序話:ナルト海峡を越えて・2
ぱしゃぱしゃと、水溜まりの上を走っているみたいに。
ライアスは、海中に沈むことなく駆けてゆく。
先程ライアスが使った玉水は、対象の撥水性を高める技で、つまり水を弾くようにするものだ。
通常は、雨具に使って水がしみないようにしたり、汚れを落とした家の壁などに使って汚れにくくしたりするためのものだが。
持続時間を短くして効果を強めると、このように、しばらくの間水面を走れるようになる。
『距離、あと一五〇ほど』
ライアスは全力で駆け、みるみるうちに魚影に近付いていく。
箒の柄を両手で握り、ぐっと後ろに引いて力を溜めた。
やがて魚影のひとつがライアスに気付いた。
くるりと向きを変えて、こちらに向かってくる。
『急接近、残り三〇……!』
「よしきた!」
近付いてくる一匹の、背ビレが海面から飛び出した。
あの形は。
『サメ、ですか』
「サメだね! 来いっ!」
ざぱんと跳ね上がり、大口を開けたサメの妖魔がライアスを襲う。
高い。ライアスの頭上より高く跳ね上がっている。
大きく開いた口の中にはギザギザとした鋭い歯が並んでいて、噛み付かれたら痛そうだ。
「この……っ!」
ライアスは、臆することなくサメに突っ込む。
振りかぶった箒を、落ちてくるサメに合わせて全力で打ち込んだ。
「どりゃっ――!」
タイミング、ドンピシャだ。
サメの口の中に箒の穂先が入り、箒の柄がみしみしときしむ。
『そのままぁ!』
「――ああぁぁぁあああああああいしょおっ!!」
ライアスは、力ずくでサメの妖魔を海面に叩き付ける。
それと同時にウルスラが叫んだ。
『煤祓!』
勢いよく海面に叩き付けられたサメの妖魔は、箒から伝う清めの力で浄化され、一瞬で消し飛んでしまった。
ライアスの身体よりはるかに大きなサメが、だ。
「次ぃ!」
そしてライアスは、さらに妖魔の群れに迫る。
残りのサメたちもライアスに気付き、いっせいにこちらに向かってきていた。
『ちょうどいい、一網打尽ですわ! ライアス!』
「うん!」
ウルスラの言葉に頷き、ライアスは次々と妖魔たちをぶん殴っていく。
四方八方から飛び掛かってくるサメたちの攻撃をひらりと躱し。
妖魔化したサメたちを、神様特製の箒で順番にシバいていった。
「こんな海の真ん中で……!」
さすがに全力で殴らないと、一匹目のときみたくは吹き飛ばせないのだが。
数の多さに対処するため一発一発は少し軽く打ち、飛び込んでくるサメたちを逸らして上手く躱しているらしい。
そして軽く打つかわり、打った瞬間にウルスラが箒の特殊技能を使っていった。
『玉水! 玉水! もひとつ、……玉水!』
飛び上がって襲ってくるサメたちに、順番に玉水を使うのだ。
そうすると、殴られたサメは。
「動けない気分はどうだ!」
海面に乗ったまま沈まなくなり、身動きが取れなくなる。
いくら妖魔化して高く跳ねられるようになったとはいえ、サメはサメだ。泳げなければ動けない。
やがて、すべてのサメの妖魔を海上に引きずり出した。
『まさに、まな板の上のコイですわね!』
これがコイならさばいて刺身にするところだが、あいにく妖魔は煮ても焼いても食えない。
一匹ずつ煤祓を掛けて、順番に浄化していく。
「こいつで最後かな」
最後の一匹を浄化すると、ライアスは確認のため、ぐるりと辺りを見回す。
見える範囲に妖魔はいない。
「他に、妖魔はいそうにない?」
『今のところは――、っ!』
ウルスラは、なにか良くないものが近付いてくるのを感じた。
しかも、かなりの速度だ。
『もう一匹来ますわ!』
「え、どこから?」
ライアスは、もう一度ぐるりと見回そうとする。
ウルスラが叫ぶ。
『下からです!』
ウルスラが叫ぶと同時に、ライアスの足元の海面がぐぐっと盛り上がる。
慌ててライアスが飛び逃げると、一拍遅れてそれは飛び出してきた。
「うわぁっ!」
高く跳ね上がったのは、先程と同じサメ。
ただし、その大きさは先程の比ではない。
大きなサメというよりも、小型のクジラといったほうがまだしっくりくる。
それほどに巨大なサメの妖魔であった。
「おっきいな!? というか、しぶきで前が……!」
『来ますよ、ライアス!!』
大量の海水を巻き上げながら飛び上がった巨大サメは、そのままライアスに襲いかかった。
水しぶきで、ライアスは前が見えない。
『右へ!!』
「だあっ!?」
ウルスラの声を頼りに飛び逃げる。
すぐそばをサメが通り抜けていって、海面に潜っていく。
その衝撃で海面が大きく揺れ、ライアスは思わずよろめいた。
「うおっとと……!」
玉水の効果で水面に立つことはできるが、揺れる水面を抑えることはできないので、大きな波が立つと足元が不安定になる。
さらに巨大サメが海中から飛び出し、ライアスを襲って海中に戻るたび、水面が揺れてライアスはバランスを崩してしまう。
これではうまく戦えない。
『これは、困りましたね……』
ここまで足元が揺れていると、躱すだけで一苦労だ。
とてもじゃないが、箒でぶん殴ることはできそうにない。
「く……! そうだ! 神様、次にアイツが飛び込んだら、俺にかかってる玉水を解除して!」
飛び出してきたサメを躱しながら、ライアスが言う。
『玉水を? そんなことをしたら、』
「いいから! ……うおっ!」
空からダイブしてきた巨大サメを、ライアスはさらに転げるようにして躱した。
「神様!」
ウルスラは言われるままに、ライアスにかかっている玉水を解除する。
そうすると、ライアスの身体は水を弾かなくなり、当然のこととして、海中に落ちた。
ざぼんと海につかると、ライアスはさらに海の中に潜る。
(ここなら……!)
