめてもの幸いだ。
湯あたりしたみたいに顔が真っ赤になっている。
「いけませんわ……、夢の中はあくまで夢の中ですもの……。現実と比べても……」
神様が普段いるところとは世界が違うが、ここもれっきとした現実である。夢の中とは諸々が違いすぎる。
存在の解像度が違う、とでも言えばいいのだろうか。夢の世界はあくまでも作り物の世界なのだ。体温や鼓動や匂いや味まで伝わってきても、それでもやはり現実とは違う。非常に鮮明な写真と実際の景色ぐらいは、違うのだ。
つまりどういうことかと言うと。
恥ずかしすぎてメチャクチャ緊張する、ということだ。
夢の中なら堪えられることも、現実になったら一気に難易度が上がる。
「そもそもなんでライアスは同じ部屋に……? え、まさか、そういうこと……? いやいやそんな、ライアスに限ってそんなことは……。でもでもやっぱりもしかして……、いやいやいや……」
ウルスラ、頭がショートしそうになっている。
考えれば考えるほどドツボである。
「と、とにかく! ライアスは私を楽しませるためにこの宿をとってくれたのですし! へ、変なことを考えてモヤモヤしててもいけませんね! 上がりましょう!」
ザパンと湯船から上がるウルスラ。
一応念のためにもう一度身体をよく洗ってから脱衣所に出た。
旅館が用意してくれた浴衣に着替えて部屋に戻る。
「戻りました」
部屋に戻ると、同じく浴衣に着替えてのんびりくつろいでいるライアスが待っていた。
窓を開けて涼しい風を浴びている。すっかり陽は沈んで、窓の外には夜の闇が広がっていた。
「おかえりなさーい。長かったねー、神様。そんなに温泉が気持ち良かったの?」
「え、ええ。まあ」
そっかー、とライアスは窓枠にもたれ掛かる。
「ごはんももうすぐ準備してくれるってさ。楽しみだねー。何が出てくるんだろう」
外を向いているのでライアスの表情は見えないが、声は嬉しそうだ。
ウルスラもライアスの少し後ろにちょこんと座って同じように夜風を浴びる。お風呂上がりの火照った身体には、確かに気持ちの良い風だった。
「あ、神様。お月様も出てるよ。今日もキレイだねー」
「そうですか」
「ほらほら、見て見て」
ライアスが少し横に寄って手招きをした。
招かれたウルスラは、にじり寄ってライアスの隣へ。同じ窓から夜空を見上げる。
少し欠けた月がぽっかりと夜空に浮かんでいた。いつもと変わらない、ただの月だ。特筆すべき何かがあるわけではない。
「……確かに、今日の月はキレイですわ」
「でしょー」
それでもウルスラには、いつもより月明かりが映えて見えた。
緩んだ笑顔のライアスが隣にいるからだろうか。ウルスラはなんとなく、そんなことを考えた。
しばらくふたりで月を眺めていたら、宿の従業員がやってきた。準備ができたらしく、部屋の中に料理を運んでくる。
ライアスとウルスラは用意された座布団に座り、料理が並ぶのを待つ。
「あれ? ライアス、それ」
「うん? 熱燗だけど」
料理が全て並んだあと、ライアスのお膳にはさらにとっくりとおちょこが置かれた。
ウルスラは自分のお膳を見るが、置かれていない。
「……イジワルですか、ライアス?」
「いや、神様あんまりお酒に強くないから、飲まないほうが料理を楽しめるかなって思って」
「……ふふん。いらぬ心配ですわ。私だって自分の酒量はわきまえていますとも。貴女、私にもこの男と同じ酒を!」
配膳が終わって戻ろうとしていた仲居を呼び止めて、ウルスラは熱燗の注文をした。
ライアスは、今までウルスラが酔ってまともだった試しがないのでちょっと、いや、だいぶ不安であった。
「これ、けっこうキツいやつだけど本当に同じのにするの?」
「だって、ライアスも飲むんでしょう?」
「うん。これ、キツいけど美味しいやつだし」
「美味しいなら余計に飲みたいですわ」
