9話:再会、侍と巫女・1
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ライアスが目指している町。
その名をヒラタ町という。
トサ之国のほとんど西の端、田畑の広がるのどかな町だ。
これといった特産品があるわけでもなく、周辺町村の行き来の際に通り道として立ち寄られることの多い町である。
ひとつだけ、特筆すべきことがあるとすれば。
それはズバリ、巫女がいることだ。
トサ之国の西域で、唯一この町だけは巫女がいる。
もちろん、ここ以外の大きな町でも神職はいるのだが、どれも男性の神職たる神主ばかり。
女性の神職たる巫女は、この町にしかいないのだ。
なお、ここでいう神主と巫女は単に男女の違いのみで、やることや出来ることに違いはない。
どちらも仕える神様がいて、神様の声が聞けて、神様の力を借りて神業を使える。
国主が構えた社に勤め、瘴気を祓ったり、時には妖魔と戦ったりもする。
簡単なもめ事の裁定をしたり、町の有力者たちの話し合いの場に出たりもしている。
何か困ったことがあるときに頼りにされる存在、というわけだ。
また、退魔師などが各地を渡り歩いて仕事をするのに対して、神主や巫女は定められた地に留まり、その土地と人々を守護することのほうが多い。
これは、彼らの仕える神がその土地に根差すものであったりすると、その土地を離れると力が使えなくなったりするからだ。
そうでなくても、ゆかりのある地にいるほうが面倒が少ないため、旅をする者はまれである。
それと、神職は親子代々で受け継ぐことも多く、神主も巫女も普通に結婚するし、子供を産み、育てたりする。
神様は気に入った人間に力を貸すのだが、その気に入った人間の子供もやっぱり気に入ることが多いので、結果として親子代々で引き継ぐ形になるらしい。
そのあたりは、個人の才覚と鍛練を重視する魔女や侍などとは少し違う。
神職として一人前になるために才覚や鍛練が不要、というわけでもないのだが。
「……あら?」
さて、ヒラタ町の巫女であるナツコは、洗った旦那の稽古着を干している最中に妙な気配に気が付いた。
穢れを感じないので妖魔のものとは違うのだろうが、どうにも妙な気配だ。
どちらかといえば神様のものに近いのだが、さて、こんな神様がいただろうか。
「近付いてきてるけど、どうしましょう?」
遠い地の土着神とかならいいのだが、祟り神とか貧乏神とかが来てるのであればちょっと対応しないといけないだろう。
というわけで、ナツコは洗濯物をさっさと干し終えると、妙な気配のするほうへ、とたとたと走っていった。
「ねぇねぇ、ミケ」
「なんだい、タマヒコ」
「その、しんし? ってやつになったのは、どんな感じなんだ? どこか痛いところはない?」
「そうだねぇ……」
タマヒコの頭の上でゆらゆらと尻尾を揺らしていたミケが、のんびりと口を開いた。
「痛いとか、かゆいとかは特にないね。ベガ殿に斬られた傷もきれいにふさがったようだ。まだ慣れてなくて少しふわふわする感覚はあるけど、妖魔だった頃と何が違うということもないかな」
「そっかぁ」
「タマヒコこそ、身体の調子はどうだい?」
「オレも大丈夫だよ。なんか、スッキリした気分」
それはなにより、とミケは言う。
お互いの無事と快復を喜び合う、友人同士の会話である。
「ほんとにありがとね、ライアス兄さん」
「ライアス殿には、感謝してもしきれないな」
そして、そのふたりの恩人たるライアスに話を振る。
ふたりの横を歩くライアスはといえば。
「だーかーらー。何度も言ってるけど、その時は意識が飛んでたから、何があったか覚えてないんだってば。神様、どうやって俺のこと助けてくれたの? ちゃんと教えてよ」
ふたりの話をちっとも聞いていなかった。
烈火のごとく吼えるウルスラから、どうにか話を聞き出そうとしている。
『い、い、言えませんわ! ぜーーっったいに、言いませんとも! だいたいライアス、アレは人命救助のためのものだから、ノーカンですわ、ノーカン! 気にしなくてもいいんです!』
「アレ? ノーカン? よく分からない言葉でごまかされると余計に気になるってば。笑ったりしないから、教えてよー」
『ム、リ、です!!』