海面は大きく揺れているが、海中は、比較的穏やかだ。
不安定な足場に立つよりは、身体を安定させられる。
ライアスは海中で、箒を構えてサメを待ち構えた。
深くまで潜って勢いをつけたサメが、ライアス目掛けて突っ込んでくる。
大口を開けて、丸飲みにするつもりか。
「――――!」
『ライアス!』
海面をぶち破って、巨大サメが海上に飛び出した。
サメの口の中には、ライアスが――。
「……今度は、」
――箒をつっかえ棒にして、引っ掛かっている。
ぐっ、と拳を握りしめ。
「こっちの番だ……! 玉水! それから、――清風ぇ!」
巨大サメに玉水を使い、さらに、口の中に向けて、清風を打ち込んだ。
ライアスの背後から生じる強い風が、清めの力を纏ってサメの体内に吹き込んでいく。
「――――っ!!」
腹の内側から浄化されていく苦痛に、サメの妖魔は空中でもだえた。
身をよじり、けいれんし、ライアスを吐き出して暴れまわる。
海面に落下するが、玉水の効果で沈むことができない。海面でびたんびたんと大きくはね、なすすべもなく苦しんでいる。
『た、玉水――!』
「ぐおっ!?」
ライアスも、巨大サメと同様に海面に落下した。着水する直前にウルスラが玉水をかけると、海面で、トランポリンに乗ったみたいに大きく身体が弾んだ。
二度三度と跳ね返り、ようやく落ち着く。
『大丈夫ですか……!?』
「高所落下は、やっぱりまだちょっとキツい……!」
二〇間ぐらい(三〇メートル以上)の高さから落ちたので、さすがに身体が痛いらしい。
それでも、サメに喰われてしまうよりはマシだし、受け身は取ったのでケガはない。
「あのサメは……!?」
『まだ苦しんでますわ』
ライアスが体勢を立て直してもまだ、サメは海面で暴れていた。
よほど清風が効いたらしい。
これなら、さっさとトドメをさしてしまおう。
そう思って、ライアスがさらなる一撃を加えようとしたとき。
巨大サメが予想外の行動に出た。
『は……!?』
「嘘でしょ……!?」
なんと、サメが空を飛んだのだ。
泳いで飛び上がるとか、そんな次元の話ではなく。
飛翔の妖術を使って宙に浮き、空高くへと飛んでいこうとしている。
むしろ、空中を泳いでいるみたいだ。
水の中に入れなくなって、空を泳いでいる。
「なんで、サメが空を飛ぶのさ!」
『どこぞのB級映画みたいですわ……』
「カラスや天狗じゃないんだぞ!! ああ、あのまま逃げるつもりか!」
どうやら、ライアスのことを命を奪う脅威だと認識したらしく、逃げようとしているらしい。
高く、遠くへ、必死に逃げている。しかもけっこう速い。すでに、清風の有効射程距離から出てしまった。
「逃がすもんか……!」
ライアスは箒を大上段に構え、力を溜める。
そして、大きく一歩踏み出しながら、箒を振り抜いた。
「箒星!!」
『箒星!!』
ライアスと同時に、ウルスラも叫ぶ。
神様と使徒の同時詠唱は、箒の特殊技能の効力を飛躍的に上昇させる。
瞬間。箒の穂先から青い光が伸びた。
箒を振り抜く途中のほんの一瞬だけだが、流星のように。
清めの力を束ねた光が、何十間という長さまで伸びて、逃げる妖魔を捉えた。
捉えて、そして、――真っ二つにした。
「――――…………」
箒星を喰らった巨大なサメの妖魔は、ゆっくりと飛翔の力を失い、海に落ちた。
先程はあれほど暴れていたのに、今はもう、ぴくりとも動かない。
「これで、全部かな?」
『これで、全部でしょう』
ライアスは、ふぅ、と一息つく。
それから、海水でずぶ濡れになった自分の身体を見た。
「結局濡れちゃったね」
『あとで浄焚でも使って乾かしましょうか』
「船、大丈夫かな」
『距離は離れていましたから、多少は揺れたでしょうけど、転覆したりはしていませんね』
「サメって空を飛ぶんだね」
『……あれは、特別ですよ。……きっと』
その後ライアスは、サメを浄化してから運搬船に戻り、残りの航路を無事に渡りきった。
アワジ島では、島内の瘴気を順番に祓いながら、数日かけて島を踏破。さらに船に乗り、海を渡る。
そして、新しい国に上陸した。