ライアスは少し考えて、自分のお猪口に酒を注いでくいっと飲む。
それからお猪口をウルスラに渡すと、そこに酒を注いだ。
「じゃあ、ちょっと一口」
「……なんで先に一口飲んだんですか?」
濡れてないお猪口を渡すのは失礼だし、とライアスはよく分からない理由を言う。
ウルスラは、ちょっとお猪口を回してからくいっと飲んだ。
「……これなら全然大丈夫ですわ」
「そう?」
「はい。だから、私は飲みますよ」
そこまで言うなら、とライアスはもう止めないことにした。お猪口を返してもらって(ついでにウルスラに注いでもらって)からさらに一口飲む。
しばらくしたらウルスラが頼んだ分の熱燗も部屋にきて、美味しいご飯とお酒を食べて飲んでとしたのだが。
食後。
「あはははは。ライアス、ライアスぅ」
「なに、神様」
「呼んでみただけですぅ。あぁん、怒っちゃヤですよぉ」
案の定、ウルスラは出来上がっていた。ライアスにすり付いてケラケラ笑っている。
酒量をわきまえるとはなんだったのか。完全に飲み過ぎている。お膳を片付けていった仲居さんたちの視線がつらかった。
「ライアス、もう一本だけお願いしません? ライアスもまだ飲み足りないでしょう?」
ライアスは無言で懐から扇子を取り出した。昼間に買ったやつだ。バッと開いて「否」と書いた面をウルスラに向ける。
「うぅん、いけず」
「神様は飲み過ぎ」
「だってぇ、美味しかったんですもーん」
「もーん」じゃないよ、「もーん」じゃ。とライアスは思う。
そうこうしている間に、ウルスラはライアスのあぐらの上に乗ってきた。ライアスを座椅子みたいにして、ちょこんと座る。
「神様?」
「よいしょ、よいしょ」
ライアスの両腕を取って、自分の身体の前に持ってこさせた。
後ろから抱き締められているみたいな格好になって、ウルスラはにへらっと表情を崩した。
「温かいですわぁ」
「俺はちょっと暑いよ」
「私は気持ち良いので、もう少し我慢してくださいな」
じゃれる猫みたいに、身体をライアスにすり付ける。すりすり、すりすりと。背中や顔をこれでもかと。
ライアスは黙ってされるがままだ。へたに動くと大変なことになる。
「おや? ひょっとしてこの香りは?」
鼻をすり付けたウルスラは、ライアスからほのかに白梅の香りがしていることに気付いた。
「せっかく神様にもらったから、ちょっとつけてみた」
「うんうん。良い心掛けですわ、ライアス。汗臭かったり泥臭かったりも悪くはないですが、私はこちらのほうが好きです」
鼻を押し付けて、くんくんと匂いをかぐ。ライアスの両腕をかき抱いて強く密着する。ウルスラは、ライアスの体温とほのかな匂いでさらに酔ったようになっていた。
「うぅーん。なんだか、ぽかぽかして眠くなってきました」
「……それじゃあ、お布団に行く?」
「そうですねぇ、運んでいただけますか?」
ライアスはウルスラを横抱きにすると、隣の寝間まで運んだ。
ウルスラの分の布団に降ろすと手を離して、
「……ねぇ、神様」
「なんでしょう、ライアス?」
「手、離してくれないと立てないんだけど」
「そうですね」
そう言われたウルスラは、ライアスの首に回した腕に力を込めた。ぎゅっと力を込めて、自らの意思を示す。
つまりはまだ、離れたくないのだと。
「ねぇ、ライアス?」
「……なにさ、神様」
「それ、ちょっとやめてみません?」
「……どれ?」
ウルスラは、ふわふわと酔った瞳でライアスを見つめている。宝石のようにキレイな瞳は深く澄んだ海にも似ていた。心の奥底まで見通せそうな、澄んだ青。
のぞき込めば、どこまでも落ちていく深い海の。
ライアスは、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
「私のこと、『神様』じゃなくて……。『ウルスラ』……って、呼んでみてくださいまし……」




