1話:誕生、浄神の使徒・2
「それでは、挨拶も済みましたので、改めて本題に入りましょうか」
握手していた手を離すと、ウルスラはおもむろにそう言った。
ライアスは、「あ、さっそくなんだ」と思った。
「まず、目的の話から。私の目的はただひとつ。取りも直さずこの世界を綺麗にすることです。穢れに満ちたこの世界を、隅から隅までぴっかぴかにしたいのです」
「それは、なんで?」
「私が浄神だからです。私の存在意義は、汚れたものを綺麗にすること。あまりにも汚れたものを見ると、綺麗にせずにはいられなくなるのです。そして、この世界はあまりにも穢れていて、とうてい見過ごすことはできませんでした」
「つまり……、お腹が空いたからご飯を食べる、みたいな感じってこと?」
ウルスラは首を横に振り、「空腹ならまだ我慢できますわ」と言う。
「呼吸ができないから水面を目指す、というほうが近いですね」
「余計に深刻じゃん」
「深刻です。水面まであとどれくらいあるか分からないのですから。……まったくあの子は、どうしてこんな世界を……」
ウルスラは柳眉を寄せてため息を吐く。
「あの子?」とライアスが首を傾げる。
「この世界を創った、私の友神ですわ。あの子はここ以外にも、数えきれないほどたくさんの世界を創り出していますので、たまにこうして管理が行き届きていないところが――」
そこまで言って、はっと口を押えた。
それからそっとライアスに目をやる。
「? どうしたの?」
「いえ、その、友神のことを悪く言うつもりはなかったのですが、今のはそう取られかねないというか、聞きようによってはあの子の怠慢でこの世界が穢れてしまったみたいに聞こえてしまうと思いまして……」
「あー、まぁ、うん」
「け、決して、そのようなことはありませんよ! あの子は自分の創り出した世界のことはどれもきちんと愛しています! そこに住む人々のことも、そこで生まれた文化や風習も、なにもかも全て大切に思っています! この世界だって、きっと少し目を離している間に予期せぬ何かが起こっただけです、だから……!」
ずずいっ、と詰め寄るウルスラ。
あまりの剣幕に、ライアスはちょっとビビった。
「あの子のことを嫌ったり、憎んだりするのは、やめてあげてくださいな……!」
「う、うん。いや、別に嫌いにはならないよ……? そもそもそのお友達が創ってくれなかったら、この世界もないわけで、俺も生まれてないんでしょ? じゃあ、お礼を言わなきゃいけないぐらいだよ」
その言葉を聞いてウルスラは、ほっとしたように表情を緩めた。
それからコホンと咳ばらいをして、話を続ける。
「話が逸れましたね。とにかく、私の目的は瘴気の浄化によるこの世界の美化です。そのために貴方には私の力をお貸ししました。その力を、大掃除のための手段としてください」
「大掃除を手伝うのはいいんだけど……、その、渡してもらった力って、使うための訓練とかしなくてもきちんと扱えるものなのかな? 取り扱い間違って、ぼん! ってなったりしない?」
「さすがに爆発したりはしませんが、そのままでは使えないのも確かです。かといって、努力や鍛練が必要かと問われれば、それも少し違います」
「その心は?」
ウルスラは自分の髪をかき上げる。
足首のあたりまで真っ直ぐに伸びた美しい青髪が、さらりと流れた。
「お貸しした力を使うために必要なもの、それは依り代です」
「よりしろ?」
「道具、と言い換えても構いません。私の力を、この世界の枠組みに落とし込むための道具。変換器や出力装置としての機能を持ったモノです。私の力はこの世界の規格に適合していませんので、どうしてもそれが必要なのですわ」
「……よく分かんないけど、それがあればいいんだね? で、その依り代とやらはどこにあるの?」
「ありません」
「……へ?」
「だって、まだ作ってませんもの」
「もしかして、神様が手作りするの? 今から?」
「はい」と答えたウルスラを見て、ライアスはちょっとだけ不安になる。
「なんか、準備不足じゃない?」
「仕方ありませんわ。この世界を見つけてすぐに、私の使徒となるべき人間を探していたのですから。貴方を見つけたら見つけたで、すぐにこちらに来ましたし」
