6話:神様へのおもてなし・4
ふたりが帰っていくのを見送ったウルスラは、ふたりの姿が見えなくなってからライアスにたずねた。
「さあ、次はどちらに案内していただけますか?」
ライアスは気を取り直して、ウルスラに楽しんでもらえるように頑張ることにした。
ライアスのモットーは「やれることはやる」であるので、できる限りのことはしようと考えている。
「そうだね、少し登ったところに見晴らしのいいところがあるんだって。またちょっと歩くことになるけど、行ってみようか」
「はい。では、案内をお願いしますわ」
ライアスの、キョウの都の観光案内はさらに続く。
小高い山を登ったところにある小さなお堂。
碁盤の目のように整えられたキョウの町並みを、お堂の中からしばらくふたりで眺める。
「少しのどが渇きましたわ」
「お茶ならあるよ。はい、どうぞ」
竹筒に入れてきたお茶を、ライアスはウルスラに渡す。「俺にも一口ちょうだいよ」と言うと、なぜかウルスラに怒られた。
とある神様の社のひとつ。
壁と天井に描かれた幾何学的な紋様と、色とりどりに描かれた絵物語を読み解いていく。
社の中には精緻に彫り込まれた木像なども置かれていて。
この像は友達の誰それに似ている、この絵はあの子のこれこれの逸話を元にしているのだろうと、ウルスラは楽しそうに見立てを話した。
大きな大きな桜の木の下。
花びらは散ってしまって、青々とした葉をつけていた。
そよそよと吹く風にさらさらと葉擦れが鳴り、木漏れ日の中でちょっとひと休みをした。
「少し、うとうとしてきますね」
「そうだねー。朝から色々回ったもんね」
ウルスラに「眠いならお昼寝する?」と聞いてみたが、「そこまでではありませんわ」と返されて。
ライアスはウルスラに肩を貸したまま、しばらく動かずにいたりした。
お日様が少しずつ傾いてきて。
ライアスはウルスラをヘイアン城の近くまで案内することにした。
ヘイアン城の近くには、一番人通りの多い大通りがある。
色々なお店が並んでいるので、ここにくればなんでも欲しいものは揃うだろう。
珍しいものもたくさん置いてある。
例えばそこの店先に吊るしてある硝子の風鈴。
これからの夏に向けて職人が作ったのだろう。
ちりんちりんと涼やかな音色が、喧騒の合間から聞こえてきていた。
例えばそこの店先に並べてある面白そうな扇子。
開いてみれば表に「応」、裏に「否」と文字が書かれていて、作った者の遊び心がうかがえる。
「どんなときに使うんでしょうね?」
「大事なときにこそ、使ってみたいよね」
わりと気に入ったのか、ライアスはこの扇子を買うことにしたらしい。
しばらく歩きながら、楽しそうにぱちぱちと開閉して遊んでいた。
アメ屋の前ではアメ細工を作っている者がいた。
客の注文に合わせて目の前で作ってくれるらしい。
ウルスラが注文した羽ばたく小鳥のアメもするすると作ってくれた。
棒の先に取ったアメを、こねて切って伸ばして整えて。本当に、生きているみたいな出来映えである。
「食べるのがもったいないですわ……!」
「せっかく作ってくれたのに、食べないともったいないでしょ」
おそるおそるウルスラは、小さな舌を出してぺろりと舐める。あまりの美味しさに、その後は目を輝かせながら一心不乱にアメを舐めた。
「ラ、ライアス! いつの間にかなくなってしまいました!」
「神隠しにでもあったんじゃない?」
ライアスは時に真面目に、時にふざけつつウルスラの相手をしながら、大通りを歩く。
そうしていると、またウルスラが目についたお店に入っていった。
「ここは何のお店でしょうか」
見てみると、主に女の子向けの小物などを売っているお店のようだ。
ライアスはお店の狭さとか他の客への遠慮もあってか、お店の前で待つことに。
ウルスラは商品をひとつひとつ眺めながら、ゆっくりと店内を歩いていく。
そうすると、ある商品がウルスラの目にとまった。
「おや、これは」
ウルスラはそれを手に取って、もひとつおまけに手に取ってからお店の奥に進んでいった。
しばらくすると手に袋を抱えてお店から出てきた。
「お待たせしました」
「何を買ったの?」
これですわ、とウルスラが取り出したのは、つげの櫛である。
ウルスラのきれいな髪をすくにはぴったりの品だ。
「神様、お金持ってたんだ」
「一応は。まぁ、これを買ったのでなくなりましたけど」
「言ってくれれば俺が出したのに」
「それはいけません。それではライアスからの贈り物になってしまうじゃないですか」
「ダメなの?」
「縁起が悪いですから」
櫛は、苦と死を連想するので贈り物には向いてない、とウルスラは説明する。
「神様ってそんなの気にするタチだっけ?」
「これでも神ですからね、多少は。あと、これはライアスに」
「へ?」
続いて袋から取り出したのは、小さな瓶だ。
