3話:オオビワ湖のゲンキ君・1
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オオビワ湖というのは、キョウの都の東方にある湖だ。
広さはキョウの都の二〇倍以上。湖の西方部分の湖岸一帯が、ヤマト之国の領土となっている。
湖から唯一流れ出す川は、キョウの都の南側を通ってヤマト之国を横断する。
流れる地域によっていくつか名前を変え、最後にはヨド川という名前になって、サカイの港町から海にそそぐ。
そしてもうひとつ。
川ではないが水が流れ出していく道がある。
それが、オオビワ疎水道と名付けられた巨大水路だ。
オオビワ湖からキョウの都まで、途中でいくつにも枝分かれしながら伸びている水路で、キョウの都の全体に網の目のように広がっている。
これによって運ばれる大量の水がキョウの都の住人たちの生活を支えており、住人たちにとって、なくてはならないものであった。
今回ライアスは、この疎水道の脇を通ってオオビワ湖を目指した。
キョウの都からほとんど一直線に通った主水道を伝い、昼前ごろにオオビワ湖に到着している。
今は、湖岸に腰を下ろしておにぎり(大きい)を食べていた。働く前の腹ごしらえだ。
「すごいなー。広いなー」
湖岸から水面を眺めるが、これ以外の感想が思い浮かばないくらい広い。対岸が見えないのだ。
決して、ライアスのボキャブラリーが貧弱なわけではない。
「一回りするだけで何日もかかりそうだよね」
『そうですね』
「さて、どうやってお掃除する?」
『どうしましょうね、これ』
ベガが回してきた依頼というのが、オオビワ湖に発生した赤潮をなんとかしてほしい、というものだ。
まだ直接的な被害が出ていないため後回しにされていたが、ライアスの能力を考えたらピッタリの内容であったため任された。
ライアスとしても、むやみに戦うよりは気が楽である。
「ここから見る限りだと、赤潮は見えないよね」
『ここは疎水道の取水口ですからね。もう少し奥まで行かないと』
問題は、湖のどのあたりで赤潮が発生しているのか、実際に見てみないと分からないことであった。
さらにいえば、湖岸から離れた湖の中央部などで発生しているのであれば、岸から見ても分からない。
「沖のほうだったら、どこかで舟を借りなきゃいけないかな」
『はい、玉水だけでは危ないですからね』
玉水は、水面に浮くために使うと持続時間が短くなるので、時間のかかる探索にはあまり使いたくないのだ。
効果が切れると沈んでしまうし、何度も連続で使うのも面倒である。
「ところで神様」
『はい』
「そもそも赤潮ってなに?」
『……』
「いや、悪いものだってことは分かるんだけどさ。なんで赤くなるの?」
赤潮は、水中の富栄養化によるプランクトンなどの大量発生が原因だ。
赤く見えるのはプランクトンの色で、普段は小さすぎて見えないものがたくさん集まって見えるようになっている。
赤潮が発生すると、水中の酸素が不足したりプランクトンが生産する毒素によって生態系にも悪影響が出る。のだが。
『……そうですね』
プランクトン、とライアスに言っても理解してもらえそうにないので、ウルスラは言い方を考える。
『簡単に言うと、あの赤いのは魚のエサになったりする小さな生き物がたくさん集まったものですわ』
「え、このおにぎりと同じってこと?」
『はい。しかも、若干腐りかけたおにぎりです。それが大量にあって水を汚している、と考えていただければ』
「なるほど、分かった」
厳密に言うと違うのだが、なんとなくでも分かってくれたみたいなので、ウルスラはよしとした。
そしてライアスは、最後のおにぎり(一〇個目)を食べ終えると立ち上がった。
「とりあえず、赤潮を探してみないと始まらないよね」
『そうですね』
「そうですねー」
「すぐに見つかるといいんだけどなー。まぁ、頑張ろう」
『頑張ってくださいな』
「はいー、頑張りましょー」
「…………うん?」
なんか、声が多いぞ?
そう思ったライアスが振り返ると、そこにはひとりの女の子がいた。
全然知らない女の子だ。
巫女服を着て、手には柄杓を持っている。
「……え? 君、だれ? いつからいたの?」
「お兄さんが美味しそうにご飯を食べてるときに追い付きましたー。お兄さんこそ、ここに来る途中で私を追い抜いたのに気付かなかったんですかー?」
「追い抜いた……?」
「はいー、私のほうが先に出発して疎水道を上ってたのに、ひどいですー」
『道中にこんな子いましたっけ……?』
ライアスはずっと疎水道の脇を通ってここまで来たのだが、追い抜いた記憶はない。
どこか広くなっていたところで、知らずに抜いてしまっただろうか。
「お兄さんも赤潮を探しに来たんですよねー?」
「うん、そうだけど」
「じゃあやっぱり私と一緒ですねー。協力しましょー?」
「う、うん」
「わーい、やったー」
女の子は嬉しそうにふにゃっと笑った。
間延びしたしゃべり方や、くりっとした目元と相まって、なんとも愛らしい感じだ。
「私、ひとりでここの浄化をするの大変だなー、って心細かったんですよー」
「そうなんだ」
「なので、私と同じ神様の力を持った人がいてくれて、よかったですー」
『……やはり、この子も』
ウルスラの存在に気付いているらしい。
着ている巫女服は本物のようだ。
この女の子は、神様の力を感じ取れている。
「えーっと……、巫女さん、でいいんだよね?」
「そうですよー」
「協力するのはいいけど、お名前教えてよ。俺はライアス、君は?」
「ああ、そうですねー」
女の子は、ちょっと小袖のえりを正してから自己紹介した。
「私の名前はミナコ。――キョウの都がゴジョウ巫女のひとり、セオリツ様の巫女、ミナコです」
ライアスは「ん……?」と聞き返した。
「ゴジョウ巫女?」
「はいー」
「ほんとに?」
「ほんとですよー」
『ゴジョウ巫女って、ライアスが言ってたあれですよね。とても強い五人の巫女頭』
そのゴジョウ巫女である。
ミナコは驚くライアスの様子を見て、嬉しそうに笑っている。
「どうです? すごいでしょー?」
「うん。びっくりした」
「えへへ、やったー!」
『喜んでますね』
ミナコはぴょんと跳ねて水面に近付くと、持っていた柄杓を湖面につけた。
「セオリツ様、またお舟をお願いしますー」
そして湖水を一掬いして、湖面に落とす。
すると。
「うおおっ……!」
『湖面が勝手に動いてますね』
湖水が波打ち始め、水中から何かが浮かび上がってくる。
それは、水でできた舟。
湖水が不思議な力で固められ、形作られた舟だった。
ミナコはその舟にぴょんと飛び乗ると、ライアスを手招きする。
「さぁさぁどうぞ、乗ってくださいー」
「う、うん」
『なるほど、ここに来るときもこれに乗っていたのですね』
どうりで追い抜いたことに気付かなかったわけだ。
ライアスは疎水道の脇を走ってきたが、ミナコは疎水道の中を舟で渡っていたのだから。
ライアスがおそるおそる舟に乗ると、ミナコは意気揚々と言った。
「出発、しんこー!」
「お、おおー!」
ライアス、とりあえず流れに乗った。




