8話:激烈、凶獣のベガ・3
「さて、それにしても」
ベガはタバコをくわえたまま、腕を組んで思案する。
組んだ腕で持ち上がった双丘が、水風船のようにぐにゅりと形を変えていた。
「どういうふうにイジメてあげようかしら」
ライアスの、瘴気を浄化できる能力、というのはなかなか厄介だ。
うかつに近付くとまた瘴気を消し飛ばされるだろう。
そうなると面倒だし、戦闘用の濃いタバコも無駄遣いはしたくない。
近付かず遠間から攻めて、少しずつ削って弱らせるべきか。
射程の長い妖術を間断なく打ち続けて、気力と体力と逃げ場を奪うのである。
ここで問題なのは、あの男の頑丈さだ。
戦闘能力自体は大したことないが、とにかく堅い。
あれだけ打ち込んでもぴんぴんしているとなれば、並の妖魔よりも頑丈である。
射程の長い妖術は遠くに届く代わりに威力が落ちるので、それだけでは仕留めきれないかもしれない。
その場合は、やはり接近戦か。
今補給している瘴気をあらかた使ったら、一気に圧し寄って潰しにかかる。
意識か命か。どちらでも構わないが素早く、できれば一撃で刈り取る。
そして邪魔が入る前に仕事を終わらせるのだ。
注意すべきことは、ライアスが何か奥の手を持っているかもしれない、ということだ。
先程の閃光のように思わぬ隠し手があるかもしれないし、そうでなくても限界を超えて戦ってくる可能性はある。
侮っていい相手ではない。
もちろん現時点では、負けるどころか苦戦するとも思えないが。
「……そういえば」
ベガは、紫煙を揺らめかせながら呟く。
あの男の使った閃光は、不意打ちで相手の視界を奪うためのものだ。
そういう技を喰らったであろう妖魔を、ベガは最近仕留めている。
「あれはそういうことだった、と」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
だがベガは、なかば直感的に察した。
おそらくあれは、ライアスの仕業だったのだと。
ごきりと指を鳴らした。
知らず、両手に力が入る。
「用事が増えたわ。……ちゃぁんと、アイサツしとかないと」
このような考えでまとまったところで、ベガは吸い終わったタバコを投げ捨てた。
体内の瘴気は、八割方まで増えている。戦闘には十分な量だ。
「あぁ、またポイ捨てを……」
ベガが思案している間に視力を取り戻したイナバは、慌ててタバコを回収する。
それを見てから、ベガは小さい弟子を呼んだ。
「イナバぁ、追うわよ」
「あ、はい。……乗ればいいんですか?」
呼ばれて振り向くと、ベガは片膝付いてしゃがんでいた。
イナバは深呼吸して覚悟を決めると、先生の背中に乗り、思いっきりしがみついた。
「振り落とされないように頑張りなさい」
「あんまり激しいのはやめてほしいです」
「それは向こうの対応次第ね」
ベガが立ち上がる。
弟子をおんぶした状態で、ライアスたちの追跡を開始した。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
ミケを抱えたタマヒコは、山中の道なき道を必死で逃げていた。
あの恐ろしい女からすこしでも遠くに離れたいと、休まず走り続けているのだ。
とちゅうには、子供の足では厳しいような崖や岩壁もあった。
そこを迂回したりおそるおそる越えたりするとき、あの女に追い付かれるのではないかと気が気ではなかった。
何度も転びかけたし、木の枝に頭をぶつけたりもした。
もう走れないと膝をつきそうになり、そのたびに気力を振り絞って前を向いた。
足が重い。
のどが熱い。
けれど何より、胸が苦しい。
自分の腕の中にいる存在が、いつ途絶えてしまわないか。
それを思うだけで腹の奥がきゅうっと縮み上がり、胸を突き上げて涙がこぼれる。
声が出ない。
涙で前が見えない。
それでも立ち止まることはできない。
この手の中にいるのは、大切な友達だ。
妖魔だろうと何だろうと、大切な友達なのだ。
こんな自分を友達だと言ってくれる、大切な大切な存在なのだ。
こんな形でお別れなんて、そんなの絶対に嫌だ。
「ミケ……」
ここまで何度も呼び掛けてみたが、ミケの返事はない。
弱々しい呼吸はしているが、ベガに斬られた傷は深く、いまだに血が止まっていない。