ライアスは受け取って栓を抜いてみる。中には香油が入っているらしく、良い香りがただよってきた。
「これ、何の香り?」
「白梅です。ライアスのその着物の柄に合わせました」
「あんまり香をつける趣味はないんだけど……。せっかくだし、今度使ってみるね。ありがとう」
ライアスは礼を言って、香瓶を懐にしまった。
「ちなみにだけど、香を贈るのは縁起悪くないの?」
「私が知る限りでは、特に悪い意味は聞きませんよ」
じゃあどんな意味なの、と聞かれると答えに詰まるのだが。
ライアスはそこまで聞かなかった。
さて、そうこうしていると、だいぶ陽も傾いてきた。もうしばらくすると夕暮れになってくるだろう。
ウルスラは、そろそろこの楽しい時間も終わりかな、と思い始める。
「ライアス、今日は――」
とても楽しかったですよ、と続けようとして。
「あ、神様、こっちこっち」
ライアスの声に遮られた。
とりあえずついていくと、ライアスは大通りから離れていって、小さな川に降りていった。
川からは、ほんのりと湯気がたっている。
「ここから少し上がったところに温泉旅館があるんだけど」
ライアスは、近くに置いてあった大きい桶を川岸に寄せながら言う。それから手桶で川の水をくんで、大きい桶の中に入れ始めた。
「地面の下からの熱で、ここの川も温かいんだよね」
桶一杯に川の水を入れると、近くに置いてあった椅子を桶の横に寄せた。
「はい、どうぞ」
「あの、この桶とか椅子は……?」
「さっき言った旅館の人に貸してもらって、ここに置いておいたんだよ。さぁ、座って座って」
そういうことじゃなくて、何をするつもりか聞きたかったのだが。
ひとまずウルスラは、言われるままに椅子に座った。
「あ、濡れるかもしれないから、着物の裾はまくっといたほうがいいかも」
「は、はい……」
「膝ぐらいまで……、うん、それぐらい。それじゃあ前を失礼して」
ライアスはウルスラの前に腰を下ろすと、おもむろにウルスラの履き物を脱がせにかかった。
「ライアス、何を……!?」
「足袋も脱がせるねー」
両足を裸足にさせると、桶の中に足を入れるように言う。
それから手拭いを取り出し、桶の湯の中でウルスラの足を優しく洗い始めた。
ウルスラは何が何やら分からず、されるがままになっている。
「今日はけっこう歩かせちゃったし、ちゃんとキレイにしとかないと」
そう言いながら、ごしごしと足を洗う。
足の裏は念入りに。指と指の間も丁寧に。
ウルスラは袖を噛んで声が漏れないようにしながら、とにかくこれが終わるのを待った。
「あ、ひょっとして神様、くすぐったい?」
「い、いえ、大丈夫です……。あの、ライアス? なぜ私の足を?」
ライアスは、一旦手を止めて答えた。
「なんでって……、大切な人にはこうしてあげなさい、ってお母に習ったから。それに、気持ち良いでしょ? 神様キレイ好きだから、キレイになったら喜ぶかなって」
ニカッと笑うライアスに、たまらずウルスラは顔を逸らした。
恥ずかしすぎて直視できない。
それからさらにしばらく。
ライアスはウルスラの足を清めていく。
川の流れる音と、ライアスの鼻歌。それからちゃぷちゃぷと桶の中で水が跳ねる音だけが聞こえていた。
「こんなものかなー」
洗い終わると、絞った手拭いで水気を拭き取ってから足袋と履き物を履かせてあげた。
着物の裾を直してから、桶の水を川に流す。
辺りは夕焼け色に染まり始めていた。
椅子から立ち上がったウルスラは、ひとつ咳払いをしてから、ライアスにお礼の言葉を述べた。
「ライアス、今日は私のワガママを聞いていただいて、本当にありがとうございました。とても楽しい時を過ごせました。もしまた機会があるのなら、またこうして――」
するとライアスは、不思議そうな表情を浮かべた。
「神様、お礼言うの早くない?」
「え……? でも、もうすぐ陽が沈みますし」
「いや、わざわざ今言わなくても、明日の朝帰るときでいいと思うんだけど」
「……明日の朝?」
「うん。だって神様、今日一日めいっぱい遊ぶってことは、こっちに泊まっていくんでしょ?」
「……え?」
ウルスラは、ポカンと口を開けた。
「だから、さっき言った温泉旅館、ちゃんと部屋を取ってあるよ。まだ温泉とか、ご飯とか、色々楽しむことは残ってるし、お礼を言うのは早いって」
ちなみにライアスが遊びに来る日を確認したのは、宿の予約を取るためだったりする。
「あ、あの……」
「ほら、陽が沈む前に行こうよ。暗くなったら足元危ないしさ」
あれよあれよと宿に連れていかれたウルスラは、「疲れたし、ご飯の前に温泉入ろうよ」というライアスの言葉に従って湯浴みに向かった。
そして女湯に入って身体を洗い、湯船に浸かって一息ついてから、叫んだ。
「……はっ! これってひょっとしてライアスとお泊まり!?」
ひょっとしなくてもそうである。




