1話:桜吹雪の街道を行く・1
◇
桜の花が散っていた。
ひらり、ひらりとはらはらと。
街道から少し離れた小高い山。
そこに生えた何本もの桜の樹から。
満開を過ぎた桜の花が、風に乗って散っていく。
少し強い風が吹けば一息に、ぶわりと桜が舞い踊り。
街道を歩くライアスのところまで、桜吹雪が届いてきた。
『もう散り始めていますね』
ウルスラが、のんびりとした声で言う。
目の前まで飛んできた花びらをつまんで、ライアスも頷いた。
「そうだねー。けど、春らしくていいよ」
『ぽかぽか陽気で気持ちいいですわ』
「神様、こっちの陽気も分かるの?」
『御守袋を通じて分かりますわ。それにこちらも似たような気候ですし』
そっかー、と言いながらライアスは、つまんだ花びらを手放した。花びらは、再び風に乗って舞っていった。
ここは、ヤマト之国。
アワジ島を越えたライアスは、数日前にこの国に入った。
現在は、港のあった町から国の中心部であるキョウの都に向かっているところだ。
「春は好きだな。暖かいし、心が晴れやかになる。お昼寝するにももってこいだ」
『それが主ではないですか? まぁ、お昼寝が気持ちいいのは認めますが』
「それに、雪の積もった険しい山に登らなくてもいいし」
『ツルギ山のことですか? あれは……、まぁ……』
ウルスラは、その時のことを思い出して言葉を濁した。
「雪崩は怖いからね。もうしばらくは、登りたくない」
『巻き込まれたらたいへんですものね……。本当に、よく生きていたことです』
「しかも山頂では、なんかむちゃくちゃ硬い式神みたいなのが出てきて……、やっとの思いで倒したら、出てきたのが小さな箱一個。おまけにどうやっても開かないし……」
『目的だった瘴源地は潰せたのですから、いいではないですか』
「いいけどさー、リュウガ洞とかコトヒラ宮は、ちょこちょこオマケがあったからさー」
リュウガ洞やコトヒラ宮も瘴源地であったのだが、ライアスがそこを浄化した際、ちょっとした財宝などが見つかったのだ。
数日前にこの国に上陸した際、港のあった町でその財宝を売り払ったので、ライアスの懐は今、かつてないほど暖かくなっている。
『結局あの財宝は、いくらぐらいになったんでしたっけ?』
「二〇両以上になったよ。換金できてよかった」
ここでいう一両とは、四〇〇〇文(一文は約三〇円)である。
つまり二〇両は、ものすごい大金であった。
「これだけあったら、キョウの都でも美味しいものが食べられるね」
『いい宿にも泊まれるでしょうし、甘いものも楽しめますよ』
「甘いものは神様が食べたいだけでしょ」
『あ、その先に茶屋がありますよ、ライアス。ひと休みしませんか』
「……はいはい」
ライアスは、言われるままに茶屋に寄ることにした。
確かにお腹も空いてきていたので、ちょうどいいといえばちょうどいい。
「すいませーん」
店内には、他の客もちらほら座っている。
ライアスは適当な席に腰を下ろすと、食べたいものを注文することにした。
「みたらし団子五皿と蒸しまんじゅう五皿、あとようかんを三皿とお茶を一杯ちょうだい」
「は、はい……」
注文をとった店員の「この人こんなに食べるの……?」という視線を気にもとめず、ライアスは皿が運ばれてくるのを待つ。
「神様、一皿ずつで大丈夫?」
『ええ。ライアスはまたそんなに食べるのですか』
「食べられるときにお腹いっぱい食べとく。そうすると、食べられないときに苦しみが少ないからね」
ライアスの胃袋は長い修行によって強くなり、以前の三倍は食べられるようになっていた。このくらいの量なら、ぺろりと平らげることができる。
鍛えたイゾウいわく、「食べるのも修行だ! 死ぬ気で食え!!」とのことで、ライアスは吐くほど胃に詰め込んでから胃が空っぽになるまでシゴかれたりして、強くなった。
常人が真似したら、たぶん胃が破裂する。
「お腹いっぱいで苦しいのとお腹が空いて苦しいのだったら、俺はお腹いっぱいのほうがいい」
『わりとぜいたくな苦しみですよね、それ』
「せっかくお金があるんだから、俺もちょっとはぜいたくがしたいんだ」
『わざわざ苦しむようなぜいたくをしなくても……』
「あたるかもしれなくても、フグとかカキを食べたりするでしょ。同じようなことだよ」
『違うと思いますけど……』
ともあれ、甘いものを食べたいのはウルスラも同じである。
どうでもいいことを話しながら、内心はわくわくしている。
と。
「きゃああっ!?」
店の奥から、女性の悲鳴と転ぶ音。そのすぐ後に皿が割れる音が聞こえてきた。
「おっと?」
振り返ると、ライアスの注文を受けたのと同じ店員さんが、床に転んでいた。
そしてその横の席にいる男性が、なんだか怒っている。
『なんですか?』
慌てて起き上がって謝り始める店員と、どうにも怒りが収まらない様子の男性。
聞こえてくる声を聞けば、どうやら店員がつまずいて転び、運んでいた皿を落としてしまったらしい。
しかも、皿に乗っていたみたらし団子が男性の服に落ちて、服がタレで汚れてしまったと。どうしてくれるんだ、と男性は声を張り上げていた。
「ありゃりゃ。あれはちょっと頭に血が昇ってるね。そう簡単には収まらないかも」
『ライアス、ぱぱっと行って収めてきなさいな』
「俺が? 別にいいけど、横から口挟んだら余計にこじれない?」
『大丈夫ですわ。貴方なら上手くやれますとも。さぁ、早く早く』
「その、なんの根拠もない自信、相変わらずスゴいよね」
そう言いながらも、ライアスは立ち上がって騒ぎの元に近付いていく。
「でもまぁ確かに、あれ放っておくのはちょっといただけないか」
『他の客の迷惑になりますわ』
「俺たちも甘いの楽しめないもんね」
そしておもむろに、怒っている男性に話しかけた。