このまま血が止まらず、意識も戻らなかったら。
そんなことを思うだけで、本当にほんとうに胸が苦しくなる。
お願いだから返事をして。
タマヒコはミケをぎゅうぅと抱き締めた。
ミケの体にぽたぽたと、こぼれた涙が落ちる。
「タマヒコ君!」
「っ!」
そうしていると、背後から声がした。
涙を拭い、振り返って見てみると、ライアスが駆け寄ってきていた。
心なしか先程よりもボロボロになっている。
「兄さん!」
「ごめん遅くなった! やっと追い付いたよ!」
ライアスはベガとの戦闘から離脱したあと、ミケから垂れ落ちた血の跡をたどって追い付いたようだ。
自分が走ったあとは箒で掃き清めてきたので、ベガたちが血の跡をたどることはできないだろう。
「あの女の人は!?」
「まいてきた! とりあえずもっと逃げよう!」
「逃げるって、どこまで!? オレ、もう……!」
苦しそうな様子のタマヒコ。
走りどおしで限界が近いのだろう。
ライアスは箒を神様に預けると。
「それなら……、よいしょお!!」
「うわ、うわぁ……!?」
タマヒコを横抱きにして抱え上げた。
猫を抱えた少年を抱えて、ライアスは速度を落とさずに走る。
「ミケさんを落とさないでね!」
「も、もちろん!」
「あと、どこまで逃げるかって言ったら、俺の目的地の町だよ! お父の友達に、侍やってる強い人がいるんだ! 事情を話してかくまってもらおう!」
「そんなこと、できるの?」
「やる! なんとしても話をつける!」
ライアスの言葉に、ウルスラが問う。
『ライアス、その町まであとどれぐらいの距離なのですか?』
「あと二里か三里!」
およそ、一〇キロメートル位だ。
『……その距離を、あの女から逃げ続けると?』
「どこかで道に出れば、あとはひたすら下り坂! 死ぬ気で走れば逃げ切れると思うんだ! というか逃げ切るしかない! 追い付かれたら、勝てる気がしない!!」
『それでも……』
ライアスは、正直な心境を叫ぶ。
「正直に言うよ、あの人は強い! まだ全然本気を出してないだろうに、俺は手も足も出なかった! 戦うのが上手くて冷徹で、俺みたいな弱っちいの相手でも油断なんてしてなかった! なんとか隙を作って逃げるのが精一杯だ! タマヒコ君たちには悪いけど、まともに戦ったら俺では絶対に勝てない!」
「……うん」
「けど、俺は君たちを助けたい!」
「っ!」
「助けたいんだ! 何がなんでも! 戦っても勝てないなら、戦わなくてよくなるまで逃げるしかない! それが厳しいのも分かってるけど、それでもやるしかないんだ!」
タマヒコは、「どうしてそこまで……」とまた泣き出しそうだ。
「言ったでしょ、やれることはやるって! そう約束したじゃないか! 俺は大した人間じゃないけど、これでも大人で、なにより男だ! だから、一度した約束を破るなんてできない! したくないんだ!」
「……!」
「やれることはやるよ、俺は! 君たちを助けるために必要なら、二里でも三里でもこのまま走り続けるから!」
タマヒコの腕の中から、弱々しい声がした。
「……ライアス殿は、本当に変わっているなぁ」
「ミケっ!」
「ミケさん、怪我はどう?」
「だいぶ深いね。すまないが、僕はちょっと動けそうにない」
「無理しないで! ……けど、目を覚ましてよかった……!」
タマヒコが友達をぎゅうぅと抱き締める。
ミケはじっとして、されるがままだ。
そんなふたりを抱えたまま、ライアスは走る走る。
ウルスラはもう何を言わなかった。
ライアスがここまでやった以上どのみちやりきるしかないのだし、ウルスラだってタマヒコたちのことを見捨てることはできないのだから。
そうなると、ベガがタマヒコたちへの襲撃を断念しない限り、戦って追い払うか避難するかしなければならないのだ。そして戦って勝てないなら、安全になるまで逃げ続けるしかない。
ウルスラはライアスの後方を警戒する。
ベガたちの姿が見えたり他の危険が迫ったときに、いち早く気付けるように。
ライアスは神様の目を信じて、後ろを振り向かずひたすら走っている。
しばらくして、ウルスラが声を上げた。
『ライアス、何か来ます!』
「っ!」
ウルスラが叫んだ直後、冷たくて痛い雨が、ライアスたちに降り注いだ。




