1話:桜吹雪の街道を行く・2
「やぁやぁおじさん、ちょっといい?」
「あぁ!? なんだお前!」
「そんなにカッカしてると倒れちゃうよ? 何をそんなに怒ってるの?」
ライアスは、分かっていることをあえて聞いた。
男性は、怒ったまま店員を指差した。
「コイツが、転んで団子を飛ばしてきたんだ!」
「そうなの? お姉さん、間違いない?」
今度は店員に問う。
店員は青い顔で頷いて、さらに男性に謝罪する。
「はい……。申し訳ありませんでした」
「でも、わざとじゃないんでしょ? それならおじさん、そんなに怒ったらこの人が可哀想だよ」
言いながらライアスは、ちらりと男性の座る腰掛けを見た。
刀が一本立て掛けられている。
なるほどこの男性は、侍のようだ。
「可哀想なもんか! コイツのせいで俺の羽織が汚れちまったんだぞ! おいお前、どう責任を取るつもりだ!」
「ひっ……! えっと、その……」
「一両もしたんだ、この羽織は! お前に弁償できるのかよ!」
「い、一両……!?」
店員は泣きそうな顔をする。
労働経験の乏しいライアスには分からないことだが、一両(約十二万円)といえば、この店員が一か月間一生懸命働いても稼げるかどうかという額なのだ。
弁償しろと言われて、すぐに頷ける額ではない。
「その羽織、そんなにするの?」
「キョウの職人が織った布で作ってあるからな! 俺の一張羅だ!」
ライアスは「ふーん」と言うと、羽織の汚れを確認する。
みたらし団子のタレがベッタリ付いて、茶色く染まっていた。
「これぐらいなら……」
ライアスは、首からさげた御守袋を片手で握ると、もう片方の手で羽織に触れた。
「あ、なに勝手に触って――!」
「煤祓」
「――る、んだ……?」
侍の男は、何か形容しがたいふわっとした感覚が抜けていったのを感じた。
そして、「これでどう?」というライアスの言葉であらためて羽織を見ると、先程までベッタリ付いていたタレが、きれいさっぱり消えていた。
「は……!?」
「汚れは落ちたよ。これでも弁償はいる?」
「お前、いったい……!?」
ライアスは、重ねて問う。
「汚れは落とした。このお姉さんもちゃんと謝っている。これ以上他に何か必要? 頼んだお団子も、新しいの持ってきてくれると思うよ」
「ね、お姉さん」という言葉に、店員は必死で頷く。
「しかし、お前……!」
「それともメンツの話をする? こんな目に合わされて恥をかかされた、だから許せないって? そうだというんなら……、それこそおじさん、心が狭いよ」
「なっ……!」
「立派なお侍さんなんでしょ? 小さいことを気にせずにどんと構えてなよ。少なくとも、俺の師匠のイゾウさんなら笑って許すと思うよ」
侍の男は、イゾウの名前を聞くと思わず口をつぐんだ。
なんともいえない表情で、ライアスに問う。
「お前、イゾウという男の弟子か?」
「そうだよ。イゾウさんを知ってるの?」
「いや……」
無言になって、ライアスをじっと見る。
懐に手を入れると小銭を取り出して机に置いた。
「店員、お代は置いておく。……御免」
そして刀を手に取ると、振り返りもせずに茶屋を出ていった。
『出ていきましたね。お見事』
「なんとかなったのかな……? あ、お姉さん大丈夫?」
「は、はい、ありがとうございます」
店員は安堵して、「助かりました」と頭を下げた。
「大丈夫ならお仕事頑張って。あと俺たくさん頼んじゃったから、持ってくるとき大変だと思うけど、気を付けてね」
「は、はい」
それからしばらくして、頼んだ甘味が大量に運ばれてきた。
ウルスラが一皿ずつ味わっている間に、ライアスはばくはくと口に入れ、あっという間に平らげていく。
『もっと味わったらどうですか』
「ちゃんと味わってるよ。美味しい、美味しい」
そして全部食べ終えると、お茶をぐいっと飲み干した。
お代を払って外に出ると。
「待っていたぞ」
先程の侍の男が、ライアスを待ち構えていた。
ライアスは。
「うん。ここだとお店の迷惑になるから、ちょっと移動しようか」
なんとなくこうなる気がしていたので、落ち着いたものだった。
街道をしばらく歩き、雑木林を見つけたのでその中に入る。
少し広くなったところで、お互いに向かい合った。
「手合わせ願う」
「いいけど、理由は?」
さっきの茶屋でのやり取りで、メンツを潰されたと思ったのだろうか。
「お前、イゾウという男の弟子で間違いないないのだな?」
「そうだね」
「なら、……それが理由だ」
そう言って腰の刀を抜いた。
構えと気配を見るに、どうやら本気のようだ。
「どうした、お前も抜け。というより、刀は?」
「いや、俺は侍じゃないから刀はないよ。普段使ってるホウキもあるけど――」
ライアスは自然体に立って構える。
「あれは普通の人に使うものじゃないし、今回はこれでいく。無手でも戦えるから、遠慮せずどうぞ」
「……後悔、するなよ!」
侍の男が踏み込んだ。
刀を振り上げ、一息に斬りつけてくる。
「ふっ!」
刀は、袈裟に斬る動き。
真っ直ぐ、鋭く。なかなかの剣速だ。
「――っ!」
ライアスは刀の動きを見極める。
速いが、変化はなく素直な軌道だ。
両手をふわりと開くと。
「ほいっ!」
向かってくる刃の側面を両手で挟むようにして、受け止めた。
「なっ……!?」
真剣白羽取り。
勢いつけて斬りつけたのに、柔らかい受けに完全に力を殺された。
しかも、押しても引いてもびくともしない。
刀を、抑えられてしまった。
「えいっ!」
「ぐっ!」
さらにライアスは、押し引きの合間の男の力が緩んだほんの一瞬を突いて刀を押し込んだ。
刀の柄が男の胸をどんと突き、男は思わず刀を手放して尻もちをついた。
そして気が付けば目の前に、刀の切っ先が突き付けられていた。
刀を突き付けたままライアスは問うた。
「まだやる?」
男は、首を横に振った。
「いや……、俺の負けだ。また、負けた……」
それから、がっくりとうなだれた。
「また?」
「こちらの話だ。悪かったな、無理を言って」
刀を返すと、 侍は一言詫びてから、ライアスたちが来た方向に歩いていった。