どうやら、自分がどのようにして復活したのか記憶がないらしい。それで、その方法を聞き出そうとしているのだが。
『私、あのときはどうかしてましたわ! 勢いあまってあんなことを……! ああ、思い出したくもない! 今にも火が出そうですわ!』
「え、口から?」
『それは辛いもの食べたときでしょう!? 顔からですよ!!』
ウルスラが、頑として教えてくれないのだ。
今になって冷静になったのか、自分のしたことが恥ずかしすぎて倒れそうになっている。
「なに、神様。そんな人に言えないような恐ろしいことしたの? 俺もしかして、戻れない橋を渡っちゃった?」
『違いますよ! ああ、いえ、違うこともないんですけど……! とにかくそんな人道に反するようなことはしてませんわ!』
「じゃあ教えてよ」
『教えません!』
「えー」
タマヒコには、ウルスラの声が聞こえていない。
なので、タマヒコから見るとライアスは虚空に向けてひとりでしゃべっているように見える。
これが命の恩人でなければ、ちょっと近寄るのをためらうかもしれない。
「ははは、我が神も相当頑固なようだ」
「ミケは、その神様の声が聞こえるんだろ? 何て言ってんだ? どっちもゆずらない感じ?」
「そうだね。まぁ、見ている我々ですらわりと気恥ずかしかったんだ。本人なら相当だったんだろうね」
「スゴかったよなー、こう、ガッと」
「僕も長いこと生きてきたけど、今まで見た中でいちばんだったよ」
ミケとタマヒコがそう言うと、ライアスは「あれ?」となる。
「ふたりとも、神様が何したか見えてたの?」
「うん」
「見たよ」
「じゃあ教えてよ」
『ちょ……!』
ミケは話そうとしたが、ウルスラからの圧力を感じて口を閉じた。
「……あー、ライアス殿。僕は貴方とも友人のつもりだが、今の僕は上司の命令には逆らえないんだ。だから黙っておくよ」
「オレも、ミケが言わないんなら言わない」
「えー……」
そこまで秘密にされると、気になって気になって仕方がないのだが。
「というか神様、このふたりにも姿が見えてたってことは……」
『ええ、そちらの世界に実体化していましたわ。貴方を助けるために、少しの間だけですけど』
「それって、できないことだって前に言ってなかった? だから俺に力を貸してくれたんでしょ?」
ミケはピクリと耳を動かしたが、何も言わない。
『……本来ならできないことですし、貴方にはじめて会ったときは絶対にできませんでした。今回のは、貴方を助けるための特別です』
「大丈夫なの、それ?」
『それなりのリスク、……危険を負って、必要な対価を支払いました。手続き上は問題ありません』
「……対価?」
『ああ、そういえばきちんと話していませんでしたね。徳点のことは』
徳点、と言われて、「どこかで聞いたことあるぞ?」とライアスは思った。
『前に少しお話ししましたが、貴方がこの箒で瘴気を祓うたびに経験点というものが累積されていきます。そして、それとは別にライアスが何か善行を積むたびに、徳点というものが加算されていくのです』
「ああ、なんか言ってたね、そんなこと」
『そして徳点は、貯めた点数を消費することで特別なことを起こせるのです。たくさん消費すると、それだけスゴいことができます。例えば……、神様をちょっとだけ呼び出すとか、ですね』
つまり、ウルスラは、ライアスが今まで貯めてきた徳点を(勝手に)消費することで、ライアスを助けにくることができたらしい。
ライアスは「へー……」と頷いた。
「助けてもらったから、そのよく分からない徳点を勝手に使われたことはいいんだけど……」
『はい』
「だから、その方法をさ」
また話が同じところに戻ろうとしたとき、ミケが何かに気付いた。
「ライアス殿」
「え、なに、ミケさん」
「町のほうから、誰か来ているよ」
ライアスも町のほうに意識を向けると、確かに誰か来ている。
白い小袖と、赤い袴姿の女性だ。
とことこと、町のほうから小走りでこちらに来ている。
「あ、あれはひょっとして……」
やがて向こうもこちらに気付くと、パッと笑顔を浮かべて手を振ってきた。
ライアスもそれに振り返す。
『知り合いですか?』
ウルスラが問う。
ライアスは「うん」と頷いた。
「ナツコさんだよ。あの町の巫女で、……お父の友達の奥さん」