「行き当たりばったりだね」
「思い立ったが吉日、というやつですわ」
「もし俺が断ってたらどうするつもりだったの?」
「あら、そんなことあり得ませんわ。貴方は絶対に断らなかったと思います」
「……その根拠は?」
ウルスラは自信満々に答える。
「だって、貴方は私が見込んだ人間ですもの。断るはずがありませんわ」
「つまり、なんの根拠もないと……」
そんなんで、よくそんな自信満々でいられるね、とライアスは逆に感心した。なんというか、屈託のない笑顔でとんでもない無茶を言う人種に見える。いや、人ではないのだが。
とにもかくにも。
「じゃあ、その道具が出来上がるまでは、俺は神様の力を使えないということでいいのかな?」
「そうなりますわね。一応、ほんの少しだけなら御守りを通じて使えないこともないのですが、使い物にはならないかと。ですので、出来るだけ早く正式な依り代を作ってお渡しするようにしますわ」
そういうことになった。
そのほか、細かいことを確認していると、この何もない真っ白な空間が、上のほうからヒビ割れ始めた。
「あら、時間ですわね。現実の貴方の肉体が、もうすぐ目を覚ますようです」
「そういえば、もともと昼寝してるんだった。ここで起きてるから忘れてた」
「次からも、寝ればここに来られるようにしておきますわ。道具のほうは今から作りますので、数日以内にお渡しできると思います」
「うん、分かったよ。まぁ、やるからには頑張るから」
ウルスラの身体が、ふわりと浮かび上がっていく。
短い着物の裾がひらひらとはためいていて、ライアスはつい、その動きを目で追ってしまった。ついでに、その奥も。
「白と青の縞々?」
「っ!?」
ウルスラは慌てて裾を押さえる。
遅まきながら両足もぴったり閉じた。
「の、覗かないでくださいまし!」
「いや、たまたま目に入っただけで、覗いたわけでは」
「助兵衛ですわ!」
「えー……」
理不尽だなぁ、とライアスは思う。
そもそもそんな、太股の半ばぐらいまでしか丈のない着物を着て、宙に浮かなければいいのに、とも。
「い、いくら私の身体が魅力的だからって、そんな目で見られると困りますわ……!」
「え? ……あー、ごめんね?」
「まったくもう!」
ぷりぷりと怒るウルスラを見上げながら、ライアスはそっと言葉を飲み込み、そうこうしている間にも夢の世界は砕けていく――。
そしてライアスは、パチリと目を覚ました。
身体を起こしてまわりを見ると、何もない不思議なところではなく、自分が歩いてきた道や隣を借りていたお地蔵様があった。現実の世界である。
「……ただの夢、じゃないよね」
胸元に手を伸ばすと、夢の中で神様からもらった御守袋があった。
あれは、夢だけど夢じゃなかったのだ。
枕にしていた荷物入れを手にして立ち上がり、お地蔵様に頭を下げると、ライアスは道歩きを再開する。
「しかし……」
ウルスラとの最後のやり取りを思い出し、ライアスは何気なく呟く。
「別に、魅力的でもないけどなー……。確かにお顔は可愛いけど、胸ペッタンコでお尻も小さいし。ちょっとおませな子供にしか見えないよね。どうせならもっと色っぽくて、大人びた感じの姿なら良かったのに――」
『――なんですって?』
「……あれ?」
すると、どこからともなく聞き覚えのある声が。
改めて見回してみても、やはり姿は見えない。
「気のせい、ってことは」
『ないですわ』
「だよねー。え、なにこれ、どゆこと?」
『御守袋を通して声を届けているのです。そちらの状況などもある程度分かります。……もちろん、貴方の声も、ですわ』
ウルスラの声が、なにやら震えている。
これはしまったぞ、とライアスは危機感を覚えた。
「神様! 実は俺、童女趣味もあってですね! いやぁー、神様の御姿を見てたら胸がドキドキしてましたよ!」
『それでフォローしたつもりですか!? 今さらそんなウソ要りませんし、結局私の身体が子供っぽいということに代わりはないではないですかっ――!! このっ!』
「ぐえっ……!?」
御守袋がぐいっと引っ張られ、紐で首が締まったライアスは、ばたりと後ろに引き倒れた。
この後ライアスが、どうにかこうにかウルスラをなだめ終えるまでに、およそ二昼夜を要した。